第19話 それぞれの交際
笑顔で糸原さんが「こちらこそ」と言ってきた。興奮でまだ頭の中が少し混乱気味だけど、要点をひとりで整理してみる。所属している読書愛好会の活動がひと段落したところで、先輩の男性――糸原さんに映画へ誘われた。いわゆるデートだ。その後、ファミレスへ舞台を移し、つい先ほど私は人生初めての愛の告白をされた。嬉しさもあって、この場で交際を了承した。
誰でもよかったわけではない。始まったばかりの大学生活だけど、その中で一番仲の良い男性こそ、他ならぬ糸原さんだ。彼の前だと妙にリラックスできるのもあり、少しずつ心を許せるようになった。第一印象も良かったのに加えて、私がアルバイトしてるお店で、よく会話をしてるうちに相手の人となりもある程度は理解できた。
そういうのが重なった上での返事であり、糸原さんと付き合うことになったのを、私は何ひとつ後悔していない。むしろ心から喜んでいる。
「よかったー」
場所がファミレスなのも忘れてるのか、わりと大きめの声で、糸原さんがそんな感想を漏らした。
案の定、他の席に座っているお客さんたちの視線がこちらに集中する。周囲の人たちは、もしかして最初から私と糸原さんをカップルだと思っていたのだろうか。注目される気恥ずかしさで頬を熱くさせながらも、私の口元は自然に緩んだ。傍から見れば、恋人同士どころか、ただの怪しい二人組みだった。
交際を承諾されて、冷静さを取り戻すどころか、糸原さんのテンションはさらに上昇を続ける。ここまで明るい性格の持ち主だったのかと、思わず驚いたほどだ。
数分が経過して、さすがに糸原さんもようやく現状に気づき始めた。舞い上がりまくっていた自分を恥ずかしがるように俯き、小さな声でごめんと謝ってくる。その姿がまるで子供みたいで、単純に可愛らしいと思ってしまう。
私も相当、重傷かな。相手にわからないようにため息をつきつつも、無理もないなと自分自身の現状を受け止める。小さな頃から異性にはずっとからかわれてきただけで、真面目な交際など夢のまた夢だった。それが今、こうして現実になった。
「大丈夫ですよ。私は気にしてないですから。それに……そこまで喜んでもらえると、逆に嬉しいです」
「そ、そう言ってもらえると、助かるよ。は、はは。年上なのに、少しみっともない面を見せてしまったよね」
確かに年上の男性らしい頼りがいなどは、先ほどの姿からは微塵も感じられない。しかしそれ以上に、私と付き合えるだけであそこまで舞い上がってくれたのが、何より嬉しかった。お互いに見つめ合ったかと思えば、慣れない状態に照れと戸惑いが発動し、すぐにどちらともなく目を逸らす。夜のファミレスで、私と糸原さんは、何度となくそんな行動を繰り返した。
*
基本的に読書愛好会の活動は自由参加なので、途中で退出しても別に咎められない。実際に後日大学の校内で会った副会長の阿部康子さんは、あまり気にしていなかった。しかし、好奇心旺盛な子供がそのまま大人になったような会長は違う。最上学生としての落ち着きなど微塵もなく、所用で立ち寄った部室でものの見事にからかわれる。
しかもタイミングの悪いことに、丁度、私と糸原満さんが揃ってしまったのだ。いつもの一番奥に座っている小笠原会長が口端を歪めたのは、確認するまでもなく明らかだった。
「よう、ご両人。この間の活動日は、どこでデートしていたのかな」
活動日に参加している人間は少なく、メンバーも限られている。途中でいなくなったりすれば、すぐに気づかれる。下手をすれば尾行されかねない相手ではあるが、この間は自嘲してくれたみたいだった。もしくは、しっかりした大人の副会長が食い止めてくれていたのか。もしそうだとしたら、後でお礼を言う必要がある。
「神聖なサークル活動を途中でサボってまで、不純異性交遊に走るとはけしからんな。読書愛好会の責任者として、きっちり指導する必要がありそうだ」
私と糸原さんの間に何があったのか、小笠原会長は雰囲気から察したみたいだった。適当な性格をしているようでありながら、かなりの洞察力を所持しているのだと痛感させられる。それだけは見習いたいと思いつつも、まずは現状の窮地を脱するのが先決だった。どうするべきかと、私は一緒に部室を訪れたサークルの先輩男性を見る。
「一応の活動は終了して、あとは雑談タイムに入っていたじゃないですか。なので、暗くなる前に、東雲さんを送ろうとしたんです」
告白や交際の件には一切触れず、糸原さんは必死に会長の追及から逃れようとする。堂々と交際宣言をしてくれるのではないかと期待していただけに、この対応は少々拍子抜けだった。やはり私と恋人関係にあると知られるのは恥ずかしいのだろうか。出てこなくてもいいのに、ネガティブな思考が頭の中を支配する。
「時には言い訳をしないで、正面から突破する勇気も必要よ。守るべき女性を手に入れたばかりなら、なおさらね」
どこからか大人の女性の声が聞こえてきた。驚いて辺りを見渡すと、いつの間にか副会長の阿部康子さんが読書愛好会の部室へやってきていた。お気に入りのいつもの席に座り、部室に常備されているポットで紙コップに温かいお茶を注ぐ。手には新書を持っているけど、私の立ち位置からでは作者の名前までは見えない。
乱入者の存在で場の雰囲気が一気に変化し、冷や汗交じりで弁解じみた応対をしていた糸原の目つきが変わる。
「僕と東雲さんは交際することになりました。映画を観に行ったあとに告白したんです。さあ、これで質問に答えましたよ」
急にかつてないほど、堂々とした態度を糸原さんがとったので、さすがの小笠原さんも気圧されたように「あ、ああ……」と答えることしかできないでいた。
「青春ねえ……」
部室にて糸原さんの交際宣言を聞いていた阿部康子さんが、どこか懐かしそうにそんな台詞を呟く。読書愛好会の副会長を務め、子供みたいな会長を制御し続けてきたためか、年齢よりも大人っぽく感じるけれど、実際はまだまだ若い。私より年上とはいえ、20代前半なので、世の中の一般的解釈に照らし合わせれば、充分すぎるほど若者の部類へ入る。
先ほどみたいな呟きを漏らせば、年寄り臭く見られるのが普通なのに、阿部康子さんの場合は違った。椅子に座りながらも背筋をシャンと伸ばし、同性も羨むぐらいのふくらみを披露する。
本人的にはアピールするつもりがないと十二分にわかっていても、見る人が見れば嫌味に感じるのは間違いない。幸いにして、私は太っていた頃の貯金があるので、バストサイズに関しては引け目を感じる必要はなかった。
「まったくだねぇ……」
何を思ったのか、小笠原会長も年寄りじみた感じで、そんな台詞をこぼした。
副会長の真似をしたとも考えられるけど、まともに口喧嘩をしたら阿部康子さんが勝つのは火を見るより明らかだった。サークル内での立場こそ小笠原さんが上なものの、2人のやりとりを見てれば実際は異なってるのがわかる。
ここまで考えて、私はふとした疑問を思いつく。会長と副会長。どことなく軽妙なやりとり。よくよく観察してみれば、ひとつの仮定が浮かんでくるのは当然の流れだった。
「お2人って、付き合ってるんですか」
「んぐっ!?」
事あるごとに冷静沈着ぶりを発揮してきた女性が、口に含んでいたお茶を紙コップの中へ戻しそうになる。まさか私の口から色恋沙汰の質問が来るとは思ってなかったのか、完全に虚を突かれたような形になった。
私の質問を受けて、誰より先に糸原満さんが「そんなわけないよ」と笑った。該当者の2名も同意して笑ったが、どことなくぎこちなさが見てとれる。もしかして、聞いてはいけない質問だったのかと自戒する。
「すみませんでした。内緒だったんですね」
「……東雲さんって、実はもの凄い天然少女だったりするのかな」
若干引きつりぎみの笑みを浮かべた小笠原さんが、そんな指摘をしてきた。自覚はないけれど、もしかするとそうなのかもしれない。しかし問題は私が天然かどうかより、会長と副会長の正しい関係だ。散々からかわれてきた身だけに、はっきりさせておきたい気持ちが強かった。
「まさか、あれだけ人をからかってきた会長が、中途半端な答えで逃げたりしませんよね」
私の発言に相変わらず苦笑いを浮かべている小笠原さんは、困ったように副会長の阿部康子さんを見た。
「自分で蒔いた種でしょう。後始末はしっかりしてちょうだい」
それだけ言い残すと、普段はゆっくりしていく副会長が足早に部室をあとにした。予期していなかった急展開に、私の彼氏でもある糸原満さんは顔にクエスチョンマークを浮かび上がらせながら、ただひたすら挙動不審に周囲を見回している。
助け舟を期待したつもりが、援軍となるべき女性はさっさと部室をあとにしてしまった。背中を追いかけようにも、小笠原さんの席から部室を出るためには、どうしても私たちの前を通る必要が出てくる。困ったような様子ではあるけれど、追い詰められているような感じはない。瞳を爛々と輝かせているであろう私を、どのような言葉で納得させようか思案中といった様子だった。
「恐れ入ったよ。自分のことに関しては鈍いのに、まさか他人の色恋にここまで敏感だとは想像もしていなかったよ」
「じゃあ、私の予想は合っていたってことですね」
ここまでくればさしもの小笠原さんも、頷かざるをえなかった。仕方なしにではあるものの、副会長との交際を認めた。半ば予想していただけに、私はあまり驚かなかったけれど、もうひとりの読書愛好会の平メンバーは違った。
大きく見開いた目をパチクリさせながら「本当ですか……」なんて呟いている。ショックを受けているというよりかは、単純に驚いているのだ。
「そうだよ。他のメンバーはある程度気づいていただろうけど、こちらがおおっぴらにしてないから、気を遣ってあえて言わなかったみたいだけどね」
憎まれ口を叩きあいながらも、どこか親しみのあるやりとりを聞いていれば、通常の感性を持った人間なら怪しんで当然だった。けれど糸原満さんだけは、今の今まで本当に気づかず、会長と副会長は犬猿の仲だと本気で信じていたのだ。教えてもらわなくとも、放心しかけている現在の姿を見ればすぐにわかる。
「新入生というのは恐ろしいね。ま、こちらとしても隠したいわけじゃなかったからね。そちらの関係も教えてもらったし、お相子ってところかな」
怒ってる様子は微塵もなく、私が余計な発言をしたと注意を受ける心配もなさそうだった。
「さて、それじゃ、俺も失礼するよ。ああ見えて、副会長は照れ屋でね。今頃は極度に恥ずかしがってるか、俺の思慮のなさを怒ってるかのどちらかだから、しっかりなだめておかないといけないんだよ」
「いいんですか、そんなことを言って。副会長にバレたら、余計に怒られますよ」
「それはご勘弁願いたいな。是非、この話はオフレコで頼むよ」
そう言って笑うと、小笠原さんも副会長に続いて退室するのだった。
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