018 調査遠征 (4)

 一〇メートル近くも飛ばされ、『ドンッ!』という重い音と共に、岩に叩きつけられるノルドラッド。

 そこが熱水による泥濘でなかったのは、幸運だったと言うべきか。

「ノルド! 大丈夫か!?」

「も、問題ない……。鍛え上げたこの筋肉がなかったら、危なかったけどね!」

 尻尾に強打されたわけではなく、放り投げられる形が良かったのだろう。

 頭を振りつつ身体を起こしたノルドラッドは、その言葉通り、大きな怪我もない。

 ふぅと息を吐きつつ、グッと力こぶを作ったノルドラッドを見て、アイリスのこめかみに青筋が浮かぶ。

「なら、その筋肉で早く尻尾を押さえつけろ!」

 かなりアイリスの言葉が乱れているが、それも当然だろう。

 アイリスたちにとって、溶岩トカゲがさほど脅威でなかったのは、場を整えて有利な状況で対峙していたからこそ。

 正面から戦った場合には、容易く斃せるような相手ではない。

 今は何とかなっているのは、魔力による身体強化が行えているからこそ。

 それが切れてしまえば、アイリスの地の膂力では溶岩トカゲに及ばないのだ。

 彼女自身の命にも関わりかねない。

「無理なら殺す!」

「ま、待って、待って! 今行くから!!」

 アイリスが腰の剣に手を伸ばすのを見て、ノルドラッドは慌てて立ち上がり、溶岩トカゲの尻尾に飛びつく。

「や、やっぱりかなり強い! ぐっ、このっ!」

 先ほどのことで学習したのか、振り回す威力の強い尻尾の先ではなく、できるだけ根元部分を押さえようとするノルドラッドだが、彼をしても溶岩トカゲの力の強さは驚異的。

 いや、アイリスと違い、素の膂力だけで、ある程度でも押さえられるノルドラッドが驚異的と言うべきか。

 だが、何とか拮抗を保てているのも、アイリスとケイトの頑張りがあってこそである。

「こ、この力の強さが、ヘル・フレイム・グリズリーを追い出せる要因なのかな!」

「こんなときでも研究なの!?」

「ぐぅぅ、斃すだけなら、あっさり斃せるのにっ!」

「頑張って、アイリス! もうちょっとだから!」

 何とか足にロープを結び終わったケイトが、胴体にもロープを回し、溶岩トカゲの動きを制限していく。

 罠に使った網も更に絡ませ、身体をひっくり返し、ゴロゴロと。

 そうして格闘を続けることしばらく。

 ついに溶岩トカゲは完全な簀巻き状態となり、のたのたと蠢くだけになった。

「や、やったわね!」

「あぁ! やったな!」

 ぺたんと地面に腰を下ろしたアイリスとケイトとは、達成感に眩しい笑みを浮かべ、パチンと手を合わせる。

 防熱装備があっても防ぎきれない熱気と、激しい格闘によって噴き出した汗が二人の顔を流れるが、無事に捕獲に成功した今となっては、それすらも気持ち良い。

 ケイトは荷物から取り出した水を一口のみ、それをアイリスに渡すと、フードを脱いで汗を拭う。

 そして、同じように水を飲みながら汗を拭っているアイリスと顔を見合わせて微笑み、揃って息をついた。

「今回のは、さすがに疲れたな」

「えぇ、本当に。でもやっと――」

「うん。じゃあ、この調子で、あと数匹捕まえてくれ」

「「え……?」」

 信じられない言葉を聞いたとばかりに、アイリスたちは笑顔を凍りつかせ、呆けたような表情をノルドラッドへ向ける。

「だってほら、検証には対照実験が必要だから。何匹か必要だよね?」

 自身もかなりの苦労をしたはずなのに、何でもないことのように、ノルドラッドは笑顔でそう言い放つ。

「「………」」

 アイリスたちは溶岩トカゲを罠に掛けるまでに掛かった時間と、その後の格闘を思い返し、ノルドラッドをじっと見つめるが、彼の笑顔は崩れない。

「ノルドさん、『何匹か』ってことは、もう一匹ってことじゃないんですよね?」

「当然だよ。二匹を比較しても、大した意味はない。最低でも三匹、可能なら五、六匹は欲しいよね。正確な実験結果を得るためには」

「……ノルド、程々という言葉を知っているか?」

「研究者の辞書にはない言葉だね。代わりに『厳密』という言葉が載っているんだ」

 臆面もなく言うノルドラッドに、アイリスたちは虚ろな瞳で空を見上げたのだった。


    ◇    ◇    ◇


 アイリスたちの試練はそれだけでは終わらなかった。


「溶岩トカゲって、特に高温の泥濘の中に卵を産むらしいんだよね。ケイト君、ちょっと探ってみてくれないかい?」

「この高温の泥の中をですか!?」

「だって、何故ゆで卵にならないか、不思議じゃないかい?」

「不思議でも、近付くと危険が……」

「この柄が付いた網を貸すから」

「唐突に熱水が噴き出すこともあるんだけど!?」

「防熱装備があれば、大丈夫さ! たぶん」

「「………」」


「そうそう、火炎石も調査に必要だったんだ。すまないがアイリス君、できるだけたくさん拾い集めてくれ」

「溶岩トカゲが食べて、ほとんど転がっていないのに!?」

「大丈夫。ほら、あそこの熱水の噴き出し口付近とか、結構残っているよ?」

「いや、熱にはなんとか耐えられても、危険なガスとか――」

「有毒ガス検知ができる錬成具アーティファクト、あるよ?」

「「……………」」


「単独でいる溶岩トカゲを攻撃した場合、逃げ出すけど、集団の場合は反撃されるという話、知ってる?」

「……あぁ、聞いたことはある」

「次はどの程度の集団なら、反撃されるか、検証しようか」

「いやいや! 反撃されたら危ないんだが!?」

「んー、頑張って!」

「そ、それはさすがに……」

「ついでに、個体同士がどのぐらい離れていれば集団と見なされないのか、そのあたりの検証もしたいよね」

「「…………………」」


    ◇    ◇    ◇


「……やっと、本調査ね」

「あぁ……。本当に、やっと、な」

 長き苦行を終えた二人の言葉には、万感の思いがこもっていた。

 護衛を引き受ける採集者がいなくなった理由、そして相場よりも大幅に高い報酬を貰える理由、それを身を以て実感する日々。

 サラマンダーの巣へと続く洞窟を下りながら、絞り出すように言葉を漏らす二人に対し、その後ろを歩くノルドラッドの足取りは軽い。

 右手には明かりの錬成具アーティファクト、左手には簀巻きにされた数匹の溶岩トカゲ。

 それをズリズリと引きずりながら、嬉しそうにニコニコと笑っている。

 だが、それもそのはず。

 前回の調査地では護衛の採集者に拒否されてできなかった各種調査・実験が、アイリスたちが流した血の汗によって実現したのだから。

「いやぁ、本当に助かったよ。あとはそんなに大変なことは残ってないから!」

「……本当か? 本当にか? 本調査はこれからなのに?」

「もちろん! 調査は事前準備が大事だからね。大丈夫だよ!」

 これまでの実績から、かなり疑心暗鬼にとらわれているアイリスに、ノルドラッドは朗らかに笑う。

 実際のところ、これまでの実験もアイリスたちが拒否すれば、ノルドラッドも無理強いはしなかったのだが、不満げながらもしっかりと仕事を熟す二人に、やや要求がエスカレートしたことは否めなかった。

 アイリスたちの育ちの良さと真面目さが禍し、そしてノルドラッドにとっては幸いした結果であるのだが、ノルドラッドもさすがにちょっとやり過ぎたとは反省していた。

 彼にとってはかなり珍しいことに。

 それぐらいに無茶をした、とも言えるのだが。

「仕事だから、できるだけのことはするが……」

「店長さんと違って、一般人なのよね、私たち」

 サラサが聞けば、きっと『私も一般人です!』と、あまり賛同者がいない主張をするだろうが、残念ながらこの場に、サラサの擁護者は存在しなかった。

「ははは……、無事に終われば、報酬に少し色を付けるから、もうちょっと頑張ってくれ」

「むぅ。普通であれば、契約以上は必要ないと断るところなのだが……」

 途中までは『日給に比して楽な仕事』と、少し申し訳ない気持ちすら抱いていたアイリスたちだったが、溶岩トカゲの生息域に入った後は、これまでの楽さを取り戻すかのように無茶ぶりの連続。

 高い日給にふさわしい――いや、それまでとは別の意味で日給に見合わない仕事を要求され、彼女たちの精神はガリガリと削られ、体力と共にかなり疲弊していた。

「正直言って私、クルミがいなければ、ノルドに対する殺意の波動に目覚めていたぞ?」

「まったくですね」

「がう?」

 不意に名前を呼ばれ、アイリスの背中にくっついているクルミが、不思議そうに首を傾げる。

 直接的には、なんら仕事の役に立っていないクルミであるが、日々の無茶ぶりで削られるアイリスたちの精神を毎夜回復させるという、癒やし要員としては重要な役割を担っていた。

 もしクルミがいなければ、殺意云々は冗談にしても、ノルドラッドの希望する実験すべてを終えるまで、アイリスたちが付き合うことはなかったであろう。

 ジロリと向けられた、意外に鋭いアイリスたちの視線に、ノルドラッドは冷や汗を垂らす。

「はは、それはそれは。サラサ君には感謝だね!」

「クルミにもな。――っと、着いたぞ。ここが、私たちがサラマンダーの討伐を行った場所だ」

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