009 調査 (1)

 目的地への行程は、遅々として進んでいなかった。

 その原因は――。

「こ、これはナルスナッチ! 滅多に見つからないのに、ついていますね!」

 石の上にいた鮮やかな黄緑色の粘菌を丁寧に取り、瓶の中へ。

 これを見逃すなんてあり得ない。

「タイニールタックが生えています! これは良く注意していないと見落としちゃうので、気をつけてくださいね」

 倒木の裂け目、その中に生えていた薄黄色の小さなキノコを、ピンセットで半分ほど回収。

 一株が一センチほどしかない上に、潰れちゃったら価値がなくなるので、一本ずつ慎重に箱の中へ。

「この苔はブルーパウダーですね。普段は緑の苔で価値がないんですが、この時季だけ青い粉をふいて、価値が出るんです」

 粉が重要なので、息を止めて丁寧にナイフで剥ぎ取り、革袋の中へ。

「いやー、さすがは大樹海! 素材の宝庫ですね! これなら収入三倍も夢じゃないですよ、アンドレさん」

「それは嬉しい情報だが……ヘル・フレイム・グリズリーの調査の方は良いのか?」

「……おっと。そっちがメインのお仕事でした。良い素材が多いので、つい。えへへ」

 やや呆れたような表情を浮かべたアンドレさんに指摘され、本題を思いだした私は笑って誤魔化す。

 でも実際、これだけいろんな素材があったら、多種多様な錬成薬ポーション錬成具アーティファクトが作れるわけで。師匠がここを奨めたのも、ちょっと理解できる。

 持ち込みが少なければ、また自分で採りに来ようかな?

「サラサちゃんが集めた素材、全部俺たちの知らない物ばかりだったからなぁ。実はかなりもったいないことしてたんじゃねぇの? 俺たちって」

「知らない以上はどうしようも無い。俺たちの勉強不足だ」

「それは私たちも同じだな。店長殿、それら素材の情報は、先日来、店長殿が読んでいた本に載っているのか?」

「そうですね、ある程度は載ってますね。私もあれを読んで、当たりを付けて探しているところもありますから」

 簡単に目に飛び込んでくるブルーパウダーやナルスナッチなどはともかく、タイニールタックなどは、『この辺りに生えているかも』と思って目をこらさなければ、移動しながら見つかるような素材ではない。

 半ば忘れていたけど、今の私たちの目的は、ヘル・フレイム・グリズリーの生息地に行くこと。ゆっくりと周囲の探索をしながら移動してるわけじゃないからね。

「そうなのね。店長さん、今度読ませてもらっても良い?」

「ケイトさんたちなら、もちろん構いませんよ。買い取りが専門の私としては、素材の種類が増えるのは嬉しいことですし、できれば他の採集者にも情報を広めたいところですが……難しいんですよね」

「まぁ、本は高いからなぁ。安易に貸すわけにもいかねぇよな」

「それもありますが、あの本、名前は載っていても、特徴や注意点などは書いていないので、対象物に対する知識が無いと、無意味なんですよね」

 本に『この辺りではタイニールタックが採れる』と書いてあっても、タイニールタック自体を知らなければ見つけることができないし、見つけたとしても、採取における注意点を知らなければ、下手をすれば採ってきた素材が無価値となる。

 アイリスさんたちなら、知らなければ私に訊けばいいだけだけど、他の採集者はそうではない。

 つまり、彼らに本の内容を教えるなら、一緒に採集物に関する多くの情報も教える必要があるわけで、それはなかなかに大変。

 簡単に言えば、私が錬金術の学校で受けた授業を、採集者相手にやるようなものなのだから。

 少なくとも、お店をやりながら片手間に行えるようなことではない。

「あとは、お金に目がくらんで、中途半端な知識で森の奥に入ると、犠牲が出ますから、下手なことはできない、というのもありますね」

「やっぱり、森の奥は危険なのよね?」

「えぇ、当然。例えば、こんな感じに――」

 私は素早く剣を抜くと、ケイトさんのすぐ顔の横を振り抜く。


 シュッ。ザク。ドサッ。


 私の腕よりも一回りほど細い蛇が、頭と胴体に分離され地面に転がった。

 血を吹き出しつつ、のたうつ蛇にケイトさんが目を丸くして、唇を震わせる。

「い、いつの間に……」

「結構蛇はいますよ? 近寄ってこないので、無視してましたが、これはケイトさんに近かったので。これも素材になるので回収ですね。ちなみに、咬まれると死ぬので注意です」

 血が出なくなった蛇の死体を革袋に放り込む私に、アンドレさんが戸惑ったように声をかけてきた。

「え、いや、あっさり言うけど、サラサちゃん。そんなのが普通にいるのか? この周辺」

「それなりに? 大丈夫ですよ、魔物じゃなくて動物ですから、こちらから手を出さなければ、滅多に襲ってくることはありません」

 それ故、私も魔法を使わなければ、簡単には見つけられない。

 あまり使い道が無いので、近くにいなければ敢えて狩る必要は無いんだけど。

「……万が一、咬まれたら?」

「運が無かったと思って、諦めましょう」

 ゴクリと喉を鳴らすアイリスさんに私があっさりと答えると、ギルさんたちも表情を歪める。

「マジで? 大樹海、侮れねぇな」

「ウチでそれ用の解毒薬を買っておけば大丈夫ですよ。死ぬまで数分程度は猶予があります」

「それって……使えば数分程度の猶予ができる、ってわけじゃないよな? 助かるんだよな?」

「………(にっこり)」

「お、おい!?」

「冗談です。それ用の解毒薬なら助かります。別の解毒薬だと無意味ですから、何の蛇に咬まれたのかは、きちんと認識する必要がありますけど」

「それを含めて、知識不足は危ないって事か」

「そういう事です。ちなみに、柔軟グローブは貫けませんから、もしもの時には手を挟むのがお奨めです」

「おい、アンドレ! 柔軟グローブを出せ! 付けるぞ」

「おう!」

 私の言葉に、アンドレさんがすぐに荷物を下ろし、中から取りだした柔軟グローブをグレイさんたちに配る。

 ちなみに、アイリスさんたちは普段から着用しているので、その点は問題ない。

「あ、毒が出るのは上顎の牙ですから、手を入れる時には、そちら側に。咬まれる前に頭を掴むのが一番良いですけどね」

「それは、なかなか難しそうね……。他に対処法は無いの? 蛇を避ける錬成具アーティファクトとか」

「無いとは言いませんが、普通は柔軟グローブの様に、蛇の牙が通らない防具を身につけるのが妥当でしょうね。コスト面でも、他の安全面でも」

 

 ――などと、素材のレクチャーや危険に対する対処方法を話している間にも日は傾き、その日は少し開けた場所を見つけて、野営をすることになった。

 私が今回、野営のために準備した錬成具アーティファクトは主に二つ。

 先日作ったばかりのフローティング・テントと小型の魔導コンロ。

 虫除けの錬成具アーティファクトはアンドレさんたちが持っているし、テントにもその機能が付いているので、不要。

 危険な生物の感知や明かりなどは魔法で対処できるので、用意してきていない。

「ほぉ~、これが例のテントか。採集者たちの間で話題になっていた」

「アンドレさんたちは初めてですか? 現在、ウチのお店で販売していますから、よろしければ、是非」

「これ、一度使うと欲しくなるんだよな」

「そうね。快適だもの」

 私が準備するテントを見て、しみじみと頷くアイリスさんたちの様子に興味を引かれたのか、アンドレさんたちも近づいてくる。

「そんなにか? ……ちょっと入ってみても良いか?」

「えぇ、どうぞ」

 私がテントの入り口を開けて誘うと、アンドレさんたちは浮かんでいる床面に、ややおっかなびっくりと足を乗せ、中に入る。

 そして、ゆっくりと横になると揃って声を上げた。

「こ、これは、何と適度な柔らかさ」

「すげぇ! 滅茶苦茶寝心地が良いじゃねぇか」

「宿のベッドよりも楽だな、これは。しかも涼しい……」

「でしょう? いかがですか?」

 寝心地には自信があります――ってわけじゃないけど、ほどよく沈み込む感じが結果的に寝心地の良さにも繋がっている。

 冬場なら毛布を、夏場ならゴザの様な物でも敷いておけば、快適に寝られることは間違いない。

「でも、高いんだろ? これだけのテント」

「えぇ、それなりに。追加機能によって、値段も上がりますし」

 このテントは虫除けと空調の機能が付いているけど、魔法が使えない人なら、危険な生物が近づいた時に警告を出す機能や、明かりを灯せる機能などもあると便利だろう。

 テントから出てきたアンドレさんたちに、大きさごと、そして機能毎に大まかなお値段を伝えると、彼らは腕を組んで悩み始めた。

「むむ……。今の蓄えで買えないことはないが……」

「これだけの錬成具アーティファクト、たけぇとは言えねぇが」

「うむ。これがあれば採集は捗る――ん? いや、ちょっと待て。そもそも俺たち、泊まりがけで採集、してなくないか?」

 グレイさんの言葉に、アンドレさんとギルさんも、ハッとした様に息をのみ、私に顔を向ける。

「そこに気付いてしまいましたか」

 うん、実際の所、村に在住している大半の採集者には必要が無い錬成具アーティファクトなんだよね。

 むしろ、行商人のグレッツさんやダルナさんたちの方に需要があるだろう。

 でも、たまにサウス・ストラグへ仕入れに行くだけのダルナさんは使用頻度が低いし、頻繁に使いそうなグレッツさんも、先日、両親に錬成具アーティファクトのハーベスタを贈ったところなので、フローティング・テントを買う余裕は無いだろう。

「サラサちゃん、大丈夫なのか? サラサちゃんのことだから、無理に薦めたりはしてないと思うが……」

 フローティング・テントを買った採集者から不満が出ないかと訊くアンドレさんに、私は当然と頷く。

「えぇ、それはもちろん。ただ、あんまり使用頻度が低いともったいないですし、不満も出るかもしれませんから……それもあって、森の奥の情報を広めたいとは思っているんですよね」

 森の奥に入れば採集者の利益は増えるし、私も買い取れる素材が増える。

 泊まりがけになる事も増えるだろうから、フローティング・テントだけではなく、野営をサポートする様な各種錬成具アーティファクトも売れる。

 本来は、双方に利があることなんだけど……。

「問題は、広める情報と採集者の技量、知識などのバランスか」

「そうなんですよ」

「私やアイリスは、店長さんに色々聞けるけど、他の採集者はそうじゃないものね」

 ちなみに、そのあたりの経験や知識は、先輩の採集者から教えてもらうのが定石。

 ただ、この村の場合、錬金術師がいなかった期間が長いので、知識の継承の空白ができているわけで。

「そのあたりも含め、ベテランのアンドレさんたちには期待しているんですよ?」

 そう言った私に、アンドレさんたちは眉間に皺を寄せて首を捻る。

「俺らかぁ……。俺たちも、先輩たちから多少は手ほどきを受けたが、あの頃は、奥に入れるほどの腕は無かったからなぁ」

「だよな。話を聞くぐらいで」

 つまり、村でベテランのアンドレさんたちでも、実地訓練は積んでいないって事になる。

「まぁ、頑張るしかないだろう。俺たちも先輩から恩を受けているんだから」

「はい、よろしくお願いします。私も知識面でサポートしますから」

 今回の依頼で、少しでも経験を積んでくれれば、私としても助かるんだけどね。

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