038 脱出を目指して (2)
二日目以降、アイリスたちの探索はあまり進んではいなかった。
ただでさえ進むのが困難な洞窟。
そこに分岐まで現れ、しかもその大半で行き詰まって引き返すことになれば、精神的にも、肉体的にも疲労は激しく、休息は必須となる。
結果、探索に費やされる時間は減少し、実質的に進めた距離も乏しい。
そして四日目、徒労感から来るストレスが溜まり始めた頃、アイリスの荷物に省エネモードで張り付いていたクルミに動きがあった。
「がうっ、がうっ!」
「……あ? ぉお、どうした、クルミ。お腹が減ったのか?」
「バカ、アイリス、しっかりして! 店長さんよ、きっと」
疲れからか、
そして、アイリスたちの顔を見回して、地面に文字を書いた。
『お疲れ?』
「情けないことにな。店長殿のおかげで、暑さには耐えられるし、激しい戦闘をしたわけでもないのだが……」
元々アイリスは、曲がりなりにも貴族の令嬢。
採集者になって以前より厳しい環境で生活するようにはなったが、基本は日帰りで、何日も泊まり込むような、本格的な採集作業の経験は少ない。
前回のサラマンダー討伐は厳しい行程だったが、その時には戦闘面で頼りになるサラサという存在、そしてアデルバートとカテリーナという保護者が一緒だったので、精神的な安心感は大きかった。
だが今は、戦闘面で頼れるのは自分たちのみ、ノルドラッドは守るべき対象であり、無事に脱出できるか先の見えない状況。
体力よりも精神的な部分で、かなりのストレス状態に置かれていた。
その点ノルドラッドは、装備の面ではアイリスたちに劣り、体力の消耗は激しかったが、もっと酷い環境で長期間魔物を観察した経験や、危機的な状況に陥る経験を積んでいることで、精神的には多少余裕がある。
「実は魔力面で不安があるんだよね。湧水筒と防熱装備が命綱だから、魔力切れは直ちに命の危険に繋がる。サラサ君、そのあたり、どうだい?」
ノルドラッドの問いに、クルミはきょとんと首をかしげ、ガリガリと地面に文字を書いた。
『アイリスさんたちなら魔力量に問題はない。橙色の方を使いすぎなければ』
「なにっ! そうなのか!?」
「ギリギリだと思ってたんだけど?」
『そんなことはない。これぐらいの気温なら、お風呂に入ろうとでもしなければ大丈夫』
クルミの書いた文章を目にしたアイリスたちは、揃って大きく息を吐き、肩を落とす。
「いや、さすがにこの状況で風呂なんて考えないが……それは、防熱装備をずっと身につけ、フローティング・テントを使い、湧水筒で飲みきれないほどの水を生み出しても、と考えても良いのか?」
『そう。ケイトさんはもちろん、アイリスさんも案外魔力を持っている』
「そうだったのかぁ……なんだか、一気に気が抜けたぞ」
『橙色の方も、一日コップ一杯ぐらいなら問題ない。甘い物を飲んでリフレッシュ』
実際、サラサが橙色の湧水筒を緊急パックに入れたのもそれが目的。
『ただし、私が渡した
「それはそうだろうね。
『フローティング・テントなら、いざとなれば魔物の素材でも稼働する。ちょっと勿体ないけど』
通常、
だが、『冷蔵庫と氷牙コウモリの牙』といった相性の良い組み合わせを除けば、その魔力の使用効率は著しく悪い。
無理に魔力を引き出すのだから当然といえば当然だが、それは一時期サラサが検討していた『氷牙コウモリの牙を魔晶石に加工する』こと以上で、素材の価値から言っても非常に勿体ない使い方となる。
「なるほどね。いざとなれば、そうしよう。高価な素材も、帰れなければ売れないしね」
「不吉な!?」
「でも実際そうだよ? ボクは常に自分の命を最優先にしてきたからこそ、今生き残っている。必要なら高価な実験道具を捨ててでも逃げる。その思い切りがないと、魔物の研究なんてやってられないよ」
どこか自慢げにそんなことを言うノルドラッドだが、それを聞かされたアイリスとケイトの表情ははっきり言って、苦い。
「なら、もうちょっと慎重に実験してほしいものだけど……」
「ノルド、今の危機を招いた原因は、お前にあるからな?」
「そっちの自覚もある。でも、実験優先だから。実験した上で命が助かるように、他の物を捨てる覚悟がある」
どこか矛盾しているが、もし命が最優先であれば危険な魔物の研究など、そもそもできるはずもない。
実験の必要性とそれに伴う命の危険、ノルドラッド自身には何らかの基準があるのだろうが、それを余人が知るのはなかなかに難しそうである。
少なくともアイリスたちには理解できなかったようで、胸を張って主張するノルドラッドに、アイリスは深く肩を落とし、クルミに視線を向けた。
「それで店長殿。何か手助けは……してもらえるのだろうか?」
状況が状況だけに、少し遠慮がちに訊ねるアイリスに、クルミはこくりと頷くと、地面に文字を書く。
『そうだった。抜小路検知器の準備をした』
クルミの書いた内容に、アイリスとケイトは首を傾げたが、ノルドラッドは心当たりがあるらしく、「ふむ」と頷く。
「抜小路検知器……聞いたことはあるね」
「そうなのか? 私は知らないのだが」
「普通の人にはあまり使い道がない
そんな物をノルドラッドが知っていたのは、洞窟に棲息している魔物を研究しようかと下調べをしたときに耳にする機会があったからである。
『なら話は早い。説明して』
「うん。これは文字通り、通り抜けられる道を探す
『でも、欠点もある』
「そうだね。これで判るのは、一定の距離は行き止まりになっていないということだけ。途中で分かれ道があったり、一本道でもずっと長く続いていれば判別はできない。どれぐらいの距離を調べられるかは性能と消費魔力に依存するんだけど、そのあたりは……」
『あまり良くない。イレギュラーな使い方になる』
「それはそうだろうね。というか、なんとかなるものなのかい? 腕の良い錬金術師なら、
『眉唾じゃない。事実。でも難しい。だから、この場で作る』
クルミの書いたその言葉に、アイリスたちだけではなく、研究者として知識の深いノルドラッドもまた息を呑んだ。
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