021 サラマンダーの棲み処 (3)
ゴゥン、ゴゥンと音を立て始めたその箱に、ケイトたちの視線も集中する。
やや離れた場所にいた二人もノルドラッドに近付き、身を乗り出すようにして、その手元を覗き込んだ。
「それは……もしかして、氷牙コウモリの牙ですか?」
「うん。何にしようかと思ってたんだけど、何故か、お手頃価格で買えたんだよね、幸いなことに」
「へぇ、お手頃価格で」
アイリスたちからすれば、その理由は明確だが、いくらお手頃価格とは言っても、量が量である。普通の人なら決して無造作に扱えるような額ではない。
――ないはずなのだが、ノルドラッドは無造作に牙を掴み取り、ざらざらとその箱に注ぎ込んでいる。
その一掴みにかかるコストを考えると、ケイトなどため息しか出なくなるので、彼女はそれを考えないようにして質問を重ねる。
「それは何をしているんですか?」
「これは、周辺の魔力を上げる
ケイトとしては、何を目的としているのか訊きたかったのだが、返ってきたのは
いくら研究者でも『周辺の魔力を上げる』こと自体が目的とは思えず、『上げた結果として何を期待しているのか』が重要。
しかしノルドラッドはそれ以上説明を続けることもなく、取り出した計測器で周囲の魔力量を測定、その値を手元のノートに記していく。
「……水属性が上昇、魔力量も上昇。魔力量だけを見れば、何らかの変化が起こりそうだけど……何も無しか」
次にノルドラッドが取り出したのは、アイリスたちが頑張って集めた火炎石が入った袋。
今度はそれを、これまた無造作にスリットの上でひっくり返す。
ガラガラと箱の中に吸い込まれる火炎石と、ゴウン、ゴウン、ゴウンと更に大きな音を立て始める黒い箱。
見る間に消費されるそれらの値段を考え、目眩すら覚え始めたアイリスたちだが、ノルドラッドの方は気にした様子もなく測定器を再度確認。
「水がやや下がり、火が上昇。魔力量は十分以上……かな?」
「ノルド! 何をするつもりだ」
なんだかとんでもない不安感に襲われ、黒い箱から響く音に負けないよう、アイリスが大きな声で訊ねれば、ノルドラッドもアイリスを振り返り、同じように大きな声で答える。
「サラマンダーの発生条件だよ! サラマンダーは一度斃しても、そのうちまた、同じ場所、もしくはその周辺に現れることがある。ボクはそれに、魔力量が大きな影響を与えていると考えているんだ」
ノルドラッドが説明している間に黒い箱から響いていた音は途切れ、辺りには再び静寂が戻ってきた。
そこにアイリスとケイトの、呟くような声が響く。
「魔力量……現れる……?」
「それって……?」
「思った以上に水が強い。火炎石が少ないこともあるが……あれを使うしかないか」
あれで説明は終わったと思っているのか、ノルドラッドは再び箱に向き直り、荷物の中をゴソゴソとあさる。
そうして取り出したのは、赤い鱗が数枚。
手のひら大で、透けるような
「ま、まさか、それは……」
どう考えても、良い未来が見えない。
勘違いであることを祈り、震える声で恐る恐る訊ねたケイトに、ノルドラッドはごく自然に頷く。
「うん。サラマンダーの鱗だね。出費がかさむから、使いたくなかったんだけど」
「待っ――」
「仕方ないよね。ほい」
ケイトが止める間もなく、黒い箱のスリットに滑り込む鱗。
同時に、大きな音が再び響きだした。
いや、先ほどよりも確実に音は大きく、黒い箱もガタガタと揺れ始める。
「お、おい! その揺れ、正常なのか?」
「問題ないと思うよ? ほら、ちゃんと火属性の値が上昇してるし」
そう言いながら計測器をアイリスに示すノルドラッドだが、アイリスからすれば、今はそんなことどうでも良かった。
「いや、そうじゃなく! こっちの
「そっちも大丈夫、だと思うけど。サウス・ストラグで最近買った物だし、壊れるには早いよ」
「サウス・ストラグって……レオノーラからか?」
「いや、別の店。この村に来るときにそこの前を通ったら潰れてたんだけど、経営不振だったのかな?」
「「………」」
嫌な予感しかしない。
言葉を交わさずとも、アイリスとケイトの間で共有されるそんな思い。
もし、この場にサラサがいれば、彼女もまた強く同意したことだろう。
そんな彼女たちの思いに応えるかのように、次第に振動が激しくなる黒い箱。
あれだけの魔力を籠もった物が放り込まれた箱。
万が一、暴走でもしたら何が起こるのか。
そんな恐怖感から、アイリスとケイトは、一歩、二歩、後ろに下がる。
ガタガタ。
ゴトゴト。
ガッ! ガッ!
まるで、何かが詰まっているような、そんな音すら聞こえ始め――。
ボンッ!
上部の板が弾け飛び、ガランと地面に転がる。
そして、そこから溢れ出す、赤い光とキラキラした何か。
それを見て、ノルドラッドは首を傾げる。
「……おや?」
「お、おい! 大丈夫、なのか?」
破滅的な事態にならなかったことに、アイリスは少し胸を撫で下ろしつつも、明らかに普通の動作とは思えない状況。安心もできない。
「あぁ、うん。大丈夫。ちゃんと魔力量は上がっているし、火属性の値も期待値を上回っているから――」
計測器を確認して、あまり気にした様子もなくそう答えたノルドラッドに、アイリスが詰め寄った。
「そっちじゃない!
「直ちには、人体に影響はない、と思う?」
「直ちには?」
「思う?」
不穏な言葉に、アイリスたちの目が据わる。
その迫力に、ノルドラッドは慌てて手を振った。
「ない、ないです! 単なる魔力だから! よほど魔力耐性が低い人なら気分が悪くなることもあるかもだけど、普通の人なら問題ないから!」
魔力量の少ない人や魔力に触れる機会のない人の場合、急激に大量の魔力に曝されると、魔力酔いという症状になり、気分が悪くなったり、酔っ払ったようになったり、場合によっては意識を失うこともある。
それ自体は身体に悪影響が残る物ではないのだが、安全な場所以外でそんな状態に陥れば、魔力酔いとは別の意味で危険である。
それは現在のアイリスたちのように、何が起こるか判らない状況でも同様だ。
「そうか」
「それなら、そう言えば良いのに」
自分たちには影響がないことを知り、アイリスとケイトはホッと安堵の息を吐く。
二人はそれなりの魔力を持ち、魔力耐性も普通にある。
そもそもこの空間に漂う魔力量は、しばらく前からかなりの量になっているので、気分が悪くなるならすでになっていることだろう。
「で、その
「ああ、うん、そうだね。壊れてしまったのはもちろん残念だけど、最低限の仕事はしてくれたから、取りあえず、今回の実験に問題ないかな?」
「実験……って、なんだ? 魔力量がどうとか、属性がどうとか言っていたが」
自分の考えを開陳できることが嬉しいのだろう。
アイリスの疑問に、ノルドラッドは笑みを浮かべて得意げに話し始めた。
「通常、魔物は魔力の多い場所で発生する。これはボクのこれまでの研究結果からも正しいはずなんだけど、残念ながらまだそれを確認することはできていないんだよ。魔力は拡散する物だから、『魔物が発生しやすいエリア』は判っても、『発生する地点』は判らない」
「……ほう?」
「でも、サラマンダーって、巣の条件がかなり限定的なんだよね。だから、発生場所に関する条件もまた同様だと、ボクは予測した」
これまた、嫌な予感しかしない。
再び思いを共有するアイリスとケイト。
引きつった表情で顔を見合わせる。
そして今度も、その思いは裏切られなかった。
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