034 救難要請 (3)

『委細承知、検討してみる。また連絡する。緊急パックを確認して』

 ケイトたちからの説明を聞き終わるなり、サラサは時間と魔力が勿体ないとばかりに、すぐに同調を切った。

 それと同時に、糸が切れたようにクルミの身体がころりと転がったが、何事もなかったかのようにすぐに起き上がり、魔石入りの革袋をしっかりと持ったまま座り直した。

「クルミに戻ったの?」

「がぅー」

 確認にするように訊ねたケイトにクルミが鳴き声で応えれば、ケイトはどこかホッとしたようにクルミを抱き上げた。

 そんなクルミを、ノルドラッドはじろじろと、研究者としての目で観察する。

「ふむ。興味深いね。これだけの距離で、視覚や聴覚の同調だけじゃなく、思い通りに動かすことができるとは」

「ノルドさん、状況を考えて」

 ノルドラッドの視線から守るように、ケイトはクルミをぎゅっと抱きしめ、ノルドラッドに冷たい視線を向けるが、そんな視線を向けられた当の本人はあまり気にした様子もなく、肩をすくめて首を振った。

「何もするつもりはないよ。興味深いだけで、錬金術はボクの研究対象外だからね。それよりも、サラサ君が言っていた『緊急パック』とはなんだい?」

「あぁ、それか。出発前に『もしもの時には開けて』と言って渡された物だな。私も中身の詳細は知らないのだが……」

 ゴソゴソと自分の荷物を探ったアイリスは、一番奥にしまってあった箱を取り出して地面に置く。

 大きさはノートの見開きぐらい、厚みは拳一つ分程度で、あまり大きくはない。

 金属製できっちりと密閉されているその蓋をアイリスが開ければ、ケイトとノルドラッドも興味深そうに中を覗き込んだ。

「……色々入っているわね?」

「そうだな。この錬成薬ポーションは……毒消し、病気治療、怪我の治療だな。汎用だから、ちょっと高めのを入れておいた、と言っていたな」

「店長さんの言う『ちょっと高め』ね。少し怖いわね」

「うむ。共鳴石と違って、こっちの中身は『使ったときだけ、料金を請求しますね』と言われているんだよな」

「『氷壁アイス・ウォール』の魔法を封じ込めた、あの魔晶石と同じ扱いね」

 使わなければ無料ということは、お金を払わずにもしものときの保険が手に入るということで、通常であればとんでもない好条件である。

 だが、請求される金額を考えると、借金生活のアイリスたちからすれば戦々恐々。

 緊急時だけに良い物が入っていれば嬉しいような、怖いような、複雑な気分である。

「ノルド、これは負担してもらえるだろうか?」

「うーん、この状況にはボクの責任もあると思うから、負担すると言いたいところだけど……それらの錬成薬ポーション、かなり高いよね?」

「やっぱりそうなのか?」

「汎用品はねぇ。特定の病気、特定の毒に対応する錬成薬ポーションに比べると、何倍……いや、下手したら数十倍はするんだよ。それだけ有効なのは間違いないんだけど」

 効果としては汎用品の方が劣るのだが、どのような病気に罹り、どのような毒に冒されるかも判らない状況では、特定の錬成薬ポーションを持ち歩くことは難しい。

 それ故、汎用品が重宝されるのだが、当然ながら多くの症状に効果を発揮する錬成薬ポーションの作製難易度と必要とされる素材のコストは高く、必然的にその価格も跳ね上がる。

 アイリスたちでは、ちょっと手が出ないぐらいに。

「……まぁ、毒や病気の錬成薬ポーションなんて、使うことはないだろ。怪我用の錬成薬ポーションならともかく」

「アイリス、そういうのってフラグっていうんじゃないかしら? ここでじっとしているなら別だけど、奥に進めば毒蛇や毒虫、出てこないとは限らないと思うけど?」

 フラグ云々は措くとしても、ここは探索したこともない、正体不明に近い洞窟の中。

 その強弱はあれど、毒を持つ虫などがいる確率は決して低くない。

 ケイトに非常にもっともなことを言われ、アイリスは「うっ」と言葉に詰まる。

「そのへんは……万が一、使うことになれば、私たちも店長殿に交渉しよう」

「頼むよ。ボクもない袖は振れないからね」

「うむ。さて、次は……“湧水筒”だな。作った時に見せてもらった」

「それはありがたいね。食糧はある程度残っているけど、水の方は心許なかったから」

 一見すると普通の水筒に見えるそれだが、これも歴とした錬成具アーティファクトである。

 大きさは少し縦長のコップサイズで、魔力を注ぐことでその水筒一本分の水を生み出すことができる。

 平均的な魔力量の人間であれば、水を持たずに旅ができるほどに便利な代物だ。

 といっても、魔力の大小にかかわらず時間あたりに生み出せる水の量には限りがあり、仮に魔力の多いサラサが一般的な湧水筒を使ったとしても、水筒から吹き出すほどに水が出てくる、なんてことはない。

 それでも、もし四六時中魔力を注ぎ続けることができれば、一日で風呂桶数杯分の水を確保できるのだが、普通の人間なら一〇分足らずで魔力が尽きるため、あまり現実的ではない。

「色違いでもう一本、橙色のがあるけど、こっちは?」

「そっちも水が出るんだが、なんか甘くて美味しい水が出る」

「……何それ?」

「いや、私に言われても困るんだが……店長殿が作った物だし……」

 ケイトに真顔で聞き返され、アイリスは困ったように言葉を濁す。

 だがノルドラッドの方は、少し驚いたように目を瞠った。

「それ、滅多に見かけることがない錬成具アーティファクトだよ。ほぼ作られることがないから」

「そうなのか? 店長殿は『ついでに作ってみた』みたいな、軽い感じだったが」

「作るのも難しいらしいけど、需要がないんだよ。単なる水を作るより大量の魔力が必要になるし、普通は湧水筒が必要な状況で贅沢をしようとは思わないだろう? 街中なら、甘い物が飲みたければ買えば良いだけだし」

 ちなみに同等品質の普通の湧水筒と比べ、消費魔力と湧水量は一〇倍で一〇分の一。

 水分補給と考えると、あまりにも効率が悪い。

 ただし、水分以外に糖分も摂れるというメリットがあり、遭難したときなどにはかなり助かりそうに思えるのだが――実はそんなに便利でもない。

 普通の人が一日に出せる量は、せいぜいコップ一杯か二杯。

 特別に魔力量が多い人でない限り、これで活動エネルギーを賄うなんてことはとてもできないのだ。

 それでもサラサがこれを入れておいたのは、甘い物を摂ることで、危機的状況での精神的なストレスを軽減できれば、と考えてのことである。

「となると、それはおまけか。店長殿が使って見せてくれた時には、かなり美味しかったんだがなぁ……」

 ケイトが持つ湧水筒を少し残念そうに見て、次にアイリスが取り出したのは魔晶石。

 だが、緊急パックに入っているだけあって、単なる魔晶石ではない。

「それはもしかして、先ほどの氷の壁を作った物と同じ物かい?」

「そうだな。封じ込められた魔法は何種類かあるみたいだが」

「これも高いのよねぇ……ノルドさん」

「解ってるよ。危ないときには気にせず使ってくれ。代金は持つから」

「助かる。これらを私たちが負担すると、ノルドから貰う依頼料を全部使っても足りないだろうからなぁ……」

 アイリスは取りだした魔晶石の効果を確認しつつ、ケイトと二人で分けて、ポケットに入れていく。

 数はさほど多くないので、本当に切り札のようにしか使えないだろうが、強力な魔法を使えないこの三人からすれば、心強い命綱であることは間違いないだろう。

 そして最後に残ったのは、片手に載るほどの小さな箱が三つ。

「この箱は……携行保存食レーションね。これは私も見たことがあるわ。食べたことはないけど」

「私は食べさせてもらったぞ。一粒か二粒で一日分らしい」

「たったそれだけで? なら当分は飢えて死ぬ心配はないのね。朗報だわ」

 ケイトが取り出した紙箱の中に並んでいたのは、一辺一センチほどのキューブ。

 それが三段に積まれ、一つの箱の中に三〇〇個ほど。

「残りの二箱は……うっ、色違いで三種類か」

 ケイトの開けた箱――白いキューブを見たときには少し嬉しそうだったアイリスの顔が、二つ目と三つ目の箱を開け、緑と黄色のキューブを見た途端、渋面に変わった。

「どうしたの? そっちのは何か違うの?」

「あぁ。私も店長殿に訊いただけなんだが……まずケイトが持っているタイプ。それが一番良いやつだ。普通に美味しくて、栄養もバッチリ。先ほど言ったように、それ一粒で一日保つ」

 ただしそれは、普通の成人男性が街中で日常生活を送る場合。

 肉体労働者や採集者のように激しく身体を動かす人の場合は、一粒ではやや不足するため、もう一粒食べるか、他の食べ物で補う必要がある。

「次に黄色いの。これは甘くて美味しい。一日分のエネルギーは摂れるらしいが、それだけ食べていると病気になるとか。私にはよく解らないが」

「それはあれだね。パンだけでもお腹は膨れるけど、肉や野菜も食べないと身体に悪いのと同じことだね」

 穀物だけでは身体の成長や健康に影響があることは、経験的に知られているが、その理由に関しては、一般人にはほとんど知られていない。

 詳しいことを知っているのは、医者の真似事もする錬金術師や研究者などの知識人たち、ごく一部に限られている。

 この場ではノルドラッドが知識人で、アイリスたちは知識人寄りながら一般人の範疇になる。

「なるほど。そう言われると理解できる。……白い方は大丈夫なのが、不思議だが」

「そのへんの不具合も解消してるってことだろうね。高い分」

「やっぱり高いのか? こっちの白い方は」

「高いね。具体的には緑の方の、五倍はするね。確実に」

「五倍……ということは、ノルドはこっちの緑も知っているのか。不味いのも?」

「え、そこまでじゃないよ? もちろん、美味しいとは言わないけど、それは白い方と同じで、それだけ食べていても問題ないし、一日の食事が一〇秒で終わるからね。忙しいときなんかには重宝するんだよ」

 携行保存食レーションの販売価格は、緑の一粒で、庶民の一日分の食費よりも少し高いぐらい。

 節約できる時間と手軽さを考えれば、頭脳労働者にはさほど高い物ではないが、一般的な味の評価はアイリスに近く、『苦い草のパサパサクッキー』というもの。

 ノルドラッドのような特殊な人を除けば、好んで食べる人はほぼいない。

 なお、黄色い物の価格は緑と白の中間。

 なので、この携行保存食レーション三箱で、地味に一財産だったりする。

「……まぁ、味のことは措いておきましょ。全部で九〇〇粒あるから、二粒ずつ食べても、一五〇日は生き延びられそうね」

 どこかホッとしたように言って、携行保存食レーションの箱を閉じるケイトだったが――。

「う~ん、それはどうかなぁ?」

 だがそれに疑問を呈するように、難しい表情で唸ったのは、ノルドラッドだった。

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