第33話 掌で踊る哀れな男

 高級レストランでのマナーは簡単なように見えて、意外と奥が深い。前菜用のフォークやナイフが来る位置もきちんと決められており、仮に使用してなくとも順番どおりに下げられる。そのため一夜漬けしたような生半可な知識では、最終的にボロが出て恥をかくケースが圧倒的に多い。こうした場でものをいうのは、やはり経験値の高さだった。


 かくいう私も最初の頃は高級店独特の雰囲気に馴染めず、様々な失態を犯しそうになった。けれど、こちらが若い女性である場合は、往々にして大きな問題にはならない。エスコートしてくれる男性が丁寧にマナーを教えてくれて、ひとつずつゆっくりと覚えていける。2回目、3回目と男性主体でのデートをこなすうちに自然と経験値を獲得する。


 スナックの常連だった男たちには感謝しているが、一度たりとも肉体を許したことはなかった。あまりうるさいようなら、店を辞めようとまで考えていた。搾取されるだけなのはまっぴらだった。奪い取る側にまわろうと決めたからこそ、男たちには何ひとつ与えるつもりはなかった。もちろん、今、目の前にる掛井広大に対しても同じ気持ちだった。


 そうとは知らない相手男性は、なんとか私をものにしようと様々な話題を提供しては楽しませようとする。笑顔で相槌を打ってはいるけれど、正直なところ、掛井広大の話は微塵も面白くなかった。


 巧みな話術を駆使する面白い男性。加えてイケメン。こんな男性に愛されるなんて、整形して良かった。過去の私はそう考えて、おもいきり舞い上がっていた。ゆえにつけこまれた。一途な感情を排除して広い世界へ目を向けてみれば、掛井広大より話術に長けている人物など吐き捨てるほどいる。容姿に関しても同様だった。


「よくここのレストランは利用するんだけど、メインが最高なんだよね」


 知ったかぶって説明してくれるけれど、その言葉が偽りなのを私は見抜いてた。理屈ではなく、直感でわかる。あまりにも掛井広大が、高級店の雰囲気に馴染んでないのだ。ボーイへ対するチップの支払いもなければ、食前酒の頼み方もぎこちない。そこかしこに不慣れさが滲みでていた。


 他の女性ならいざ知らず、すっかり高級店に通い慣れたからこそ発見できる。つまり掛井広大は、今の私にとって何も知らない子供も同然だった。以前の私なら意地悪をするつもりもないので、相手に合わせた態度をとっていたはずだ。とことん掛井広大を気分良くさせ、それが愛なのだと勝手な勘違いをする。反吐が出そうになるくらいの甘えた女だ。


「へえ……それなら、色々と教わろうかしら」


 メインディッシュに合うワインのチョイスから、厳選された素材についてまで、事細かに質問をする。案の定というべきか、すぐに掛井広大は答えられなくなり、露骨に不機嫌そうな顔になる。


「あら……拗ねてしまったのかしら。でも、貴方がいけないのよ。知らないのに、格好をつけるから。見る人が見れば、最初からわかるものよ」


 私に知識と経験のなさを最初から見抜かれていたと知って、今度はおもいきり動揺する。どうやら相手男性の辞書には、ポーカーフェイスという言葉はないみたいだ。


「これからは、自分の身の丈にあった子を誘うのね。安っぽい女と一緒にされるのは迷惑なの」


 表情は笑顔のままでも、ピシャリとキツい言葉で言い放たれた掛井広大は力なく項垂れる。これだけでも十分に屈辱を与えられたとは思うけれど、まだ足りない。私は心の中で、この程度で諦めないでよと相手男性にエールを送った。


   *


 ――ご馳走様。お店のチョイスだけは良かったわ。レストランから出た私は、奢ってくれた男に対してそのようなフォローひとつ入れなかった。落ち込みやすい男ならともかく、ある種楽観的な掛井広大みたいなタイプには、軽はずみなフォローは逆効果になると判断した。


「送ってもらう必要はないわよ。坊や」


 相手男性が下心を出して、送ろうか提案する前に先手を打つ。加えて坊やと呼ばれて、さしもの掛井広大もプライドを傷つけられたみたいだった。高級レストランで食事をしている時から、良いところを見せるどころか、コケにされてきたも同然なのだ。普通の男なら、そろそろ堪忍袋の緒が切れている。


 知ったかぶって格好をつけようとした挙句、すべてが裏目の結果になった。完全なる自業自得なのは、相手も重々承知しているはずだ。ゆえに、表立って怒りを露に出来ないのだ。ここで怒鳴り散らしでもしたら単なる逆切れであり、余計に格好悪くなる。どうにか挽回できるような策を練ったところで、効果的な威力を発揮できずに終わる。


 何故なら策を使用する掛井広大当人のスキルが足りないからだ。たった1年の間に、立場はすっかり逆転していた。もし私が東雲杏里だと知れば驚くだろうけれど、逆に相手はこちらを下に見かねない。謎多き妖艶な女性の美麗だからこそ、掛井広大を萎縮させられる。


「坊やって……美麗ちゃんは、俺とあんまり歳、変わらないよね」


 考え抜いた末の反撃がその台詞だとしたら、あまりにも情けない。だけど、笑うつもりはなかった。今の掛井広大には、その程度が精一杯だとわかっていた。


「そうかもしれないわね。けれど、年齢差よりも深刻な開きがあったと思うけれど……まさか、気づいてないのかしら」


 軽い切り返しのつもりだったのに、早くも掛井広大はぐうの音も出なくなっている。明らかな経験不足を、今もなお露呈している。同族とも呼べるギャル系の女性の攻略ならお得意かもしれないけど、少しレベルの上がった大人びた女が相手になると手も足も出ない。心から無様だと冷笑したくなる。


「今回のデートに、ほんの少しでも期待した私が愚かだったわ。もうメールもしないでくれるかしら」

「な――っ! そ、それは、言い過ぎだろ!」


 普段の優男っぽい口調がなりを潜め、声を荒げるシーンが目立ち始める。余裕をなくしている証拠だった。年齢は私と同じでも、ここらへんがまだ若いと言われる理由になる。


 相手の台詞を受けて、私は「言い過ぎ?」と鼻で笑う。あまりにも露骨な態度に、またまた掛井広大がムッとする。


「もう一度チャンスをあげても、高が知れているでしょう。レストランでも言ったけれど、自分の身の丈にあった相手を選んだらどうかしら」


「あ、あんまりバカにしないでくれ。今日はたまたま調子が悪かったんだ。俺が本気を出したら、きっと満足させられる!」


 わかり易すぎる強がりだけれど、あえて私は乗ってあげることにする。普通ならけんもほろろに却下するのだけど、相手が掛井広大の場合だけは話が異なる。


 もちろんよりを戻したいのではなく、トラウマになりかけている過去の思い出を痛快な出来事に書き換えるためだ。相手が本気になればなるほど、より強力に目的が達成される。


「そこまで言うのなら、あと1回だけ付き合ってあげる。それで、私を満足させられなかったら終わりで構わないわね」

「わかった。今度こそ、絶対に満足させてみせるからな」


 そう言い残して立ち去る男の背中に、侮蔑の眼差しを贈る。本当に私が満足するかどうかは問題じゃない。その程度も見抜けないから、貴方は子供なのよ。あの日の私と同じ、ね。


 心の中で呟いてから、私も連泊しているホテルへ戻るべく、近くを通りかかったタクシーを手を上げて止めるのだった。


   *


 その時は1週間後にやってきた。この間、一切連絡がなかったのかといえばそうでもない。こまめに毎日メールが何通か送られてくる。営業中のホストかとツッコみを入れたくなるくらいのマメさで、私を必死に口説こうとする。


 こんなにも私を想っていると印象付けて、ポイントアップを狙っているのだろうけれど、そんな見え見えの策に引っかかるほど無知ではなかった。大好きな男性からメールがくるたびに、喜んでいた昔とは違う。駆け引きを覚えた現在では、恋愛などゲームに等しかった。


 相手にのめりこんだ方が負け。だからこそ、どこか一歩引いた立ち位置から、客観的に自分を見る必要がある。それができないのであれば、搾取されても文句は言えなくなる。愛してる男性がいるのであれば、手に入れるために様々な努力をしなければならない。もっとも効果的なのはこちらが追うよりも、相手に追わせることだ。


 決して簡単ではないかもしれないけど、できたらほぼ確実に攻略は成功する。難度が高くても、チャレンジするかいはある。今現在、私が掛井広大に対して実践しているのもそれだった。見事に功を奏して、相手男性はこちらを必死になって追いかけてきている。


 1週間前と同じようにタクシーに乗って、わざと1時間ほど遅刻して待ち合わせ場所に到着する。待っていた掛井広大に怒っている様子は見受けられなかった。


「あら。今日はずいぶんと余裕があるのね」

「女性が身だしなみを整える時間を待つのも、男の役目でしょ」


 どこでどのような勉強をしてきたのかは不明だけど、この前よりはある程度まともになっている。実に自然な動作で店内までエスコートしてくれる。恐らくは私を待たせている間に、他の女性を誘って練習していたのだろう。費用もそれなりにかかるので、涙ぐましい努力ともとれる。あえて前回と違うジャンルのレストランを選んだのも、一定の評価ができる。入店してからの立ち振る舞いも、1週間前が嘘みたいに堂々としていた。


 しかし、残念かな。今夜は最初から相手がどんな出来でも、褒めるつもりでいた。さらにいえば、前回はどんなに掛井広大が素晴らしいエスコートをしてくれても、けなす計画だった。一緒に食事をするのは相手を私に夢中にさせるための儀式でしかなく、笑顔でディナーを楽しむ気は毛頭なかった。


 そんなこととは露知らず、席に案内されてからも、掛井広大は勉強の成果を見せるべく張り切っている。最後まで気を抜かず、ボロを出さずに今回のデートは終了する。


「今回はどうだった。満足できたでしょ」


 店を出るなり、得意気に尋ねてくる。こういうところが子供っぽい部分であり、見る人が見ればチャームポイントになる。


「デートの感想を求めるのは減点対象よ。でも……とりあえずは見直したわ」

「じゃあ、これから次の――」

「悪いけれど、予定があるの。今夜はこれでさよならだけど、もう誘うなとは言わないわ。また一緒に食事をしましょう」


 止めたタクシーへ乗り込む前に、私はとびきりの笑顔を作ってみせた。すると掛井広大はものの見事に、心から嬉しそうな表情を浮かべる。たったそれだけなのに、相手男性は最高のご褒美を貰ったみたいに、瞳を輝かせ続けた。


 私の乗ったタクシーが発車すると、見えなくなるまで延々と手を振り続けてくれた。使い分けられたアメとムチによって、また一段階、掛井広大は私の虜になった。


   *


 すべては計算どおりに進んだ。前回の食事で私に褒められた掛井広大は、持てる力すべてを使って喜ばせようとしてくる。けれど懸命に練ったプランだとわかるほどに、私は誘いを袖にした。当然のごとく相手は落胆するけれど、それも想定の範囲内だった。


 機が熟したと判断してから、掛井広大の誘いに応じる。基本的に辛辣な言葉と態度で応じるものの、時折しっかり褒めて、優しげな笑みを見せる。そのうちに掛井広大が、私には勝てないと判断するようになる。こうなれば、もうこちらのものだった。飼い主と飼い犬みたいな関係が出来上がる。


 すっかりベタ惚れしてくれた掛井広大は、飽きもせずに毎日こちらへアタックをかけてくる。簡単にはなびかないとわかっているからこそ、夢中になる。不思議な人間の心理とでも言うべきなのかもしれない。


 とある日の夜。適当にタクシーを走らせたあとで、掛井広大へ電話をかける。戯れにコールしたという感じを忘れずに演出しながら、少しだけ気だるい感じで「お願いがあるの」と切り出す。なかなかタクシーを止められないから、迎えに来てほしい。そう告げた瞬間に、掛井広大は叫ぶように「喜んで」と応じてくれた。


 用事があった体を装ってはいるけれど、実際には何の用もなかった。わざわざ掛井広大を迎えにこさせるため、タクシーを乗って見ず知らずの土地まで来たにすぎなかった。


 近くにあったファミレスで待つこと数十分。ようやく待ち人が到着した。本来なら即座にお礼を言うべきなのだけど、そんな真似をしたら相手をつけあがらせるだけだ。事前に待っているファミレスの場所と名前を教えていたので、すぐに掛井広大が店内にやってきた。私を見つけるなり、手を振りながら近づいてくる。


 正面の席に相手男性が座った瞬間、キッと睨みつける。せっかく迎えに来たと思った矢先の出来事に、掛井広大の顔がほんの少しだけ蒼ざめる。実に良い兆候だった。東雲杏里が交際していた頃の掛井広大であれば、眉をひそめて不快感を露にしていたはずだ。それが美麗の前では、借りてきた猫みたいにおとなしくなる。


 完全にこちらの放つ雰囲気にのまれており、相手自身も知らない間に屈服しているようなものだ。ゆえに今夜もこうして、あっさりと私を迎えにきている。


「すぐに来てくれると思ったのだけれど……ずいぶん遅かったわね。私の見込み違いだったのかしら」

「こ、これでも大急ぎで来たんだよ。まだ運転にも慣れてないけど、美麗さんのためだと思ったから」


 厳しい目つきのまま発した私の言葉に、掛井広大が慌てて弁解する。彼が言っていたとおり、向こうはまだ車の運転には慣れていない。


 理由は免許を取りたてだからだ。私が「大人の男性なら、女性を送り迎えくらいできないとね」と言ったのを真に受けたのだ。


 取得した翌日にサプライズとばかりに運転免許証を見せて、喜んでいる姿を今でも覚えている。


 しかし当時の私がとった態度は「持ってるのが、当たり前ではないの」といった冷たいものだった。


 それでも懲りずに誘ってくるあたり、完璧に掛井広大は美麗中毒になっている。実際に相手男性自身がついこの間、同年代の女が子供っぽく見えるようになったと、口にしたばかりだった。


「あら、言い訳をするの? 男らしくないわね」

「ち、違うよ。ご、ごめん。俺が悪かったから、機嫌を直してよ」


 私が少しでも拗ねると、即座に掛井広大は謝罪なりをしてなだめようとする。自然とこちらをお姫様扱いするようになってるのも、向こうはまったく気づいていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る