020 不意の訪問者 (3)

「この状況で帰って来いと言うことは、お金を貸す条件が、私との婚姻なのですね?」

 アイリスさんのその言葉に、アデルバート様とカテリーナさんが静かに頷く。

「そんなっ! 奥様は、奥様はなんと仰っているのですか!」

「奥様は反対されています。『娘をお金で売るような事はできない』と。私ももちろん反対なのですが……」

「我々は貴族なのだ。第一に考えるべくは領民の事だ。必要であれば、私情を捨てねばならん」

 厳しい表情で言うアデルバート様に、アイリスさんは諦めたように頷く。

「そうですね。ある程度の覚悟はありましたが……仕方の無い事なのでしょうね」

「アイリス! 良いの、本当に、それで!」

「貴族の娘なのだ。意に沿わぬ婚姻など、よくある話だろう。むしろ私の年齢を考えると遅いぐらいだ。求められるのであれば、ありがたいぐらいだろう?」

 そう言ってアイリスさんは微笑むけど、その表情はどこか痛々しい。

「でも――っ!!」

「良いのだ、ケイト。領民のために必要であれば行動する。それが貴族だろう? ですが、お父様。店長殿への借金がまだ返済できていないのですが……」

「そう、そうよ! アデルバート様、まさか恩を返さないなんてこと、貴族の矜持としてあり得ませんよね?」

「うむ、その話は聞いている。家中から集めてきた。これだけあれば、返済して多少の礼をするに足りるだろう」

 そう言ってアデルバート様は、懐から取り出した小袋をテーブルの上に置く。

 ケイトさんはその小袋を、半ば奪うようにして手に取ると、逆さまにして中の硬貨をテーブルの上に広げる。

 そしてそれを手早く数えると、少し頬を上げて口を開いた。

「アデルバート様、全然、足りません。半分にも満たないです」

「なにっ!? そんな馬鹿な! 治療費という話だっただろう。それで足りないなど……まさかっ!」

 半分ぐらい他人事として聞いていた私に対し、アデルバート様の鋭い視線が突き刺さる。

「え、えっと……」

「違うのです、お父様! すべて私の責任なのです! ですから、店長殿にそのような目を向けないでください」

 椅子から立ち上がったアイリスさんが、戸惑う私を庇うように前に立ち、アデルバート様の視線を遮る。

「アイリス……だが、治療費としてはいくら何でも……」

 少し面食らったかのように言葉を漏らすアデルバート様に、アイリスさんは首を振る。

「間違いなく、適正な治療費なのです。いえ、むしろ安すぎるぐらいで……」

「どういうことだ?」

 困惑した表情を浮かべるアデルバート様に、アイリスさんは少し躊躇った後、諦めたように口を開く。

「実は採集作業中のミスで、私は死にかかったのです。片腕がちぎれてしまうほどの大怪我を負い、毒に犯されて……」

「なんだと! 聞いていないぞ!?」

「――っ!」

 アデルバート様が大きな声を上げ、カテリーナさんも顔を青くして、息をのむ。

 アイリスさんはそれを予想していたように軽く息を吐くと、言葉を続ける。

「お手紙を差し上げた時には回復していましたので、無用な心配をかける必要は無いかと、詳細は省いたのです」

「むむむっ……だが、今アイリスの腕は普通に動いているようだが?」

「はい、それも店長殿のおかげです。店長殿がこの村にいなければ、私の命は無かったでしょうし、仮に助かったとしても、私の片腕は失われていたでしょう」

「それは私も保証します。命はなんとか、と思っていましたが、腕の方は……見るからに酷い状況で、ほとんど諦めていましたから」

 ケイトさんが補足するように、あのときの詳しい状況を説明する。

 直接の原因が、未熟な採集者にあるとのくだりでは、アデルバート様、カテリーナさん揃ってかなり厳しい表情になったが、最終的に問題なく回復したところまで話が進むと、ほっとしたように息を吐いた。

「そんな私を、店長殿は救ってくれたのです。初めて会った私に対し、ケイトの口約束だけで、とんでもなく高価な錬成薬ポーションを使ってくれて」

「そうだったのか……。確かにその状況ではそれぐらいの治療費は当然、いや、今何の違和感もなく繋がっている事を思えば、むしろ安いぐらいだな」

 普通に動いているアイリスさんの腕に手を触れ、アデルバート様は安堵と感心が交ざったように言葉を漏らす。

 そして、改めて私に向き直ると謝罪を口にした。

「サラサ殿、大変申し訳なかった。とても失礼な事をしてしまった」

「い、いえ、治療費として高いと思われるのは当然ですから」

 平民なら、一生かかっても稼げないような金額。

 詳しい事を知らないで、『治療費です』と言われたら、騙されているのではと疑うのも仕方がない事だと思う。

「そう言っていただけると助かる。そして改めて、娘の命を救っていただき、誠にかたじけない」

「それは、アイリスさんの運が良かった事に加えて、ケイトさんのおかげでもありますね。あのときケイトさんが、躊躇いなく同意したからこそ、高価な錬成薬ポーションを使えたので」

「そうか。ケイト、助かった」

「いえ、私は当然の事をしたまでです」

 などと言いながらも、少し誇らしげに口角を上げるケイトさん。

 そんなケイトさんを見て、母親であるカテリーナさんも、微笑んで頷いている。

「だがしかし、困ったな。十分に足りると思ったのだが……借金を抱えている当家では、さすがにこれ以上金を集めるのは難しい」

 大きな方の借金をなんとかできる目処が立ったので、無理して集めてきたのが今回持ってきたお金らしい。

 全額必要になるとは思っていなかったらしく、これをすべて使ってしまうだけでも厳しい状況。

 これ以上、更に集めるなどという事は、どうやっても無理なようだ。

「なら、やはり――」

 どこか嬉しさを隠しきれないような表情で言いかけたケイトさんを遮るように、アデルバート様は私に向き直ると口を開いた。

「サラサ殿、大変申し訳ない上に厚かましい願いなのだが、しばらく返済を待っていただく事は可能だろうか? もちろん証文は書くし、利息をつけていただいてもかまわない」

「えっと……」

 ケイトさん、そんな祈るような表情を見せないで!

 下級貴族である騎士爵とはいえ、相手は普通の――いや、話を聞く限り、かなり高潔な貴族。

 無礼ならば貴族でも気にせず蹴っ飛ばす師匠とは違って、私は常識的な答えしか返せないんだから!

「きちんと証文として起こしていただけるのであれば、私としては……はい」

「そうか、ありがたい」

「………」

 だからケイトさん、『裏切られた!』みたいに見られても困るよ。

 私が貴族であるアデルバート様相手に、『即刻、現金で返せ』とか、『返せないならアイリスさんは貰っていく!』とか、『借金が返せるまで、アイリスさんとケイトさんはここでタダ働きじゃぁ~!』とか、言えるわけないじゃない……。

「アデルバート様、本当によろしいのですか? いくら領民のためとはいえ、アイリスはロッツェ家の嫡子。その申し出を受け入れるならば、商人に家督を奪われるようなものかと」

 私は無理と解ったのか、ケイトさんはアデルバート様相手に説得を試みる。

 しかし、アイリスさんを呼び戻すため、ここに来ている以上、家中でいろいろな検討はしただろうし、決意は固いのだろう。

 アデルバート様は渋い表情のまま、やや疲れたように首を振る。

「もちろん儂としても、あまり喜ばしい事ではない。だが、当家のような弱小貴族、しかも大きな借金を抱えている状況にもかかわらず、金を出しても良いというのだ。そう悪い人物でもあるまい」

 自らに言い聞かせるような力ない声に、アイリスさんの方も少し寂しげに笑い、尋ねる。

「そうかもしれませんね。お金があるのなら、今後、以前のような飢饉が発生しても借金の必要がなくなるかもしれませんし」

「アイリス……」

 そんなアイリスさんの表情を見て、自分の方が泣きそうな表情でケイトさんが言葉を漏らす。

 い、居たたまれない!

 貴族だから仕方ないのかな、と思わなくもないけど、その対象が親しい相手となると……。

 ――えっと、私、中座しちゃマズいですかね?

「それでお父様。相手は何という方なのですか?」

「うむ。最近、急逝した父親の後を継いだ青年でな。サウス・ストラグの町で、大きな商会を切り盛りしている。儂も会ったが、なかなかの好青年だったぞ? 名をホウ・バールと言う」

「……おや?」

 図らずも声が漏れる。

 なんだか、どこかで聞いた事があるようなお名前、ですよ?

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