023 サラマンダーの棲み処 (5)

「まぁ、良い。それで、ノルドのやりたい実験はこれで終わったのか?」

「そうだね。生きているサラマンダーの調査の方は、前回の調査地で概ね終えてるから。そこでは斃すことができなかったから、今回の実験が残ったんだよ」

「なら、体力が回復したら、早めにここを出よう。サラマンダーの巣にいるなんて、落ち着かない」

「そうですね。サラマンダーが追ってきたら困りますし」

 その言葉通り、ケイトはそわそわと落ち着かない様子で、来た方向を何度も確認しているが、ノルドラッドの方はしっかりと地面に腰を下ろし、ゴソゴソと自分の荷物をあさると、あめ玉を取り出して口に放り込む余裕を見せている。

「なかなか巣から出てこない魔物だからね、サラマンダーは。討伐のときは、逆に引っ張り出すのに苦労するぐらい」

「ってことは、安心?」

「だと良いよね?」

 ニヤリと笑い、もう一つあめ玉を口に含むノルドラッド。

「含みがある言い方だな?」

「巣からは出てこないんだけど、どこまでが巣の範囲だと思う?」

「……それは何か? この洞窟内は巣の範囲、巣から出てこないサラマンダーも普通に徘徊するかも、と?」

「可能性はありそうじゃない?」

「嫌な可能性だな。否定できないが」

 顔を顰めるアイリスを安心させるかのように、ノルドラッドは笑って肩をすくめると、あめ玉の入った袋をアイリスたちに差し出す。

「ま、低い可能性だよ。ボクたちみたいな小物をサラマンダーがわざわざ追ってくることなんて――」

「グオォォォォ!」

 まるで、ノルドラッドの言葉を否定するかのように、洞窟内に響き渡る咆哮。

「「………」」

 ノルドラッドの動きが止まり、アイリスたちの冷たい視線が彼に突き刺さる。

 余計なことを言いやがって、とばかりに。

「いや! ボクの言葉は関係ないよね!?」

「……言葉はともかく、誰とは言いませんが、サラマンダーの顎をぶん殴った人がいましたよね? 誰とは言いませんが!」

「あぁ、いたな。誰とは言わないが。普通、あんなことやられたら怒るよな?」

「いや、でもさ! あの一撃がなければ、ブレスが危なかったと思わないかい?」

 慌てて言い訳をするノルドラッドだったが、アイリスたちの視線は変わらなかった。

「むしろ、唐突に攻撃されて、私たちが危なかったんですけど?」

「初動が遅れたからな。……これは、私たちが未熟とも言えるのだが」

 どんな状況でも冷静に対処する。

 それは必要な能力だろうが、ノルドラッドの行動は、思わず呆けてしまうのも仕方がないと思えるような暴挙である。

 触れるだけで大火傷するようなサラマンダーに、誰が素手で殴りかかるのか。

 ――いや、ここにいるわけだが。そんな非常識が。

「しかも、ブレスはブレスで、しっかり吹きかけられましたしね。店長さんの錬成具アーティファクトがなければ、危なかったです」

「チラリとしか見てないけど、あれは?」

「店長さんが預けてくれた、『氷壁アイス・ウォール』の魔法を封じ込めた魔晶石です」

「あれだけの魔法を……やはり、さすがというしかないね」

 魔晶石を加工して魔法を封じ込め、錬成具アーティファクトにすること自体は、大半の錬金術師が行えるのだが、その対象は自分が使える魔法のみ。

 その上、封じ込めた魔法の威力は、魔晶石の品質、大きさに加えて、加工を行った錬金術師の技量に依存する。

 ここで言う『技量』とは、錬成の技量はもちろん、魔法の技量も含むため、込められる魔法の威力は、自分が扱える威力の範囲に制限される。

 つまり、強力な魔法を封じた魔晶石を作れる錬金術師は、同時に強力な魔法使いでもあるのだ。

「ですが、あれは一つしかありません。ついでに言うと、私の耳には、微かな地響きが聞こえるのですが?」

「そ、そうなのかい? ボクには聞こえないけど……」

 ノルドラッドは首を捻るが、ケイトの耳には、何か大きな生物が歩くような重々しい音が確かに届いていた。

 そしてこの状況で、その生物が何かなど、考えるまでもないだろう。

「ケイトの耳は、かなり良いから信頼できる。あの氷の壁が突破されたと考えて、間違いないだろう」

「この気温だもの。放置していても解けるわよね」

「どうする? 今からでも出口に向かって走るか?」

「ちなみにノルドさん、サラマンダーを斃せたりは?」

 微かな期待を込めてケイトは訊ねるが、当然というべきか、ノルドラッドはあっさりと首を振る。

「しないよ、さすがに。見ただろう? ボクの拳がほとんど効いていないのを。あれが精一杯。挑発程度ならまだしも、ダメージにはならないだろうね。ついでに言うと、ボクの防熱装備だと、サラマンダーのブレスは耐えられない」

「ですよね。――私としては、そんな装備でサラマンダーに殴りかかったことが信じられませんけど」

「同感だ。だが、ノルド。サラマンダーが復活することは判っていた……いや、少なくとも、復活させようとは思っていたんだよな? どうするつもりだったんだ?」

 アイリスのもっともな指摘に、ノルドラッドはスッと目をそらす。

「……あまり考えてなかった。走って逃げれば良いかと」

「まさかの無計画!?」

「ノルド、実はバカだろう!?」

 目を剥く二人に、ノルドラッドはフッと笑って、肩をすくめる。

「研究者なんて、バカにならないと成果が上がらないものさ」

「そっちは研究バカ! お前のは考えなしのバカ! 同じバカでも全然違う!」

「大して違いはないと思うけどなぁ。他人に迷惑をかけるという点では」

「自覚があるなら、もっと考えてくれ!」

「まぁまぁ、アイリス。今は時間がないから。それよりも、ノルドさん。逃げ切れると思いますか?」

 だんっ、だんっ、と地団駄を踏むアイリスを、ケイトが頭が痛そうに額に手をやりつつ宥める。

 心情的にはケイトもアイリスとまったく同じなのだが、ノルドラッドを問い詰めたところで状況は変わらない。

 今は脱出方法を、とノルドラッドに尋ねたが、ノルドラッドは少し考えて首を振った。

「狭い通路でのブレスは危険だからね。装備の良い君たちはともかく、背負ってる荷物とボクは危ないかもしれない」

 その言葉を聞き、アイリスとケイトがニヤリと笑う。

「ふむ。ノルドはともかく、荷物が失われるのは困るな」

「えぇ。店長さんから借りている物もあるし……。ノルドさんはともかく」

「君たち、ボクの護衛だよねぇ!? 護衛料、払ってるよね!?」

「護衛対象の無謀な行動までは、面倒見きれない」

「第一、まだ支払ってもらってませんし。――そっか、きちんと連れ帰らないと、支払いが?」

「そうそう。帰り着くまでが依頼の対象だからね」

 ホッとしたようなノルドラッドに、アイリスはこてんと首をかしげ、真面目な顔で提案する。

「だが、どうだろう? 仕事は半分以上終わったんだ。このあたりで、内金を払ってもらうのは?」

「そうよね。長期契約だもの。全額一括じゃなく、途中で支払いを求めるのは当然よね」

「それ、見捨てる気、満々だよね!?」

 仕事を請ける前に言うのならともかく、この場でそんなことを言い出せば、そう思うのも当然だろう。

 焦るノルドラッドをアイリスはじっと見つめ、ふっと表情を緩める。

「……冗談だ。二割ぐらいは」

「八割本気!?」

「これ以上おかしなことをしたら十割になる。気をつけてくれ」

「りょ、了解。さすがにボクも、研究成果を持ち帰れないのは困るから、脱出に注力するよ」

 鼻白んだノルドラッドを見て少し気が収まったのか、アイリスはこくりと頷くと、ケイトを振り返る。

「そう願う。ケイト、少しでも早く走れるよう、持ち帰る物を厳選しよう。ノルドの荷物は置いていくべきだろう。私たちの前を走りたいのなら」

「かなり高価な錬成具アーティファクトもあるんだけど……仕方ないか。調査結果だけ持ち帰ることにするよ」

 単純な体力でいえば、ノルドラッドはアイリスたちを上回っているだろうが、持っている荷物の量が比較にならない。

 さすがにその状態で、アイリスたちよりも速く走れるはずもなく。

 だからといって、アイリスたちも命が懸かっている状況で、ノルドラッドの走る速度に合わせる、なんてことはしたくない。

 荷物を捨てろというのも、当然の要求だろう。

 ノルドラッドは荷物からノートなどの紙類を取り出して懐の中に抱え込み、ケイトもまた、手早く荷物を分類していく。

「重い物は置いておくとして、店長さんから借りた物はできる限り持ち帰らないと。フローティング・テントはさすがに無理だけど」

「借金、一気に増えかねないものな。――なぁ、ノルド。これで失われた荷物は、補償してくれるのか?」

「普通の荷物なら補償するけど……要相談で。さすがに、サラサ君が作った錬成具アーティファクトとなると、値段が読めない。ボクの研究道具も放置していくことになるし」

「水は、水場まで保つ最低限として……」

「食糧は……何日分、必要だ? 何日で森を抜けられるか……」

「ボクなら、毒のない植物も見分けられるよ? 毒がないだけで、味はまったく考慮できないけど」

「状況によっては、それに頼るしかないか。死ぬよりはマシだ」

 そうやって荷造りを終え、そろそろ行こうかと、立ち上がりかけたその時だった。

 その音は響いてきたのは。

 ズズズズ……。

「なん――」

 ドガンッ!! ゴゴゴゴッ!

 低く響く地鳴りのような音に、突き上げるような衝撃。

 それに続く振動。

 咄嗟に頭を抱え、しゃがみ込むアイリスたち。

 次の瞬間、彼女たちにもうもうとした土煙が襲いかかった。

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