004 研究者の来訪 (3)
「ちょ、アイリス!?」
即座に返答したアイリスさんに、ケイトさんが目を剥くが、ノルドさんが提示した金額は、私も少し驚くぐらいの額だった。
田舎や地方都市は言うに及ばず、王都のような都会でも、一般庶民が一ヶ月働いたところで、金貨二〇枚はなかなか稼げない。
そんな一般庶民に比べると、採集者の稼ぎはかなり多いが、それでも一日に金貨二〇枚をコンスタントに稼ぐことなど、よほどの腕利きでなければ難しい。
敢えて言うなら、氷牙コウモリを乱獲していたときには、アイリスさんたちもそのぐらいの稼ぎがあったけど、アレは例外。
放置されて異常に繁殖していた氷牙コウモリ、私の魔法、普段の買い取り価格よりも高く売れる状況、それらが揃っての非日常だったから。
つまり、ノルドさんが提示した報酬は、それぐらいに高額。
普通なら、護衛の依頼にこの額は出さないし、レオノーラさんの紹介がなければ、怪しすぎると、この時点で追い出しているところだ。
「えっと、ノルドさん、大丈夫なんですか? そんなに出しても」
「まぁ、なんとか? それなりに危険な所に行くわけだから、ある程度は出さないとね。その代わり、必要な装備や食糧は全部自前で用意してもらうことになるけど」
なるほど、サラマンダーの棲み処に侵入するために必要な耐熱コートなどの防熱装備、それらのコストを含めて考えると、ある意味妥当な報酬なのかも?
アイリスさんたちはすでに持っているけど、新たに購入しようとすると、このぐらいの報酬でも割に合わないし。
「もっとも、今回の論文が認められなかったら、しばらくは別の仕事で資金を貯めないと、次の研究に取りかかれないんだけどね。ハッハッハ!」
聞いてみれば、これまでの研究結果に支給された褒賞金と、論文を纏めた書籍の売り上げ(これは微々たる額みたいだが)、それらすべてを今回のサラマンダー調査の原資に充てているらしい。
しかし、アイリスさんたちに支払う報酬に加え、ここに来る前の調査地でも同じようにコストはかかっているはずで――。
「褒賞金って、結構たくさんもらえるんですね?」
「まぁね。認められれば、だけど。下手に褒賞金を見込んで、借金で研究費を賄ったりすると、もらえなかったときに人生終了のお知らせが届いちゃうから、なかなかに厳しいお仕事なんだけどね」
「ですよねぇ、やっぱり……」
この国で奴隷は認められていないけど、借金から簡単に逃れられるほど甘くもない。
半強制労働的に、体力的にキツい仕事をさせられるぐらいは当たり前。
違法行為でさえなければ、仕事を選ぶことなんてできなくなるし、若い女なら多くの場合、娼館に放り込まれるし、需要さえあれば、男も例外ではない。
私も噂に聞いただけだけど、借金の額によっては違法スレスレ、ちょっとまともじゃない、かなり酷いところに斡旋されるらしい。
孤児院を出た子たちの中にも、借金で身を持ち崩した人は少なからずいる。
だから、借金はとても怖いのだ。
まぁ、無事に錬金術師になれた私には、関係ないけどね! ふっふっふ。
「ちなみに、ノルドさんに借金は?」
「大丈夫。一応ボクは、失敗しても無一文になるだけに抑制しているから」
それは、“抑制”と言って良いのだろーか?
無一文でも、稼ぐ能力はあるってことなのかもしれないけど。
「それで、どうかな? 請けてもらえるのかな?」
「私は先ほど言った通り、請けたいと思っている。ケイトはどう思う?」
「そうね……店長さん、リスクはどうかしら?」
「……下手なことをしなければ、そこまでの危険性はない、と思いますよ。ヘル・フレイム・グリズリーが戻ってきている確率はほとんどありません。前回のことを考えても、行き帰りで危険な魔物に遭遇することも、たぶんないと思います」
少し考えて出した私の答えに、ケイトさんは腕を組んでしばらくの間、思案。
やがてゆっくりと頷いた。
「なら……、私も賛成、かしら。店長さんにも早く借金を返したいし」
「アデルバート様からも返済される予定ですし、そこまで焦る必要はないですが……返してくれたらくれたで、ありがたいですね」
ロッツェ家のように、農村程度しか領地を持たない貴族の場合、その税収が入るのは秋の収穫後。
大抵は農作物で納められ、それをそのまま貯蔵したり、一部を売却して現金にしたり。
ただ、収穫直後は相場が一番下がる時期でもあるので、それを考えずに売却してしまうと損をすることになる。
これまでは借金の返済のため、それを考慮する余裕がなかったみたいだけど、今後の返済相手は私。
時宜を得て現金に換え、返済してください、と伝えている。
結果、まだ返済はないわけだけど、別に困ってないしね……アイリスさんの微妙なアプローチ以外は。
「では、ノルド。その依頼、正式に請けよう」
「ありがとう! いや~、助かるよ。――この前の所じゃ、これだけ出しても請けてくれる人がいなかったから」
「……んん?」
ノルドさんから、なんだかボソリと不穏な発言が。
だが、私がその事を聞き返す前に、彼はパンと膝を打つと、笑顔で立ち上がった。
「それじゃ、早速向かおうか!」
「――は? いやいや、さすがに私たちにも準備が必要だぞ? そもそもノルド、お前は大丈夫なのか?」
一瞬呆けたアイリスさんが訊ねれば、ノルドさんは自慢げに頬を上げる。
「ふっ。研究者たるもの、何時いかなる時でも研究に打ち込めるよう、保存食の貯蓄は万全さ! ……あ、でも、今回はテントの準備が必要かな? アイリス君たちのテントにお邪魔するわけには――いかないし」
「当然です」
チラリと視線を向け、ケイトさんが首を振るのを見てとると、ノルドさんは少し考え込んだ。
「前回の護衛は男だったから入れてもらえたんだけど……サラサ君、テントって売ってる、よね? 錬金術師のお店なら」
「えぇ、フローティング・テントがありますよ。ただ、受注生産なので、少しお時間は頂くことになりますが。――あ、でも、少し高くなっても良いのであれば、短期間で作ることもできます」
テント作りで時間がかかるのは、革の縫製。
今は村のおばちゃんたちに頼んでいるので、私一人がやるよりもかかる時間は短くなってるけど、今日注文を受け付けて、数日で完成するほどには早くない。
おばちゃんたちにだって予定はあるし、私だってテントだけに取り付いて、ずっとチクチクやってられるほど暇じゃない。
けど、そんな問題を一挙に解決する逸品がこちら!
……うん、変な名前だよね。
名前は変だけど、その効果は驚異的。
簡単に言うと『革用の強力な接着剤』なんだけど、これが凄いのは、単に接着するだけじゃないところ。
ちょいちょいと塗りつけて革同士を密着させれば、乾いたときには完全に一体化してしまうのだ。文字通りの意味で。
隙間なんてないし、剥がれることもない。
上手く貼り合わせれば、最初から一枚の革だったかのようにくっつけられるので、複雑な形状の革製品を、一切の継ぎ目なく作ることだって可能。
ただし、本当に見分けが付かないように接着するには、革の種類とか、新しさとか、色々と条件があって、技術的にも難しいから、簡単にはいかないんだけどね。
でも、単純に貼り付けるだけなら簡単に使えて、時間もかからないし、縫うのに比べて強度も高い。
それに加えて、縫い目から水が染み込んだりすることもないので、テントや革袋などを作るときにはかなり便利で、高品質な物が作れる。
唯一の欠点は、その価格かな?
革袋みたいに安価な実用品だと、まず使えない。
多少品質がアップしたところで、お値段が何倍、下手したら何十倍にもなった革袋なんて、売れるはずもないから。
フローティング・テントぐらい本体価格が高く、縫製に手間がかかる製品なら、相対的にカワックのコストは下がるけど、それでも決して安くはない。
少なくとも、この村の採集者なら、縫製の方を選ぶぐらいには。
「一人用のサイズを急いで作るといくら? ――あぁ、そのぐらい? なら、それで。完成には何日かかる?」
買えるのかな? と思いつつ、まずは相場に特急料金として少しだけ色を付けて提示してみれば、ノルドさんはあっさりと頷いた。
値引き交渉されるかと思っていたから少し驚きつつ、私は顎に手を当てて考える。
他の仕事をそっちのけにして、フローティング・テントだけに集中するなら三日もかからないんだけど……。
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