022 サラマンダーの棲み処 (4)

 僅かに波打つだけで静かだった溶岩。

 そこがボコボコと音を立て始め、不穏な気配が漂う。

「おおっ、これは! 急速に魔力濃度が下がって――」

「言っている場合か!! どう見ても危険そうなんだが!?」

 嬉しげに測定器を見るノルドラッドに向けてアイリスが叫ぶが、ノルドラッドの方は気にした様子もなく、測定器と泡立つ溶岩を見比べる。

 そして、溶岩の表面が一気に盛り上がり――。

 ザバァァァ!

 現れたのは、しばらく前にアイリスたちを苦しめた、赤い鱗の巨大な魔物。

 それが首をもたげ、アイリスたちを睥睨する。

「やった! サラマンダーだ!!」

「『やった!』、じゃない!」

「逃げるわよ!」

 ケイトが荷物を背負ってアイリスに駆け寄れば、アイリスもまたすぐに荷物を担いで、逃走の態勢に入る。

 だが一人、ノルドだけは違った。

「「えっ……?」」

 サラマンダーに向かって踏み込むと、その場でグッと身体を縮める。

「ふんっ!」

 そして、一気に伸び上がったかと思うと、頭上に向かって拳を突き上げた。

 ドゴンッ!

 鈍く重い音が響き、拳がサラマンダーの顎に突き刺さり、その頭をかち上げた。

「「えぇぇぇ!?」」

「やはり、無理か」

 予想外の行動に、目を瞬かせて一瞬呆けるアイリスたちと、冷静にそう呟くノルド。

 そして、とてもスムーズに自分の荷物を担ぎ上げると、流れるように走り出した。

 ――アイリスたちをその場に残し。

「え? あ? あれ……? はっ!? に、逃げるわよ! アイリス!」

「そ、そうだな!?」

 すぐに我に返ったケイトがアイリスの手を引き、二人もノルドラッドの後を追って走り始める。

 結果だけ見れば薄情にも見えるノルドラッドだが、彼はアイリスたちの護衛対象である。

 本来であれば真っ先に逃がすべきだし、逃げてくれた方がありがたい存在。

 彼の行動は間違っていない――直前のアッパーカットを除けば。

「アイリス、急いで!」

 アイリスよりも一足先に広間から外へと続く通路に辿り着き、ケイトが背後を振り返れば、ノルドラッドの攻撃から立ち直ったサラマンダーが大きく息を吸い込んでいた。

 その動作は、ケイトがつい先日も見たもの。

 見間違えるはずもない。

「ブレスが来るわ!」

「にょわぁあぁぁ!!」

 変な叫び声を上げながら、アイリスがケイトの横を走り抜ける。

 と、同時に――。

「くぅぅ、また借金が増える~!」

 そんな血を吐くような声と共に、ケイトはポケットから取り出した石を放り投げた。

 それは、『使った場合は代金を払ってくださいね』という破格の条件で、サラサより無料で借り受けてきた錬成具アーティファクト

 本来であれば当然購入すべきところ、ケイトが断念せざるを得ないほどの高級品故に、貸してくれることになった代物であり、その効果はお値段に比例する。

 キンッ!

 澄んだ軽い音が響き、通路が厚い半透明の氷で閉ざされた。

 その直後、それは赤い色に染まったが、熱気は一切感じない。

 だが、そのブレスの威力は、ケイトたちも体験済み。

 いくら厚い氷でもずっと耐えられるわけではないし、そもそもこの空間自体が高温なのだ。なにもなくても解けていく。

 決して時間的に余裕があるわけではない。

 ケイトは即座にそれに背を向け、アイリスたちの後を追って走った。


    ◇    ◇    ◇


 サラマンダーから逃げ出したアイリスたちは、地上へと続く通路から脇に逸れた、一本の通路で足を止めていた。

 安全性を考えるのであれば、地上まで一気に脱出する方が良いのは言うまでもないのだが、コートを脱げば高温で死にかねないこの洞窟内で、重い荷物を背負ったまま、そんな持久走が可能なほど三人の体力は人間離れしていない。

「はぁぁ~~~。つ、疲れた……」

 へたり込むように座り込んだアイリスが、荷物を地面に下ろし、顎から滴る汗を拭う。

 アイリスたちの防熱コートには冷却機能も仕込まれているが、基本的には炎などの強烈な熱から身を守るためのもの。

 普通に行動できるよう、ある程度はコートの中を快適な温度に保つ仕組みにはなっているが、いくら快適な温度でも激しい運動をすれば汗をかく。

 そうして失われた水分を補うように、アイリスは荷物から取り出した水をゴクゴクと飲んで一息つくと、ノルドラッドにキッと強い視線を向けた。

「色々と言いたいことはあるが……ノルド、何故あんなことをした?」

「あんなこと、というと、サラマンダーを復活させたことかい?」

 アイリスとは違い、水ではなくノートを取り出していたノルドラッドは、そこに書き込みをしつつ、顔も上げずにアイリスに応える。

「そうだ。解っていてやったんだろう?」

「復活するんじゃないか、という予測を立てていたことは間違いないね」

「では、何故? 危険なことは解ってましたよね?」

「それが実験のテーマだったから? 危険だからといって躊躇するようじゃ、研究者としては失格だろう?」

 そもそも、危険を避けるのであれば、魔物の研究者になんかなっていない。

 やっと顔を上げ、そう言うノルドラッドに、アイリスたちも反論に困る。

 危険性があるからこそアイリスたちは護衛についていたわけだし、危険だったと苦言を呈すのは、少し違うだろう。

 もっとも、自ら危険な行為に手を染めることが、護衛対象として正しい行動かは議論の余地があるだろうが。

「むー、なんだか釈然としないが……」

「私としては、そもそもあんな実験が必要だったのか、と問いたいですね」

「役に立つことは間違いない、と思ってるよ? 例えば、ある魔物の素材が必要な場合。この国は、ゲルバ・ロッハ山麓樹海があるから比較的素材が手に入りやすいけど、それでも必要な素材が常に手に入るとは限らない」

「まぁ、そうだろうな。だが、国内になくても輸入すれば良いだろう?」

「それはリスクだよ。国家としてはね。もちろん、こんなことは危険すぎるから、普通はやるべきじゃない。でも、できることには意味がある」

 アイリスたちの住むこの国は、今現在、どこかの国と戦争状態にあるわけではないが、それは備えが不要ということにはならない。

 こちらが攻撃する意図がなくとも、周囲の国から見て『侵略するにはリスクが高い』状態を保っていなければ、国家の防衛を担う者としては失格だろう。

 この国が採っている錬金術師への優遇策もその一環で、錬成具アーティファクト錬成薬ポーションがその戦略に重要な役割を果たすが故。

 だがそれも、それらの素材となる物が入手できてこそである。

 錬成ができずとも錬金術師が優秀なのは間違いないが、その価値は大きく削られる。

「ノルドは為政者のような考え方をするのだな。……貴族なのか?」

「んー、まあ、その端くれ? でもボクの場合は、スポンサーが喜びそうなことを考えているだけなんだけどね」

 すべては褒賞金のため。

 臆面もなく言うノルドラッドに、アイリスたちは苦笑を浮かべるしかない。

「それにしても、サラマンダーで実験しなくても、とは思うが……」

「でもサラマンダーなら、復活しても他の人に迷惑がかからないだろう?」

 ちょっかいをかけなければ、巣穴から出てくることがほとんどないサラマンダー。

 周囲の集落を襲ったりするわけでもなし、確かに実験対象としては適しているのかもしれない。

 実験関係者の身の安全を考えなければ、という前提はあるが。

 そして、いつの間にやらその『実験関係者』にされてしまったアイリスとケイトとしては、苦情を申し立てたくなるのは当然だろう。

「もう少しで、ブレスの餌食になるところだったわよね」

「店長殿の作ってくれたコートがあるとはいえ、あれはなぁ……荷物は関係ないし」

 背負っている荷物は、コートの外側にあるわけで。

 アイリスたちの命は助かっても、荷物が失われてしまえば、村まで無事に帰り着けるかどうか、かなり危ない。

「ついでに言えば、サラマンダーへの攻撃も――っと、ノルド、想像以上に強かったのだな?」

「そりゃ、ある程度は鍛えてるよ。魔物の研究だよ? 自分が近付けないようじゃ、まともに調べることすらできないよ」

 遠くから観察するだけなら護衛に頼るだけでもすむだろうが、生きている魔物を研究するなら、戦闘能力は必須。

 多少の攻撃ぐらいは耐えられる能力がなければ、どう考えても危険すぎる。

「体力だけじゃなかったのね。武器を持ってないから、てっきり……」

「少しは戦えるよ。基本はさっきみたいにいなして、後は護衛に任せる形だけどね。あと、調査に夢中になると警戒が疎かになるから、護衛は必須だし」

 ちなみに、ノルドラッドが武器を持っていないのは体術によって戦うからであり、何故体術かといえば、研究対象を必要以上に傷付けないためである。

 どこまでいっても、研究第一。

 それがノルドラッドなのだ。

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