第31話 美麗
またもや懐かしさで、目が眩みそうになった。掛井広大が私を案内したのは、1年前にずいぶんと通った例のカフェだった。この店は確か、掛井広大と一緒に私を笑い者にしてくれた女性もよく利用していた。そんな場所を利用するくらいなのだから、もしかすると2人の関係はとっくの昔に終わっているのかもしれない。
もしくはすでに私の正体を見抜いており、からかうつもりなのか。そこまで考えて、小さく首を左右に振る。いくら何でも考えすぎだ。
「ここは、俺のいきつけの店でさ。なかなか洒落てるっしょ」
ナンパに成功したと思っているのか、急速に口調も態度もより馴れ馴れしくなる。見るからに下心を丸出しで、コーヒーを注文する際にもチラチラと私を見てくる。
スナックで働いている時に露出度の高い服を着用していた反動なのか、辞めたあとは真逆に近いコーディネートになった。今が秋で冬が近づいてきてるのもあり、タートルネックのセーターにジーンズというラフな格好をしていた。
過去の私であれば、ダサイなどと陰口を叩かれて失笑されていたに違いない。けれど、理想どおりの顔とスタイルになった現在では、同様の格好でもオシャレだと判断してもらえる。
セーターで胸元は隠されていても、ふくらみの大きさは簡単に判別できる。掛井広大のみならず、カフェにいるすべての男性客が私を盗み見ていた。集まる視線に侮蔑は一切ない。強いて言えば、女性客からの嫉妬を多少感じられる程度だ。背筋が奇妙な感覚でゾクゾクする。これが優越感だと気づくのに、さして時間はかからなかった。
高校生時代に私をいじめていた女たちも、コケにして笑っては優越感に浸っていたのだろう。これほどに気持ちがいいのなら、病みつきになる気持ちもわからなくはなかった。だからといって、醜かった頃の私をコケにした事実は消えない。今度はこちらがやり返す番だ。ブスを標的にして、自分がより可愛く見えるように演出した女どもとは違う。
私はわざわざ容姿の劣っている女性を標的として探すのではなく、手に入れた美貌で相手を圧倒してみせる。完膚なきまでに、精神を叩きのめしてやるつもりだった。
「君も好きなものを頼んでいいからね」
田舎のスナックといえど、金持ちの客は少なからず存在する。車を買ってあげるから……なんて誘いを、幾度も受けた経験がある。
大学へ入った当初は、異性に缶ジュースを奢ってもらえるだけで嬉しくなった。けれど今では、そんな純粋さもない。社交的なスキルを高めると同時に、不要だからと捨ててしまった。悲しくなったりはしない。子供じみていた自分とさよならできて、むしろ今では安堵している。
カフェで好きなのを頼んで良いと言われるのは当たり前の話で、その程度で心動かされたりはしない。
「えっと……」
何かを話したそうにしていた掛井広大が、途中で言葉を詰まらせた。理由はわかっている。
「……美麗よ」
「みれいちゃんって言うんだ」
「そう。美しいに、麗しいで美麗」
「そっか。ピッタリだね」
咄嗟に思いついた名前だったけれど、考えてみればそうなるのを望んでいたのだから、私にはピッタリの名前なのかもしれない。
こうして私は顔の次に、親から貰った名前も捨てた。後悔をしている暇はない。まだまだやるべきことは、たくさんあるのだから。
*
カフェに入ってから十数分後。上機嫌で会話を続けるアホな男が、私の目の前にいた。スナックで働いていた時代のスキルを使えば、相手男性を良い気分にさせるなんて朝飯前だった。とはいえ、ここまで簡単にいくとは思っていなかった。やはり掛井広大という男は、スナックに足しげく通っていた中年親父どもと大差ないのだ。
質の悪い酔っ払いでも、うまくあしらえるようになっていた私にとって、この程度の男を骨抜きにするのは容易い。だからといって、今すぐにどうこうというつもりもなかった。
「美麗ちゃんと話してると、すげえ楽しい」
無邪気に笑ってるように見えるが、今にして思えば、それさえも演出されているようで胸糞が悪くなる。反吐がでそうになっているのを顔には微塵も出さず、相手を立てるような相槌を繰り返しては、熱心に話を聞いているような態度を作る。
本心ではそんな話なんてどうでもいいと思っているのだけれど、掛井広大はこちらの心情にはまったく気づいてないみたいだった。
「また会いたいからさ。よかったら、連絡先を交換しない?」
「どうしようかしら……」
わざとここで悩んでみせる。嫌だったら相手をしなければいいだけなので、連絡先を交換するくらいは構わない。けれど即座に応じれば、軽い女だと見られる。簡単にお茶はできたけれど、なかなか連絡先は教えてもらえない。このような展開の方が、男心を刺激する。何事も簡単に許しすぎるのはいけないのだと、これまでの経験から十分に学んでいた。
案の定、掛井広大は必死になって食い下がってくる。下心見え見えの男の目的など、とっくの昔にわかっている。それでも相手をしているのは、私に目的があるからに他ならない。だが思い描いている展開にするためには、あとひとつピースが足りない。それを確かめるまでは、迂闊に連絡先を教えたくはなかった。
掛井広大と交際していた時とは、携帯電話の番号もアドレスも変えてある。あっさりバレるのは考えにくいけれど、軽はずみな真似は避けたい。
その時、テーブルの上に出していた掛井広大の携帯電話が鳴り出した。ディスプレイを見るなり、相手男性が少しだけ気まずそうにする。少しばかり席を外すと告げて、店の片隅で電話をする。耳を済ませてみれば、小さな声で「今、行くから」と相手をなだめるような言葉が聞こえてくる。
電話の相手は明らかに親密な関係の女性だ。私の脳裏に浮かんでくるのは、屈辱を与えてくれたもうひとりの人物の顔だった。まだ電話をしている掛井広大がこちらを見てないのを確認してから、私は自分の分の会計をテーブルの上に置いて、ひとり静かにカフェをあとにする。
*
カフェから先に出た私が物陰に隠れて待っていると、ややしてから掛井広大も外へやってきた。少し不満げなのは、ナンパに成功したと思っていた私が、いつの間にか店からいなくなっていたからだろう。なんともわかりやすい男だ。
わざわざこんな真似をしているのは、ストーカーに転職したいからではない。あくまで自分の目的を遂げるためだった。歩き始めた掛井広大に見つからないように、こっそりとあとをつける。多少、惨めな感じがしないでもないけれど、大事の前の小事だと我慢をする。
5分も歩いただろうか。大学へ通っていた頃はよく利用した繁華街の一角で、尾行対象の男が足を止めた。するとすぐに、ひとりの女性が駆け寄ってくる。その顔は忘れもしない。掛井広大ともども、私をコケにしてくれた女だ。
仲良さそうに腕を組む女と、優しげに笑みを返す男。傍から見ている分には、理想のカップルだった。これからデートをするのは明らかだ。私が姿を消したあとでも、2人の交際はまだ続いてた。悔しがって歯軋りをする必要はない。こちらにとって、好都合な事実に他ならないからだ。
これで目的を果たせる。コケにしてくれたお返しができる。遠ざかっていく2人の背中を眺めながら、私は口端を吊り上げた。性格がひね曲がったわけではない。私は私の価値を確かめたいだけだ。そのための素材に、1年前に膨大な屈辱をプレゼントしてくれた者たちを選んだ。
掛井広大たちが視界から消え去ったのを見届けたあと、繁華街にあるホテルで部屋をとる。自宅がないとはいえ、野宿はごめんなので当たり前の行動になる。幸いにして整形手術をしたあとでも、一生懸命に貯めたお金の残金がわずかに残っていた。それを使うことにする。
今日はもう出来ることは何もない。すべては明日から始まる。そのためのプランを練りながら、私はゆっくりと身体を休める。
*
そして翌日。前日に掛井広大からナンパされたカフェを中心に、相手男性が行きそうな場所をさりげなくうろつく。いわば私は餌だ。
「ねえ、ちょっといいかな」
すぐに獲物が食いついてきたかと思いきや、ナンパしてきたのは掛井広大ではなかった。名前も顔も知らない男性は、必死になってこちらを口説こうとしてくる。相手をするのは面倒だったけれど、悪い気分ではない。綺麗になった私を強く認識できるからだ。
容姿が整ってなければ、ナンパなどされるはずもない。やんわりとした口調ながらも、きっぱりと相手の誘いを断った私は、本来の目的を達成するために足を動かし続ける。
比較的簡単に見つかるだろう。その考えが甘かったのを、2時間後に知る。次から次に声はかけられるものの、ターゲットではない。いい加減にウンザリしてきて、次に現れたナンパ男に、食事だけでも奢らせてやろうかなんて邪心も芽生えてくる。
「あ、もしかして……やっぱり、美麗ちゃんだ」
何人目か数える気力も失っていた頃、ようやく目当ての男が私の前に姿を見せた。
貴方を待っていました――。いかにも、そう言いたげな笑顔で、相手の呼びかけに応える。宿泊しているホテルの鏡を使って、何度も何度も練習したとびきりの笑顔だ。夢見ていたとおりの完成された理想の仕草。これには、相手男性こと掛井広大もすぐにメロメロになる。
だが、それはあくまで予定であって、現実は違う。これまでの私の人生では、大体がそのような期待を裏切られる展開になっていた。しかし今回ばかりは違う。何も知らない掛井広大は、まんまとこちらの思惑に乗せられる。ここで出会ったのは運命だなどと、相も変わらずにくだらない口説き文句を連発してくる。
大学へ入りたての何も知らない頃ならともかく、夜の社会生活である程度の経験を積んできた今の私は、あっさりと掛井広大ごときに夢中になったりはしない。
本来なら肘鉄の1発でも食らわせて「十年早いのよ」と言ってやりたいところだったが、生憎とこちらにも目的がある。
「あら。貴方は確か……掛井君だったわね」
「覚えててくれたんだ。感激だな、美麗ちゃんみたいな美人に、名前を覚えててもらえるなんてさ」
どこまでも調子乗りまくりな態度に、心の中でいささか辟易する。お色気ポーズでもとりながらおだててやれば、豚のごとく延々と木にでも登るのではなかろうか。
笑顔で「もちろんよ」と応じる私を、懲りもせずに掛井広大は誘ってくる。こちらが彼女をいるのを知らないと思ってるのかどうかは不明だが、とりあえず軽い男なのは、はっきりしている。
「この間は、急にいなくなっちゃうからさ。心配したよ」
「ああ、ごめんなさい。彼女と電話をしていたみたいだったから、変な誤解を与えては申し訳ないと思って、なるべく音を立てないように店を出たのよ」
普通の男性なら、気を遣ってもらってありがとうとお礼を言うところなのだけど、目の前にいる最低最悪のアホ野郎は違った。
勢いよく首を左右に振りながら、まるで何かの呪文みたいに「彼女なんていないよ」と繰り返す。なら、私が見た光景は何だったのかしらと、問うわけにもいかないので、黙って頷くだけにする。
「彼女なんていたら、とてもナンパなんてできないよ。俺は2人の女性を同時に愛せないからね」
――ふざけるな。もう少しで、おもいきり叫びながら、グーで相手の顔面を殴るところだった。今の私はもう東雲杏里ではない。誰もが羨む美女へと生まれ変わった、美麗という名前の別人なのだ。
「それは素敵ね。
でも、あのあと……彼女とデートなんて、してたのではないかしら」
「まっさかー。急に姿を消した美麗ちゃんを、ひと晩中探し回ってたんだぜ」
筋金入りのアホだ。もっとも、相手は私が東雲杏里だとは知らず、デートの現場を目撃されたのもわかっていない。簡単にこちらを騙せると考えている。
掛井広大という男は、ずっとこのようにして人生を歩んできたのだろう。人には人の生き方があるのだから、説教をしようとは思わない。ただし、プレゼントしてくれた屈辱は、きっちり倍返しさせてもらう。
私の心で燃え滾っている復讐の炎は、例え猛烈な雨が降ろうとも決して消せやしない。さあ、掛井広大君……覚悟してもらうわよ。今からが、こちらの反撃のターンになる。
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