第21話 イケメンと午後の公園

 楽しい昼食会が終わったあと、皆でカラオケにでも行かないかという話になった。綺麗と言われてテンションが上がっていたのもあり、どうしようかと考えたものの、最終的に私は誘いを断った。


 サークルの課題があることにして、また時間があった時に誘ってほしいと伝える。一緒にカラオケに行かないというだけで、残念がってくれる友人たちがいる。それが私には、何よりも嬉しく感じられた。


 大学の仲間たちとカフェの前で別れ、あとはひとりで余韻を味わいながら帰宅するだけだったはずなのに、予定外の乱入者が私の目の前に現れた。背後からいきなり肩をポンと叩かれたので、心臓が大きく飛び跳ねるぐらいにビックリした。思わず「キャア」なんて悲鳴を上げてしまったくらいだ。


「アハハ。ごめん、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだよ」


 やはり軽い口調で、腰を抜かしそうになっている私へ謝罪してきたのは、先ほどまでカフェで他の皆と一緒にお昼をしていた掛井広大だった。仲の良い友人達とカラオケへ行ったとばかり思っていたので、いきなりの登場に通常よりもずっと大きく驚かされた。


「ど、どうして……こんなところに……」


 まだ心臓のドキドキがおさまっておらず、声が震えるだけでなく、無意識にどもったりもする。額には汗が滲んでおり、思考回路はいまだ正常には戻らない。


「こんなところって、用があれば歩いてるよ。だってここは街中なんだからさ」


 ケタケタと楽しそうに笑いながら、掛井広大はそんなことを言ってくる。一瞬、嫌味かとも思ったが、相手の顔を見る限り、悪気なんてものは微塵も存在していなかった。掛井広大という男性は、純粋にこういう人間なのだ。人目をひくようなイケメンでありながら、子供っぽい一面も持っている。


 私にはよくわからないけれど、もしかしたらこういう男性が世の女性に人気があるのかもしれない。そんなことを考えている間にも、掛井広大は生来の人懐っこさを発揮して、あっさりとこちらの警戒線を踏み越えてくる。


「街中なのはわかったけど……皆と一緒に、カラオケに行ったんじゃないの」


 全員で食事をしている最中は敬語で話すのが多かったのに、掛井広大と二人だけになった途端、何故か自然と打ち解けた口調に変わっていた。言葉を発したあとで気づいた私は、自分で自分に驚いた。きっと相手の良い意味での馴れ馴れしさが、こちらにまで伝染したのだろう。日陰者みたいな学生生活を送ってきて、奥手がちになっていた私には丁度いいかもしれない。


「カラオケ? ああ、俺は行かないことにしたんだよ。だって、杏里ちゃんが来ないからね」


 掛井広大は恥ずかしげもなくそう言って、満面の笑みを浮かべてみせた。


 胸がドキドキする。といっても、病気などではない。単純に緊張と興奮で、心臓が普段よりも多く働いているためだ。


 高校を卒業するまでは、異性にモテた経験など一度もなかった。当時は、これからもないだろうと半ば確信していた。しかしとある事件がきっかけになり、私は変身する決意をした。そのために親友と袂を分かつ結果になったけれど、今は自信を持って決断に間違いはなかったと胸を張れる。


 顔は火照り、全身にじっとりと汗が浮かぶのがわかる。大学の入試や面接より、緊張してる私がこの場に立っている。目の前にいるのは、同じ大学に通う掛井広大という男性だ。恋人ではなく、ついさっきまでは教室でたまに会話する顔見知り程度の認識しかなかった。


「あれ。どうかした? なんか、固まっちゃってるけど」


 誰のせいかもわかっていないらしく、掛井広大はこれまでと変わらない笑顔で私に接してくる。


 私には現在、交際中の彼氏がいる。同じサークルに所属している年上の男性だ。糸原満さんと言うのだけれど、彼氏に対する不満は今のところ抱いていない。むしろ付き合い始めなので、新鮮さを含めて色々と楽しいことが多いくらいだった。


 それなのに私は、好意を持ってると公言してはばからない男性を前に、尋常じゃないくらいドキドキしている。熱っぽさだけでなく、息苦しさまで覚えた挙句、少しばかり具合が悪くなる。傍から見ててもその様子がわかったのか、掛井広大が再び「どうしたの」と尋ねてきた。


「よく見たら、杏里ちゃん、顔色悪いじゃん。もしかして、具合悪かった? だから、カラオケにも行かないって言ったんだ」


 厳密にいえば違うのだけれど、勝手にひとりで納得してくれているので、あえて相手男性の間違いを正さないでおく。そうすれば、この場からも難なく帰られそうだった。けれど私が何か言うより先に、行動力のある掛井広大が予想外のひと言を口にしてきた。


「それなら、そこの公園で少し休んで行こうよ。ちょっとは楽になるかもしれないしね」


 ここで私はついさっき、掛井広大の誤解を放置しておいたのを後悔する。今さら何でもありませんと言ったところで、信用してもらえる可能性は低そうだった。


 ――俺を安心させるために、無理してるんでしょ。言う前から、返ってくるであろう言葉が容易に想像できる。


「わかった。そうする」


 観念したのもあるけど、実際に少し気持ち悪かったりするので、ベンチに座って休めるのはいいかもしれない。でも、急な不調の原因は、間違いなくすぐ側にいる掛井広大だ。一緒に行動したままで、果たして気分が楽になるのだろうか。おおいに疑問ではあったけど、とりあえず私は掛井広大と一緒に、近くにある公園へ向かった。


 公園のベンチに座っている私に、掛井広大という名前の大学の同級生が、自動販売機で買ったばかりのジュースを手渡してくれる。ペットボトル入りのスポーツドリンクで、代金は請求されなかった。最近は少しずつ、男性から奢ってもらうという展開に慣れつつあった。


 キャップを外したボトルに唇をつけて、ひと口ふた口とジュースを飲む。冷たい感触が食道を通っていくのがわかり、一気に脳内が覚醒する。水分を補給したおかげかどうかは不明だけれど、ほんのちょっとだけ気分が良くなった気がする。口から離したペットボトルを両手で持ちながら「ありがとう」と相手男性にお礼を言う。


 恋人の糸原満さんなら、ここでとりあえず照れたはずだ。でも掛井広大のリアクションは違った。笑顔で「気にしなくていいよ」と応じながら、当たり前のように私の隣へ座る。急激に二人の距離感が縮まり、空気に乗って届いてくる相手の息遣いにドキドキする。好意があるとかそういう話ではなく、単純に男性に免疫がないのでこうなっているのだ。無理に自分を納得させているわけでなく、冷静に分析した結果だった。


「ちょっとは落ち着いた? 具合が悪いんだったら、無理しちゃ駄目だよ」


 恥ずかしげもなく、正面からストレートにこちらの目を覗き込んでくる。糸原満さんの場合はどちらかといえば、私の顔を直視するパターンはあまり多くなかった。一挙手一投足に彼氏との違いを見出しては、思わずクスリとする。けれど途中で、比べるのはやっぱり2人に失礼だと考えを改める。


「お。杏里ちゃんの素敵な笑顔が戻ってきたね。これも俺のおかげ?」


 かすかに笑った程度のはずなのだけど、相手男性はこちらの一瞬の仕草すら見逃さなかった。観察力の鋭さと軽快な口調で、肉体だけでなく精神的な距離も縮めてくる。けれど決して不快ではなく、むしろ自然に隣にいるのを許してしまう私がいた。不思議に感じながらも、女性に人気があるのは、えてしてこういう男性なのかもしれないと思った。


「残念でした。ジュースのおかげです」


 人と話す時は無意識に丁寧な言葉遣いになるのが多いのに、掛井広大が相手だと本来の私の口調で喋れる。何の緊張感も覚えてないということなのか、理由は不明なものの、やはり心地悪さみたいなのは感じない。公園へ来るまでのドキドキも薄れてきて、肉体も平常どおりに戻る。


「ジュースを買ってきたのは俺だから、やっぱ、俺のおかげじゃん。どう? 惚れたっしょ」


「うわ、凄い自信だね。でも駄目。私には彼氏がいるもの」


 どれだけ掛井広大が素敵な男性であろうとも、私には糸原満さんがいる。確かな好意を抱いているし、とても裏切るつもりにはなれなかった。


「やっぱり駄目かー。残念」


 私からの返答を聞いた直後、失恋のショックなどないような軽い口調でそう呟いた。ベンチの上で座ったまま、掛井広大は手足を伸ばした。緊張感からの解放を意味してるのかどうかは不明だけど、なんとなく可愛らしい仕草に思えた。


 もしかして、からっていただけで本気ではなかったのだろうか。そんなふうにも考えたけれど、つい先ほど相手男性が見せた目は真剣そのもので、とても冗談を言ってるようには思えなかった。


 フラれてばかりだった私が、大学へ入学して以来、立て続けに異性から好意を持たれた。本当に現実なのか心配になるほど、急にモテ始めた。よく人間は性格だなんて言われるけども、やはり私が前々から主張していたとおり、顔やスタイルが多大な要因を占めているのは間違いなかった。なにせダイエットに成功して、整形手術をしただけでここまで変わったのだ。


 改めて変わった自分に自信を持つと同時に、私は掛井広大へなんて言葉をかけるべきか悩んだ。フラれた経験は山のようにあるけれど、こうして異性を袖にしたのは初めてだった。


「ま、でも諦めないけどね」


「ええー?」


 あくまでも前向きすぎる反応に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。普通、一回フラれれば懲りるはずなのに、隣に座っている男性にそうした様子は見受けられない。しつこいというべきなのか、それとも情熱的と評価するべきか。軽く悩んでしまうぐらいに、相手男性の思考が読めなかった。


「そんなに驚く? 誰だって、本気で惚れた相手がいれば、どこまでも一直線に向かっていくでしょ。ま、それでストーカーにでもなっちゃったらマズいけどね」


 基本的にネガティブな私と比べて、掛井広大はどこまでもポジティブな思考の持ち主みたいだった。そういう人間が側にいて、普通に会話しているだけで、何故だかこちらまで楽しい気分になる。太陽みたいな明るさが、伝染したのかもしれない。自然と私は顔に笑みを浮かべていた。


 同時にこれまでの自分を反省もする。明るさが相手にも伝わるのであれば、ネガティブも同様のはずだ。つまり私が暗い思考で接してきた相手は、同じように気分を沈ませていたことになる。これでは外見ともかくとして、明るい社会生活を送るのは難しい。現在の幸運も、少なからず私が社交的になったからかもしれない。やはり気の持ちようというのは大事なのだ。心から痛感する。


 けれどこうした思考に至るのも、努力なしではできなかった。高校時代の私のまま人生を諦めていたら、きっと変わらないネガティブさで大学生活を送っていたはずだ。ふとしたきっかけで、存在しえたもうひとつの未来を想像すると背筋が冷たくなる。


「何か考え事? それとも、また体調が悪くなっちゃったかな」


 急に無言になった私を心配して、相手男性が顔を覗き込んでくる。


「考え事をしていたの。掛井君がストーカーになったら、どうしようって」


「酷いなぁ。でも杏里ちゃんが相手なら、本当にそうなっちゃうかもね」


「あら大変。帰りにおまわりさんに相談しておかないと」


「え……お願いだから、それだけは勘弁してください」


 仰々しく私に両手を合わせる掛井広大に「冗談よ」と言ったあと、午後の公園で二人して笑い合う。もう街中で覚えたような動悸はなくなっていた。

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