第20話 リア充ランチ

 とある日の昼下がり。私は最近出来た彼氏の糸原満さんと、大学近くのカフェテラスで昼食を取っていた。


 当初はパンツスーツみたいなのを好んで着用していたが、最近では普通にワンピースやミニスカート等もはくようになった。ジーンズばかりはいていた過去の思い出が不意に蘇るものの、もう私には関係ないからとすぐに追い払う。他人に向けられる視線にも慣れ始め、極端な被害妄想も発生しなくなりつつあった。


 着実に積み重なる新しい日々の中で、少しずつではあってもトラウマが消失していく。それが何より嬉しかった。新しい存在へ生まれ変われたんだと心の底から実感でき、毎日が楽しくてたまらない。


 初めての彼氏の存在が、よりキャンパスライフを楽しくしてくれた。バイト終わりなどにメールをしては、互いの状況を確認する。夜になれば、電話をして他愛もない話で盛り上がる。バイトが休みの日は、ほとんどデートに費やされる。図書館で読書してみたりなど、一般と比べれば特殊かもしれない。でも、私たちにはお似合いなのではないかと最近では思っている。


 他には映画を観に行ったりもする。イベント事に参加するのも楽しいけれど、何より彼氏と一緒に過ごしている事実が私を喜ばせた。太っていて、人生に絶望していた頃には、こんな人並みの幸せを味わえるなんて夢にも思っていなかった。けれど、叶わぬ願いどころか現実の出来事になった。


「それにしても、驚いたよね」


 カフェテラスで正面の席にて、昼食のナポリタンを食べている糸原満さんが不意にそんな呟きを漏らした。一体何のことかと思っていると、先日判明したばかりの読書愛好会の恋愛事情についてだった。


 私と糸原さんが交際し始めた事実を告げたその日、なんと小笠原会長と阿部副会長のお付き合いも発覚した。両者の行動から露見したのではなく、なんとなしにそのような雰囲気を感じた私が、空気の読めなさを見事に発揮して、ズバリ聞いてしまったのだ。


 最初は誤魔化そうとしていたけれど、次第に無理そうだと判明し、とうとう読書愛好会の会長こと小笠原大輔さんが観念した。今のところ他のメンバーに口外はしてないものの、きっと皆、半ば気づいているのだろう。その中でひとりだけ、まったく疑いもしていなかった男性が私の彼氏だった。


 現在でもまだ頬を掻きながら「全然、気づかなかったなぁ」などと言っている。鈍いといえばそれまでだけど、私は相手男性を純真なのだと勝手に解釈した。だからこそ、読書愛好会の会長や副会長も好んで側に置いているのだ。


「僕たちもさ、会長たちに負けないようなカップルになろうね」


「え? あ……はい……」


 突然の発言に私が顔を真っ赤にしても、真顔で「どうしたの」と聞いてくる。こうした面も、糸原さんの魅力のひとつだ。


 私は「何でもないです」と答えながらも、交際中の彼氏へとびきりの笑顔を捧げた。


   *


 何もかもが順調だった。私は願望どおりに変身し、幸せな未来を手に入れた。サークル活動も楽しく、アルバイト先ではたくさんの人に優しくされる。大学の講義にも十分ついていけるし、何も心配はいらない。心の底から、そう思っていた。


 そんなある日。早めに講義が終わった大学の教室で、よく話をする女性から昼食に誘われた。当初はまだ高校時代に辛かった体験のせいで、対人恐怖症みたいになっており、何度かの誘いをすべてアルバイトを理由に断っていた。


 けれど今日は丁度アルバイトも休みで、恋人の糸原満さんとデートする約束もしていない。要するに、予定が空いているのだ。何度も断るのも申し訳ないと考え、私はせっかくなので相手の誘いに応じた。同年代の女性は「よかった」と言い、一緒に大学をあとにする。


 糸原さんとよくファミレスや居酒屋を利用しているため、そういう場所なら行き慣れている。けれど、女性が案内してくれたのはお洒落なカフェだった。高校時代の私なら、入店するなり不似合いだと陰口を叩かれそうなお店だ。整形したばかりの頃は、何をするのも緊張と不安だらけだった。


 でも何ヶ月かの大学生活を送り、彼氏もできた今では、不安よりも期待や興奮が大きく勝るようになった。これも進歩の証だと、私は自分自身を誇らしく思う。


「東雲さん、こっちよ」


 先導してくれる女性の背中を追いかけていくと、店内の奥にあるテーブルに見慣れた顔が幾つかあった。


「あ、東雲さんじゃん。一緒に昼飯って、初めてじゃねえ?」


「え……うん。今日はアルバイトもなかったし、せっかく誘ってもらったから……」


 ――まさかいじめようとして、呼び出したのだろうか。一瞬、そんな不安が頭の中をよぎったけれど、どうやら違うみたいだった。よく女性と一緒に講義を受けるメンバーばかりで、私もひととおり会話をした経験がある。教室でも挨拶はする仲なので、どうやら誘ってくれたみたいだった。


「私たち、いつもここでお昼を食べているの。東雲さんもどうかなって思ってたんだけど、いつもアルバイトだったから、今日が初めての機会になったわね」


 責められてるわけでも、嫌味を言われてるわけでもない。余所者扱いすることもなく、全員が私を歓迎してくれた。


「特にそこの掛井が、東雲さんを連れてきてくれってうるさかったからね」


「おいおい。いきなりバラすなっつーの。でも、ま、いいか」


 軽い感じで笑ったのは、テーブルの前に来たばかりの私に声をかけてきた男性だった。こんがりとよく焼けた肌と、それに合わせたかのような茶髪。顔立ちは整っており、誰に聞いてもイケメンと答えるレベルだった。外見や喋り方だけで判断すれば、現在私が交際している糸原満さんとはすべてが真逆のように思えた。


 基本的に私は、チャラいと呼ばれる男性が苦手だった。やたらと馴れ馴れしいのに加えて、どうにも人の痛みがわからないタイプに見えるからだ。もちろん私の勝手な思い込みでしかなく、目の前にいる掛井広大と呼ばれるイケメン男性がそうだとは限らない。ただ、どうしてもあまり好きになれなかった。


 生理的に苦手と言うべきか。失礼極まりない印象だとは思うけれど、実際にそうなのだからどうしようもない。それに言葉にして相手へ伝えているわけではなく、単純に心の中で思っているだけなので許してもらおう。こんな楽観的な考えができるようになったのも、糸原満さんと交際するようになってからだ。彼氏ができたことで、もしかして私の中に余裕が生まれたのかもしれない。


「よかったじゃん、掛井。念願の東雲さんとランチできてさ」


 少しばかりそばかすのある女性が、隣に座っているイケメン男性を冷やかす。私を案内してくれた女性も一緒になってからかい、瞬く間に一同が陣取っているテーブルは笑いに包まれた。


「いい加減にしろよ。ま、そりゃ確かにハッピーだけどさ」


 照れるでもなく、平然とそんなふうに言い放つあたり、やはり糸原さんとは違う。そんなふうに考えたあとで、無意識に視界に映っている男性と彼氏を比べている自分に気づく。これでは、あまりに相手へ失礼だ。もっとも、相変わらず言葉が漂っているのは私の頭の中だけなので、相手男性が不快になっている様子は見受けられない。楽しそうに仲間たちとワイワイ談笑している。


「何、立ってるの。杏里ちゃんも座んなよ」


「え。あ……うん……」


 ついさっきまで苗字にさん付けで呼んでいたはずなのに、気づけばあっという間に杏里ちゃん呼ばわりされる。やっぱりこういう人種の方は苦手だ。少しだけ話して、ご飯を食べたら家に帰ろう。そう決めたあとで、私は空けてもらった席に座る。そこは掛井広大という男性の隣だったので、否応なしに緊張感が高まる。以前の私なら「遠慮します」と違う席を求めていたはずだった。


 相手男性を得意なタイプでないと知りながらも、あえて勧められるままに隣の席に座ったのは、自分を変えたいという願望のあらわれだ。いつまでも過去のトラウマを引きずっていても仕方ない。バラ色の人生を送るために私は様々な努力をし、整形手術まで受けた。


 自らの容姿に自信がなく、誰と話すにもおどおどしていた時代はもう昔の話。これからは社交的になろうと考えた。アルバイトやサークル活動を経て、徐々にではあるものの、対人恐怖症みたいなのも克服できつつあった。ゆえに次なる一歩を踏み出そうとした。


 自分の好きなメニューを注文したあとで、私も同じ大学の同級生たちとの会話に加わる。内容は流行のファッションや遊びについてがほとんどで、そうした知識に乏しいだけにおおいに勉強になった。食事もテーブルへ運ばれてきて、頬張りながら楽しく会話をしている最中、隣に座っている掛井広大が唐突すぎる質問をしてきた。


「杏里ちゃんってさ、彼氏いんの?」


 目が点になるとは、まさに今の私の状態を指し示しているのだろう。あまりに唐突すぎる質問に、頭の中が一瞬だけ真っ白になる。何を尋ねられているのかすぐには理解できず、思わず間抜けな返答をしそうになった。けれど途中で堪えられたのは、大学に入ってからの経験のおかげかもしれない。


 などと考えている場合ではなかった。質問されたからには、答える義務というのがある。厳密には黙秘するのも自由なのだけれど、教えないというのもなにか感じが悪い。頭の中で色々と言葉を組み立てているうちに、危うく忘れかけていた事実を思い出す。私には、れっきとした恋人がいるのだ。


「あ、はい……付き合ってる人がいます……」


 恋人はいませんなんて言ったら、他ならぬ糸原満さんに失礼だ。本当は彼氏なのだから名前を呼び捨てにしたみたいのだけど、そこまでの勇気がないので未だに相手男性をさん付けで呼んでいる。


「なんだ、そっかー。残念」


 背もたれにおもいきり体重を預けて、伸びをするような体勢になりながら、掛井広大が口にしたとおりに残念そうにする。相手が異性だろうと同性だろうと、コケにされまくっていた昔に比べれば、まさに月とスッポンだ。よもやこの私が、彼氏がいると判明して残念がられる日がくるなんて夢にも思っていなかった。


 とはいえ、これでこの一件は終わる――かと思いきや、再び私は掛井広大の台詞に驚かされることになる。


「でも、諦めないけどねー」


 あっさり復活したイケメン男性が、実に軽い口調でネバーギブアップを宣言する。からかわれただけかもしれない。そう感じて相手の目を見てみるも、外見のチャラさとは違って本気の色をしている。


 フラれても、懲りずにまた向かってくる。そんなのは、テレビドラマの世界だけで起こる話かと思っていた。しかしこうして現在、同じような状況が私の目の前で発生中だ。熱烈すぎるアプローチに、こちらが逆に照れて、相手の目を見られなくなる。


「さすが掛井。諦めが悪いわねー」


 昔からの知り合いなのか、私をランチに誘ってくれた女性が苦笑する。そのあとでこちらに視線を向けてきて、恋人に関する質問をしてくる。


「ええと、同じサークルの先輩で……とても優しい人なんです」


「そうなんだ。でもやっぱり、彼氏がいたんだね。フリーの私と違って、東雲さんは綺麗だから当然か」


 相手女性にしてみれば単なるお世辞だったのかもしれないけど、思い出したくもない過去を持つ私にはそれ以上の意味があった。


 綺麗だから――。そのひと言がとても嬉しくて、皆の前だというのに、私は危うく泣きそうになってしまった。

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