第22話 ギクシャク

 仲良く会話できる友人が増えたことで、私の大学生活はよりメリハリのきいたものに変わった。楽しさもずいぶんとグレードアップし、ほとんど義務感だけで通っていた高校とは違って、今は学校が始まるのが待ち遠しくてたまらない。


 アルバイト先でも大学の友人たちと会う機会が増え、私の交友関係は急速に拡大した。何もかもが面白くて、いわゆるキャンパスライフというのにどんどんのめり込んだ。オシャレにも気を遣うようになり、流行りのデートスポットを教えてもらったりもした。すべてがこの上なく順調に思えた。


「それでね。この間、初めてクラブというのを体験したの」


 日曜日の今日、女性の友人から紹介してもらったオシャレなカフェで、私は恋人の糸原満さんとデート中だった。ファミレスや居酒屋が多かったのも昔の話。今は私が大学の友人たちから仕入れた情報を元に、色々なところへ出かけるようになっていた。


 同世代の女性と遊んでいるうちに、ファッションセンスも上昇した。客観的に見ても、今の私は都会の繁華街でも浮いている存在ではなかった。


「クラブか……僕には縁がないところだね」


 何故か少し寂しげに呟く彼氏に、私は「そんなことないよ」と告げる。実際のところ、私だってクラブへ入るまでは、心臓が口から出てきそうなほど緊張した。


 入店してからも自分は場違いではないのか。そんな考えばかりが、浮かんでは消えていた。どこか挙動不審気味だった私の心を救ってくれたのは、最近になって一緒に遊ぶ回数が増えた掛井広大だった。


 掛井広大の存在を、すでに糸原さんは知っている。紹介したことはないが、余計な誤解を抱かれないように何度か話をしているからだ。その際にはあくまでも男友達という点を強調し、好意は持ってない旨も合わせて告げてある。


 私が好きなのは糸原さんだ。だからこそ、こうして現在も交際を続けている。情が移って別れられなくなったなんてことはなく、普通に恋人でいたいからそうしているのだ。糸原満さんも十分に理解してくれていて、私の自主性を重んじてくれる。変なやきもちを焼いたりせず、静かに見守ってくれている点はさすが年上の男性だと感心する。


 同時にありがたく思ってもいた。急に感謝の念を伝えたくなった私は、会話の途中でふとその言葉を混ぜてみる。


「いつもありがとう。私、糸原さんのこと、大好きだよ」


 すると糸原さんも笑顔で「僕もだよ」と応じてくれた。私たちはこれからも仲良くやっていける。確信めいた直感が、いつも以上の笑顔を連れてきてくれた。


   *


「杏里ちゃんはスタイルがいいから、きっとこういう服が似合うって」


 友人たちと出歩く買い物にも、ずいぶんと慣れてきた。試着室で勧められた服や気に入ったのを試着しては、ギャルチックな店員にお世辞を言われる。以前なら照れまくりで逃げ出していたであろう事態が発生しても、ごく当たり前のように受け止められる。日々、自分の成長が実感できた。


 アルバイトで稼いだお金は大半が飲食代や洋服代に消えた。アクセサリーなども好んで身につけるようになり、高校生の頃とは文字どおり別人になった。化粧の仕方も大学の友人たちに教わり、入学当初と比べても私の大学生活は大きく変わった。


 それでもまだバイトは続けており、糸原満さんとの交際も順調だ。ただし、以前はたまにお弁当を作って、お昼に大学の中庭で一緒食べたりもしたけれど、最近ではそういう機会も少なくなってしまった。


 彼氏との交際はもちろん大事だけれど、それ以上に仲の良くなった女性の友人たちと遊ぶ回数が増えた。色々なことを教えてもらえるのもあり、とにかく楽しくて仕方ない。それこそ、自分の人生観がすべて変わりそうなくらいの勢いだった。


「最近、東雲さんって変わったよね」


 彼氏とデートをするたびに、そんな言葉をかけられるようになった。喜んでるのか不満なのかはわからないけど、とにかく寂しそうなのは間違いない。以前からそういう兆候はあった。でも、彼女が綺麗になるのを嫌がる男性はいないと思った。


 なのに糸原さんは、まるで昔の私が良かったかのような口ぶりばかりだ。どうしてそんなことを言うのだろうと、段々悲しくなってくる。


「私、綺麗になったと思うんだけど、そうじゃないのかな」


 勇気を振り絞って、直球で質問をぶつけてみる。すると糸原さんは申し訳なさそうに、慌てて首を左右に振った。


「いや、そういうわけじゃないんだ。凄く綺麗になったと思う。でも……」


 純粋に私の変化を喜んでるわけでないのが「でも……」という言葉に表されている。続きが気になるので、黙って相手の次の台詞を待つ。


 講義が午前中で終了し、たまたま時間の合った糸原さんとお昼を食べようと思って、ランチをやっている小さなレストランに入った。内装がとても素敵で、昼夜を問わずによくカップルが利用する評判のお店だ。特に夜は証明の雰囲気がロマンチックで、人気のデートスポットにもなる。


 最近できたばかりなのに、下手をすれば予約をしないと入れない時もしばしばある。本来なら夜にも来たいところだけれど、日中の方がまだ空いているので気楽に利用できる。それにランチも十分すぎるほど美味しく、私はとても気に入っていた。


「最近、さ……サークルとかにも、あまり顔を出さなくなってきたよね」


 ポツリポツリと、ようやく本題らしきものを糸原さんが喋りだした時、急に「あれ、杏里じゃん」と誰かに声をかけられた。声のした出入口の方を見ると、そこには大学の同期で仲の良い女性と掛井広大が立っていた。


 待ち合わせをしていたわけでも、デートのプランを教えていたわけでもない。私たちと掛井広大たちが出会ったのは、まったくの偶然だった。お互いの存在を店内で認識したこともあり、私は掛井広大たちに手を振って挨拶をする。お店が込み合ってるのもあり、二人は真っ直ぐにこちらのテーブルへ向かってきた。


 ひとつのテーブルに四人が座れるようになっているため、人数的には増えても問題は全然ない。あのままでは他の客が帰らなければ席に座れなさそうだったので、一緒にお茶を飲むのを提案する。


「本当にいいの? でも、デートの邪魔にならない?」


「気にしないで。二人きりのデートは、いつでもできるもの。困った時はお互い様でしょ」


 女性の友人に対して、私は笑顔で応じた。そのあとで糸原さんに「いいよね」と尋ねると、嫌な顔をせずに了承してくれた。


「さすがは杏里ちゃんの彼氏さんっスね。器が大きい」


 笑顔でそんなことを言いながら、掛井広大が相席する。二人が座る前に、一応席替えを済ませてある。私の隣に糸原さんが来て、掛井広大たちが正面に並んで座るパターンになる。なんやかんやでデート中の私たちに、相手が気を遣ってくれたのだ。今回が良い機会なので、掛井広大たちに糸原満さんを紹介する。


「初めまして。噂は色々と聞いてます」


「こちらこそ。いつも話題にのぼってますよ」


 掛井広大の挨拶に、糸原満さんも笑顔で返す。にこやかな雰囲気なのに、どことなくピリピリしたものを感じる。きっと気のせいだろうと考えて、私は普段と同じように女性の友人に話しかける。


 ファッションなどの話で盛り上がり、男性ながらもそれなりに知識のある掛井広大も加わってくる。あっという間にいつものテンションになり、女性の友人が持っていた雑誌をテーブルに広げて、皆で見ながらあれこれと批評したりする。


 高校生の頃にもアイドル的存在の女生徒などは、仲間とともに同様の会話をしていたけれど、まだ太っていて整形手術もしていなかった私には縁のない世界だった。それが今では、こんなにも身近に感じられる。夢でしかなかったはずの世界の住人になれた感動が、現在の私のすべてを支配していた。


 そのまま皆で一時間ほどランチを楽しんでから、一緒にお店を出た。デートの続きをしようと思っていた私は、その場で掛井広大たちを別れる。二人の背中を見送ったあとで、私は糸原さんに「これから、どうしよっか」と尋ねた。


 少しだけ困ったようにしながらも、いつもの優しい笑顔で何か言葉を返してくれる。そう思っていたのに、糸原さんの口から発せられたのは、予想もしていなかった台詞だった。


「今日はもう帰ろうか」


「え? どこか具合でも悪いの」


「そうじゃないけれど……デートしたいって気分じゃなくなったんだ。ごめんね」


 付き合ってから今日まで、見たことのない糸原さんの雰囲気に戸惑うばかりで、私は何も言えなかった。


   *


 先日の一件があって以来、私と糸原満さんの関係はギクシャクするようになった。普段どおりに振舞おうとしても、以前にはなかった違和感がつきまとう。なんとか払拭したいと努力するけれど、いつも空回りに終わる。


 そんなある日、大学の廊下で唐突に誰かに肩を叩かれた。後ろを振り向くと、そこにはサークルの先輩でもある阿部康子さんが立っていた。


「久しぶりね。元気にしていたかしら」


 入学当初は足繁く通っていた部室なのに、いつの間にかあまり立ち寄らなくなった。その点を指摘されて怒られるのかと思いきや、阿部康子さんはまったく気にしていないみたいだった。


「前にも言ったけれど、うちのサークルは集まりたい人だけ集まればいいのよ。だから義務感で無理に来る必要はないわ。もっとも、糸原君は寂しそうだったけどね」


 サークルの会長とも交際していて、容姿も性格も大人な女性。サークルに通っていた頃は、憧れの人物だった。


 そうだ。阿部さんなら相談に乗ってくれるかもしれない。私はおもいきって、糸原さんとの経緯を話してみた。


「なるほどね。糸原君が最近、落ち込み気味だったのはそのせいね。でも、東雲さんが気にする必要はないわ。彼、きっと嫉妬しているのよ」


 耳にしたのは、聞きなれない単語。嫉妬つまりはジェラシー。誰がと問われれば、私ではない。となれば残るはただひとり、現在交際中の糸原満さんしかいなかった。ここのところ、どうも様子がおかしいと思っていたら、そういうことだったのか。ひとり納得した私は、解決のヒントをくれた阿部康子さんに深々と頭を下げた。


 まだ講義が残っているので、大学内にいる他の生徒たちに変な目で見られたりしているけれど、一向に構わない。最愛の彼氏との関係を改善できる嬉しさが、すべてを満たしてくれる。


「大学に入って、新しい出会いもあるもの。東雲さんだって、色々と遊んでみたりしたいわよね」


「えへへ。それにしても、阿部さんって、なんでもお見通しなんですね。やっぱり、私と違って大人な感じがします」


「そうでもないわよ。私だって、自分の恋人が何を考えているか、わからない時もあるもの」


 少しだけ照れながら、阿部康子さんが教えてくれた。普段はあまり自分のプライベートを語りたがらない人だけに、本気で私を心配して、元気付けようとしてくれているのがわかった。仲良く遊べる同年代の友人も貴重だけれど、こうして何でも相談できる女性の先輩の存在もありがたい。しばらくその場で会話をしてから、私はもう一度お礼を言って、阿部康子さんを見送った。


 そのあとですぐに携帯電話を取り出して、メールを打つ。宛先はもちろん大好きな彼氏だ。きっとすぐに、誰もが羨む恋人同士に戻れる。頭の中で色々と幸せな想像をしながら、ありったけの想いを込めた文章を糸原さんへ送信する。

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