019 不意の訪問者 (2)

「連れ戻しに……? え? どういうことですか?」

 困惑を表情に浮かべ、戸惑うアイリスさんに対し、ケイトさんの反応は激しかった。

 半ば椅子を蹴るように立ち上がると、バンッとテーブルに手をついて声を上げた。

「そうです! その事については、散々話し合った事で――!」

「落ち着きなさい、ケイトちゃん」

「でも、ママ!」

 くってかかるケイトさんに、カテリーナさんは落ち着かせるように手を上げ、穏やかな声で話す。

「アデルバート様の前ですよ?」

「うっ……、す、すみません」

 言葉を詰まらせたケイトさんは、アデルバート様に視線を向けると、軽く頭を下げて椅子に座り直した。

「いや、ケイトの反応は当然だ。だが、状況が変わったのだ」

 そう言うアデルバート様の表情はかなり苦い。

 隣に座るカテリーナさんも似たような表情なので、お二人にとってもこれは不本意な状況なのかもしれない。

「あの、私は席を外しましょうか? ご家族のお話みたいですし……」

 プライベートなお話に、私が腰を上げかけると、それを制するようにアイリスさんが手を上げた。

「いや、店長殿、ここにいてくれ。もし私が家に戻るとなると、お借りしているお金の事もある」

「それは……そうですね」

 アイリスさんたちの事は信用しているけど、このまま送り出して、『いつでも良いからお金送ってね!』というのは、さすがに難しい。

 残っている借金は、私からしても決して安い金額ではないのだから。

「それでお父様。一体どういうことなのです? 私とケイトが外に出てお金を稼ぎ、そのお金で借金を返していく、そういう話だったじゃありませんか」

 なるほど。

 アイリスさんとケイトさん、若い女性二人だけで採集者をしているのには、そんな理由が。

「……ん? あれ? ちょっと待ってください。もしかして、アイリスさん、私以外にも借金があるんですか?」

「うっ! じ、実はそうなのだ。すまないっ!」

「正確にはアイリスじゃなくて、『アイリスの家が』だけど」

 気まずげに言葉を詰まらせるアイリスさんに、ケイトさんが注釈を入れる。

 それに伴い、私がアデルバート様に視線を向けると、彼もまた渋面を作って頷く。

「そうなのだ。情けない事だが」

「でもあれは、飢饉で仕方なく――っ!」

「言うな。備えができていない時点で、領主として力不足なのだ」

 アイリスさんの、庇うような勢い込んだ声を遮って、アデルバート様は首を振る。

 ――でも、そっか。飢饉か。

 飢饉の時の対応は、領主によってかなり異なる。

 たとえ領民が飢えようとも、容赦なくいつも通りに税を徴収する領主。

 飢饉の時には税を軽減する領主。

 そして、私財を使って食料を買い込み、支援を行う領主。

 話を聞くに、アデルバート様の所では支援が行われたのだろう。

 いくら身代の小さな騎士爵といえど、まさか自分たちが食うに困って借金をした、なんてことは無いと思うし。

「それで、アイリスさんたちが採集者になって、少しでも返済を、と?」

「そういう事なのだ。まだまだ未熟だが、多少は足しになったらと思ってな」

「あのままだと、一向に減りそうに無かったですからね」

「貴族だと……そうでしょうね」

 貴族の主な収入は、国から支給される年金と領地から入る税収の二つ。

 年金の方は爵位によって決まっていて、ほぼ変動は無い。

 役職などに就ければ加算されることもあるが、騎士爵、それも領地貴族ではそんな機会はほとんど巡ってこない。

 税収の方は領地が発展すればしただけ多くなるけど、村二つだけの領地、そんな簡単に税収が増えるはずも無く……借金額が大きいと利息も増えるし、厳しいよね。

 領地経営の傍ら、副業で稼ぐ貴族もいるようだけど、よほどの才覚がなければ成功なんてしない。

 その結果が、アイリスさんたちによる出稼ぎなのだろう。

「ちなみに、借りているお金、いくらぐらいか聞いても良いですか?」

「店長殿は、私にお金を貸している立場、訊く権利はあるだろうな。およそ、六五〇〇万レアだ。――ですよね、お父様」

「あぁ。お前たちのおかげで、わずかに切ったとは思うが、六四〇〇万にはまだまだ届いていないな」

 うむ、と深く頷くアデルバート様だけど――。

「えっと、多く、ないですか? 村二つなんですよね?」

 一般的な六人家族程度の平民の場合、節約すれば一〇万レアで一年間、なんとか生活ができる。

 まさか丸抱えなんてしないだろうから、実際には一〇万レアも必要ないだろうけど、それで計算しても六五〇世帯。

 利息によって増えたとしても、村二つだけの領地にしては、ちょっと借金が多すぎる。

「そうなのだが、私たちが支援していると聞いて、少なくない流民が流れ込んできてな……。それの対応にも金が必要になったのだ」

「なるほど、流民ですか……」

 アデルバート様の領地が飢饉ということは、アデルバート様の統治によほどの問題でもない限り、周囲の領地でも同様なわけで。

 もし苛政を行っている領地に接していたとするなら、手厚い保護をしてくれるアデルバート様の領地に難民が流れてくるのも当然だよね。

 それに対応するなら、食糧に加えて住む場所などの支援も必要となる。

「後は、利息ですね。借りてしばらくの間は全く返済ができませんでしたから、今残っている借金の額は、借りた額よりもかなり大きいんです」

「これがなかなか重くてな……」

 カテリーナさんが説明を付け加え、アデルバート様はその言葉通り、重いため息をつく。

 問題となったのはやはり難民のようで、天候が回復すれば元通りになるこれまでの領民に対し、難民には生活基盤が存在しない。

 それの対応にも継続的に資金が必要になり、それらが終わるまでは完全に返済が滞り、利息によって借金は増える一方。

 数年後、やっと落ち着いて返済を始めたが、膨れ上がった借金の利息は馬鹿にならず、返済を続けていても、普通に得られる収入だけではなかなか元本が減らない状態らしい。

「アイリスたちが頑張ってくれているおかげで、最近は少し減らせるようにはなったのだが……」

「それも、私が怪我をして以降は……」

「店長さんへの返済が先だったから」

 担保も契約書も無く貸している私に返すのが優先と、実家への仕送りはほぼゼロになっていたようだ。

「律儀ですね。普通なら、むしろこちらを後回しにしそうですけど……」

「そんなわけにはいかない! 恩には必ず報いるのが我が家の家訓! 店長殿を優先するのは当然の事だ! ――ですよね、お父様?」

「うむ。もちろんだとも」

 確認するようにアデルバート様を見たアイリスさんに、アデルバート様はどこか誇らしげに、大きく首肯した。

 だが、次のケイトさんの言葉ですぐに渋面に戻ってしまう。

「では何故、今になって家に戻れと? 店長さんへの返済はまだ終わっていないのですが。アデルバート様」

「……状況が変わったのだ」

「借金の一括返済を求められたのです」

「そんな――っ!」

 カテリーナさんの言葉に、アイリスさんとケイトさんが絶句する。

「貴族のアデルバート様相手に、となると、借金相手も貴族ですか?」

「そうだ。この辺り――サウス・ストラグの町やこの村などを治めているヨクオ・カーク準男爵より借り入れている」

「うちの領はカーク準男爵領と接した場所にあるのだ。非常に小さな領なのだがな」

 私の疑問に、アデルバート様は頷き、アイリスさんも補足を入れる。

 でも、そっか。

 アイリスさんとケイトさん、この村の領主に対して隔意があると思ったら、そんな繋がりが……。

 いや、この村に対するこれまでの対応を見るに、私自身、隔意を持たれるに十分に値する人物だとは思ってるけど。

「私たちの足下を見て、高い利息をふっかけたのだ、あのカーク準男爵は。それなのに、今度は一括で返せ、などとっ!」

 憤懣やるかたないと声を荒らげるアイリスさんだが、アデルバート様の方は、低く唸るように声を漏らし、首を振る。

「返済期限は過ぎているのだ、文句は言えん。儂も他のところから工面できないかと、手を尽くしたのだが、我が領の規模で、これだけの大金は……」

 村二つだけしか持たない騎士爵相手に、六千万レア以上ものお金を貸す人はいない。そういう事なのだろう。

「一カ所だけ、貸しても良いという相手はいたのですが……」

 言葉を濁すカテリーナさんに、アイリスさんが納得した様な表情になった。

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