005 蜂蜜採取とその成果 (3)
無事にお薬が完成した頃、やっとアイリスさんたちは、少しの時間ならおトイレから離れる事ができるようになっていた。
おトイレから出てきたケイトさんにアイリスさんは恨めしそうな視線を向けていたが、文句を言う元気も無いのか、机の上に顎を乗せてぐったりとしている。
そしてそれはケイトさんも同様で、アイリスさんほどではないけれど、机に身体を預けて動かず、瞳が死んでしまっている。
「……お二人とも、僅かな時間で少し痩せましたね?」
「痩せたと言うよりも、
かなりの水分が身体から抜けてしまったからか、明らかに体調不良。
普段の凜々しさの欠片も無い。
「一応、お薬が完成しましたが……」
「か、かたじけない、店長殿」
テーブルの上に置いた薬瓶に手を伸ばしたアイリスさんから、私はスッと
「店長殿……?」
不思議そうにこちらを見るアイリスさんに、私は右手の薬瓶を持ち上げて言う。
「まず、こちら。この
「な、なるほど」
うむ、と頷くアイリスさんに私は、今度は左手の薬瓶を持ち上げる。
「対してこちら。効果は劣りますが、借金が増える事はありません。さぁ、どちらを選びますか?」
「ぐぬぬぬ……」
私としてはどちらでも良いんだけど……いや、せっかく作ったんだから、保存の利かない方を使ってくれる方が嬉しいかな?
お店の利益を考えるなら、断然、効果の高い
「むむむ……や、安い方で!」
「はい。ではどうぞ」
現在の経済状況とお腹の調子などを鑑みてなのか、しばらく悩んで末にアイリスさんが手を伸ばしたのは、私の左手。
「ケイトさんはどうします?」
「……アイリスがそちらを選んだのに、私が高い
ケイトさんはやや渋々と、アイリスさんと同じ薬瓶を手に取る。
そんな二人の様子を見て、なんだか冷や汗を垂らしているロレアちゃんに私は声をかけた。
「ロレアちゃん、水を二つ、準備してくれる?」
「は、はい!」
製造工程を見ているロレアちゃんは、その重要性がすぐに判ったのだろう。
素早く立ち上がると、コップに水を汲んできて、アイリスさんたちの前に並べた。
「ささっ、グイッと。何も考えず、何も見ず、一気にいっちゃってください」
「あ、あぁ……ぐぁ! なんだこれは! 本当に薬なのか、店長殿!?」
せっかく何も考えず、と忠告してあげたのに、瓶の蓋をおそるおそる開けてしまったアイリスさんは、そこから漂ってくる臭いに鼻を押さえて仰け反った。
「アイリスさん、お薬なんて、基本的に不味い物なのです。
「いや、しかし、普段購入する
「そのへんはお値段の違いです。ケイトさんも、早く飲んでください」
「え、えぇ……お薬なのよね? 効くのよね、これを飲めば?」
「もちろんです。効かない物は渡しません。ぐずぐずしていると、また次の波が来ますよ? お二人、同時に波が来たら、今度裏庭に行くのはどちらなのでしょうか?」
「それはもちろんケイトだ! ええい、飲むぞ!! 私は店長殿を信じる!」
アイリスさんは決意を込めた表情で立ち上がると、鼻をつまんで上を向き、一気に瓶の中身を流し込んだ。
「の、飲んじゃった……」
いや、ロレアちゃん、『信じられない!』みたいな表情を浮かべてるけどさ、あれってちゃんとした薬だからね? 原料がちょっぴりエグいだけで。
「――うぷっ。うぐっ。お、おぇ」
何とか瓶の中身を全て流し込んだアイリスさんは、嘔吐きそうになりながら、薬瓶を半ばたたきつけるようにテーブルに置くと、コップを引っ掴み、水を一気に呷る。
しかし、それだけでは足りなかったのか、ケイトさんの前にあったコップにも手を伸ばし、その水で口の中を濯いだ。
「飲んだ! 飲んだぞ!」
「「おぉ~~」」
やり遂げた表情で、コップを掲げたアイリスさんに、私とロレアちゃんは思わず揃って、パチパチと拍手してしまう。
でも、単にお薬を飲んだだけの事なんだけどね。
「次は、ケイトさんですね」
「わ、判ってるわ……えっと、ロレアちゃん、お水、お願いできるかしら? できれば三、四杯分ぐらい」
飲み終えたアイリスさんを見て、覚悟を決めたらしいケイトさんは、やや多めの水をロレアちゃんに注文すると、薬瓶を持ってゴクリと唾を飲む。
「……心配しなくても、死んだりはしませんよ? アイリスさんを見れば判る通り。不味い事は間違いないですが」
「あぁ、ケイト。かなり不味いが大丈夫だ。それになんだか、お腹が軽くなった気がするぞ」
うん、さすがにそれは気のせいだね。
もう一つの
せめて三〇分ぐらいは待たないと。
「さぁ、ケイトも早く飲め」
「そ、そうね。いく……いくわ……いく……」
薬瓶を両手で握りしめ、再びゴクリと唾を飲むケイトさん。
「……ねぇ、店長さん。これを飲んでも、すぐには良くならないのよね?」
「そうですね。一般的な人なら、たぶん、一週間ぐらいでしょうか。アイリスさんたちなら、身体を鍛えていますし、もう少し早いかもしれませんが」
「そう、そうよね。ねぇ、アイリス。やっぱり私かあなたのどちらか、看病する人が必要じゃない? 具体的には、すぐに回復すべきじゃ――」
「あ、ケイトさん。看病ぐらいなら、私がしますよ?」
「ですです。専門的な事は判りませんが、私もお手伝いします」
往生際悪く、そんな事を言うケイトさんの逃げ道を、私とロレアちゃんで塞ぐ。
アイリスさんが頑張ったのに、ケイトさんが逃げるなんて、やっぱ許されないよね?
「うぐっ。で、でも、その、アイリス、やっぱり私が看病する方が気兼ねしなくて良いわよね? ねっ?」
強く同意を求めるように言葉を重ねるケイトさんに、アイリスさんはにっこりと微笑む。
それを見て、ケイトさんがホッと息をついたその瞬間、アイリスさんは立ち上がると、ケイトさんの手をガシリと掴んだ。
「つべこべ言わず飲め! 店長殿の厚意を無駄にするつもりか!」
アイリスさんはキュポンと薬瓶の蓋を取ると、ケイトさんの顎に手をかけ無理矢理上を向かせる。
前衛で剣を振っているアイリスさんと、後衛のケイトさん。
単純な力比べであれば、圧倒的に有利なのがどちらかは、言うまでも無いだろう。
「ま、待って! 心の準備がっ!」
「時間切れだ! 口を開けろ!」
開けろ、と言いつつ、強引に口を開かせたアイリスさんは、そこに一切の容赦なく薬瓶を突っ込む。
その時、ご丁寧にも鼻をつまんでいるのは、ある意味慈悲か。
「うごっ、えぐっ、ごぼぼっ!」
ケイトさんが、なんだか危険な感じに喉を鳴らすが、アイリスさんは全く無視。
薬瓶が空になるのを確認すると、それを口から引き抜き、そのまま口元を手で押さえる。
「むーー! むぐーー!!」
「お、なんだ? 水か? 水が欲しいのか? このほしがりさんめ!」
疲れ、窶れた表情の中に、微妙に嗜虐的な色を混ぜた笑みを浮かべつつ、アイリスさんがおもむろに手を離すと、ケイトさんは即座にコップを掴むと、二杯、三杯と水を飲み干し、そのまま机に突っ伏した。
「ア、アイリス、あなた、さっきの事を根に持ってるの?」
「さて、何のことだか。私は子供みたいにだだをこねるお前に、薬を飲ませてやっただけだぞ?」
「くっ……この……」
「はっはっは――むっ!」
朗らかとは言い難い笑い声を上げていたアイリスさんが、真剣な顔になって、眉を寄せて唸る。
「どうやら便りが来たようだ。ちょっと失礼する」
「便り……? あっ! アイリス、ちょっと待――うぐっ!」
立ち上がりかけたケイトさんが、お腹を押さえて椅子にストンと腰を落とし、動きを止める。
そして聞こえる、扉の閉まる音。
……あぁ、トイレに行ったのか。
ちょっと暴れたから、波が来たのかな?
「ケイトさん、小一時間もすれば効いてきますから、もう少し我慢してください。そうすれば、じゃーじゃーなんて事にはなりませんから、おトイレ、余裕ができると思いますよ?」
「あ、ありがとう、店長さん。でも、このお薬って、何なの? すっごく、苦不味エグ生臭いんだけど?」
「あぁ、正にそんな味でしょうね。原料については……ノーコメントで」
言葉を濁す私にケイトさんは顔をしかめ、ロレアちゃんに視線を向けるけど、ロレアちゃんもまたケイトさんから視線を逸らす。
「たぶん、聞かない方が……」
「……なるほど、聞かない方が良いような原料なのね。じゃあ、聞かない。聞いて吐いちゃったら、何のために苦しい思いをしたのか判らないし」
「ちゃんとしたお薬ですから、そこは安心してください」
「えぇ、店長さんの事は信じてるわ。アイリスが今生きているのも、店長さんのおかげだしね」
「アイリスさんの運もあると思いますけどね」
治療が間に合った事も、たまたま私がお店にいた事も、そして、普通なら置いていないような高価な
どれか一つ欠けていれば、アイリスさんはこの場にいなかったことだろう。
「さて、私はアンドレさんたちにお薬を届けてくるから、ロレアちゃんはケイトさんたちに、消化の良い物を作ってあげてくれる?」
「解りました」
「ごめんなさいね、いつも迷惑をかけて」
「いえいえ、困った時はお互い様、ですよ。私も、ヘル・フレイム・グリズリーの時は寝込んでしまいましたしね」
申し訳なさそうな表情を浮かべるケイトさんに、私は微笑むと、薬瓶を手に立ち上がる。
あとはアンドレさんたちがこのお薬を飲むかどうかだけど……一応、高い方の
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