第32話 デートで仕掛ける復讐の罠

 わざと立ち寄りそうな場所をうろついていたのを知らない掛井広大は、ここで会えたのは運命だと臭い台詞を口にしながら私を口説こうとする。最初はあえて相手にしなさそうな反応をする。掛井広大が、女性に冷たくされたからと諦めるような男性でないのはよくわかっている。


 むしろ昔の私みたいに、簡単になびく方が問題なのだ。どんなに相手が好みであろうとも、計算して焦らすようなテクニックが恋愛では必要になる。スナックで酔っ払いを相手にしていた私独自の認識にすぎないかもしれない。けれど誰かの言葉に頼るより、自分の経験を信じたかった。


 幸いというべきかどうかは不明だけれど、掛井広大は私がつれなくするほどに、必死度を上昇させてなんとかお茶だけでも一緒にさせようとする。そろそろ頃合だと判断してから、渋々といった感じで「お茶だけよ」とカフェへ行くのを承諾する。


 今日は例のカフェだと都合でも悪いのか、掛井広大が案内したのは私も行った覚えのないお店だった。


「で、連絡先なんだけどさ」


 この機会を逃すわけにはいかないと力みまくっているのか、それとも私に惚れられている自信でもあるのか。とにかく掛井広大は強気で押してくる。だからといって、うろたえた挙句に連絡先を交換するような愚かな真似はしない。以前の私ならともかく、スナックでレベルを上げてきた現在では軽く受け流すのも可能だった。


 押しても引いても、手応えなくひらひらとかわされる。相手男性からすれば、私の反応を表現するとそんなところだろう。


 ゆえになんとか結果を残そうと、余計に攻めが拙速になる。それでは普通の女性はともかく、私を口説くのは不可能だ。誘いを断るのなら、最初から掛井広大に声をかける隙を与えなければよかっただけの話。本来の目的を達成するために、気のあるそぶりを見せておく。


 こちらの演技だとも知らずに、チャンスありとばかりに相手男性が突っ込んだ質問などを繰り返してくる。やれ彼氏はいるのか。やれ好きな異性のタイプはどんな感じか。おとなしくすぎるのも困ったものだけど、ここまでガツガツしてる男性よりはマシに思えてくる。


 邪険にするわけにもいかない理由があるので、私は余裕のある大人の女性を演じながら質問に応じる。


「彼氏はいないわ。好きな異性のタイプは……そうね、当ててみる?」

「そうだな……例えば、俺とか」


「うふふ……凄い自信ね。でも、自信家の男性って嫌いではないわ。おとなしい人より、野心がありそうな人の方が魅力的ですもの」

「だよね。俺もそう思う」


 底抜けの自信を持っているわけではなく、単なるお調子者なのだ。言い方は悪いかもしれないけれど、愛すべきおバカという形容がピッタリくる。


「だからさ、連絡先を交換しない? せめてアドレスだけでもさ」

「この分だと、断っても何度も聞いてきそうね」


 諦めた感じを装いつつ、私はバッグから取り出したメモ用紙に、自分の携帯電話のメールアドレスを記入して掛井広大へ手渡した。


「仕方ないから教えてあげるけれど、いつでも応じてあげると思わないでね」


 それだけ言うと、私は「用があるから」とカフェで掛井広大と別れるのだった。


   *


 数日が経過してから、私はようやくホテルの一室で掛井広大のメールに返信した。


 相手からのメールはアドレスを渡したその日から、何十件と送られてきている。これだけ送信しても逆効果にならないかと考えないあたり、掛井広大はやはり相当の自信家なのかもしれない。言い換えれば、自信過剰の自惚れ屋になる。もっとも、過去の出来事とはいえ、そんな男に心の底から惚れていたのだから、私もあまり大きなことは言えなかった。


 メールの返信がないのを考えれば、相手がどのような心情か理解できそうなものだ。にもかかわらず、執拗なメール攻勢が続けられている。鬱陶しいと思う反面、少しばかり嬉しくもあった。こっぴどく私を振った男が、血眼と表現するに相応しいほど魅了されている。他ならぬこの私にだ。それだけ整形後の私の魅力がアップした証拠であり、今ならばかつて友人だと思っていた女性にも負ける気はしなかった。


 数日後の現在に返信したのには、もちろん理由がある。熱意に負けて、仕方なく応じたという演出をするためだ。これにより掛井広大は、自身が選択した戦法が間違ってないと確信する。これまで以上の猪突猛進ぶりを発揮し、こちらに挑みかかってくるのは想像に難くない。直情的であるがゆえに、強烈な速度には注意が必要だ。けれどそれはあくまでも、私以外の女性の場合だ。


 そもそも私には最初から、相手男性への恋愛感情が存在しない上に、復縁するつもりもなかった。要するに掛井広大が、こちらを口説ける可能性はゼロに等しいのだ。


「もっともっと、夢中になって。私の他には、何もいらなくなるくらいに。そうすれば、きっと楽になれるから」


 呟きながら、正面にある鏡を見る。映っている女は完璧な顔立ちをしており、同性であってもうっとりしそうになる。人はこれほどまでに美しくなれるのだ。ナルシストと言われようとも、考えを改めるつもりはなかった。


 ダイエットに成功して以来、自宅やジムなどの運動で一定の体型もキープしている。スレンダーでありながらも、きちんと出るべきところは出ている。私の理想とする女性が、服を着てベッドに腰掛けていた。これで苦難続きだった人生を変えられる。そう確信した。


「でも、その前に受けた屈辱はきっちり返させてもらうわ。そうでないと、私は前に進めないもの」


 返信したばかりなのに、早くも私の携帯電話は次のメールを受信した。携帯電話を換えたばかりなので、アドレスを知っている人間はひとりだけだ。携帯電話を手にした私は、メールの送信者の名前を見てニヤリとするのだった。


   *


 メールでの数回のやりとりを経て、私は再び掛井広大と会う約束をした。


 最初の返信後から、すでに1週間が経過している。送られてくるメールの大半をスルーして、多くて1日に1回しか返事をしなかったため、通常よりも余計に時間がかかった。あまりに冷たくしすぎると、相手男性のこちらを攻略する気持ちを完全に萎えさせてしまう。だからこそ、ある程度は期待を持たせながらコントロールする必要があった。


 なかなか心を開いてくれない。でも可能性はありそうだ。こうした態度が、恋愛好きな男性の心をくすぐる。現にメールの文章だけを見ても、掛井広大はより私に夢中になっていた。そろそろいいだろうとデートの約束を了承した。相手のテンションは一気にマックスまで達し、こちらの電話番号も知りたがったけれど、そこはきちんとガードして難易度の高い女性像を維持する。


 ホテル近くのブティックで揃えた服で、今日のデートの待ち合わせ場所へ向かう。袖の長いシャツとロングスカートという、わりと地味めなコーディネートだ。大学時代は巨乳なのを活かした、胸元がセクシーに開いた露出度の高い服を好んで着用していた。スナックでの勤務時の服装も似たようなものだった。


 だからというわけではないけど、最後になるだろう整形手術をしたあとはシックな服装を好んだ。露出度の高い服が嫌いなわけではなく、単に考え方を変えただけだった。ボディラインを強調すれば、肉体で男性を誘惑してるみたいに受け取られる。昔は単純にモテるのが嬉しくて、セクシーな衣服に身を包む機会が増えたけれど、今の私はそれでは満足できなくなっていた。


 身体ではなく顔や仕草だけで、相手を虜にする。それが目標だった。そのために覚えたのが、掛井広大とのメールに代表されるような駆け引きだ。


 待ち合わせ時間は午前11時だったけれど、わざと1時間送れて到着する。すでに掛井広大は待っていて、先ほどから忙しなく時計を気にしている。相手に顔を見せる前に、私は一度だけ鼻をフンと鳴らした。掛井広大みたいな男が、1時間も遅刻した女を未だに待っているなど普通は考えられない。


 ではどうして今回に限って、通常ではありえない展開になったのか。それだけ相手男性が、今日のデートに賭けているからだ。そしてそれは、ストレートに私の魅力の高さに繋がる。本来ならここで急いできたのを演出するために、わざと息を切らして駆け寄ったりするけれど、あえて私は悠然と掛井広大の前まで歩み寄った。


「ごめんなさい。待たせたかしら」


 あまりに堂々とした態度に、逆に掛井広大が萎縮する。若干怒り気味だった表情が急速に変化し「いや、大丈夫だよ」という優しい言葉とともに、穏やかな微笑を作る。


「それなら、よかったわ」


 微笑を返されて、ドキっとしている相手はまだ知らない。すでに私に主導権を握られている事実を。


   *


 デートの際、男性に奢らせるのを悪いと思ってはいけない。むしろ、喜んでお金を出させるように仕向けるべきだ。それがここ1年での経験で、私が獲得した方針だった。


 初めての整形をした際は男性に大切にしてもらえるのが嬉しくて、缶ジュース1本でも全力で喜んだ。今になって考えれば、それが悪かったのだ。缶ジュースで満足する安上がりな女。そんなレッテルを貼られ、容易に攻略できる印象を男性側に与える。要するに、自分で自分の首を絞めているのだ。


 しかも今回は最初のデートになる。掛井広大が費用をすべてもつのは当然だった。とはいえ、会計の際に財布も出さずにいるのは、高慢ちきな女だと悪印象を与えかねない。状況によっての使い分けが大事になる。


 掛井広大に昼食をとるために案内されたのは、わりと高そうなレストランだ。本来は映画でも観たあとに来るつもりだったみたいだけれど、私が遅刻してきたので直に向かうことになった。


「わりと良さそうなお店じゃない」


 店内に入り、ボーイに案内された席へ座ったあとで感想を口にする。それを聞いた掛井広大は得意満面に「でしょ」と告げてきた。


 この程度で自慢モードに入るあたり、まだまだね。口でお礼を言いながら、心の中で正面に座っている男性へ冷笑を贈る。


 スナック時代に、高級店にエスコートされる経験は何度もしてきた。店がある場所は寂れていても、車で遠出をすればそれなりの繁華街へ行ける。仕事が休みの日には、良さげなお客さんとデートをして、食事やバッグそれにアクセサリーなどをよく奢ってもらった。その時に高級品の知識や、レストランなどでのマナー。それに肉体を許さずに焦らしながら、相手をコントロールする術をそれなりに身につけた。


 百戦錬磨の女性に比べれば全然未熟だけれど、掛井広大クラスの男をあしらうテクニックは十二分に備わっている。


「でも、高いのでしょう。少し、心配だわ」


 心配だけだと勘違いされそうなので、高いというワードも付け加える。これなら掛井広大が鈍感な男だとしても、私が何を言いたいのかに気づけるはずだ。


「大丈夫さ。俺に任せておきなって」


 今にもグーで胸を叩きそうな勢いで、掛井広大が心配無用を強調する。これで、この店での支払いは相手がすることに決定した。最初からそのつもりだったのかもしれないけれど、最初の時点で明確にしておいて損はない。これで割り勘にしようとするのなら、トイレに行くふりをして帰れば済む話だった。


 掛井広大には私の屈辱を晴らす相手をしてもらわなければならないので、最初からやり直しになる。他の男だった場合には、それきりさよならである。


「頼もしいわね。ほんの少しだけ、見直したわ」

「えー、少しだけ?

 でも、いいや。これから、どんどん俺の点数が上がっていくからね」


「そう……楽しみにしているわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る