第6話 号泣

「私に気安く触らないでくれるかしら」


 無慈悲な声が教室内で木霊すと同時に、和美の身体がどうっと床へ倒れた。正確には、北川希の取り巻きのひとりが突き飛ばしたのだ。合図ひとつで行動する様子は、まるで女王様に仕える親衛隊みたいだった。


 北川希による私の振られ話のせいで、教室には次から次に人が集まってきており、ちょっとした騒ぎになっている。注目を集めたくなんてないのに、私の希望とは真逆の展開になりつつあった。そんな中、まるでショウの主役みたいに、北川希が周囲から注がれる視線の中心に立っていた。


「どうしてって、説明されないとわからないの」


 倒れたままの和美を見下ろしたまま、北川希が言葉を続ける。


「身分違いの愛を夢見ているみたいだから、心優しい私が現実を教えてあげてるのよ」


 批判されて当然の言動なのに、取り巻きたちはもちろん、他の学生たちも私や和美の援護をしてくれようとはしない。むしろ言われて当たり前みたいな雰囲気が漂っている。


「み、身分違いって……何。私たちは、人を好きになったら駄目なの!?」


 とうとう私も我慢できなくなって、ヒステリックに叫んだ。この行為が余計に人目を集めるとわかっていても、こみあげてくる怒りの感情をどうしても我慢できなかった。少しは驚いてくれるかと思いきや、こちらを向いた北川希は何を言ってるのとばかりに肩を竦めた。


「そのとおりよ。だって、よく考えてみて。家畜が人を好きになるなんて話、聞いたことがある?」


 ありませんという大合唱が教室で巻き起こる中、私と親友だけが呆然としていた。クラスで一番の美少女が何を言っているのか、すぐには理解できなかったのである。


 家畜――? 北川希は一体、何の話をしているのだろう。


 ポカンとする私と和美の姿を見て、クラスメートたちが大笑いする。同情も憐れみもない。ここにあるのはただひとつ、侮蔑だけだった。嘲りの視線に心が壊されそうになる。

 一刻も早く逃げ出したい状況下で、和美が「どういう、意味ですか……」と呟くように尋ねた。


「頭が悪いのね。他の皆は、全員がわかってるみたいよ」


 小ばかにするような態度で、ねちねちと言葉を紡いでくる。これだけでも十分に悲劇的な内容なのに、なおも北川希は甚振るように発言を続ける。


「あ、そうか。私としたことがうっかりしていたわ。家畜に人の言葉が通じるはずないものね」


 ここでようやく私と和美は、自分たちが家畜扱いされているのだと悟る。悔しくて情けなくて、涙が溢れそうになる。しかしこうした光景を見ても、教室に集まっているギャラリーは笑うだけだった。


 この場にいる学生たちに人の心はないのか。

 怒鳴りつけてやりたいのに、圧倒的アウェーの状況下では、報復が怖くて威勢の良い台詞を発する勇気を持てなかった。


 私が何も言えないでいる中、和美が呻くように「酷い……」と漏らした。それを聞き逃さなかった北川希が、流麗な眉をピクンと反応させる。


「どうしたの? 言いたいことがあるのなら、遠慮なくどうぞ」


 あくまでもからかうような態度で、北川希は和美へそう告げた。

 教室中の視線が集まる状況下で、和美が意を決して口を開いた。


「私は……私たちは、家畜なんかじゃありません!」


 気弱なはずの和美が、号泣しながらも声を張り上げた。けれど、そうした勇気さえも、無遠慮に北川希が踏み躙る。


「家畜でしょう。だって、どうみても豚じゃない。ほら、皆の前で鳴いてみてよ」


 ――鳴け!

 情け容赦のない残酷なリクエストが、教室のあちこちから乱れ飛ぶ。

 私と和美以外は全員が敵という構図を、改めて痛感させられる。絶体絶命という言葉が頭の中に浮かんできた時、新たな展開への扉が開いた。

 タイミングが良いのか悪いのかはわからないけど、騒ぎの原因になっているもうひとりの人物――すなわち、牧田友行が姿を現したのだ。


 友人らしき男子生徒が、待ってましたとばかりに、牧田友行を私たちの前まで連れてくる。現状を把握できていない該当男性は、半ば混乱気味に周囲を見渡している。その後、こちらの姿を見つけると目を丸くした。


「おはよう、牧田君」


「え? あ、北川さん? お、おはよう」


 牧田友行へ最初に声をかけたのは北川希だった。昨日の詳細を聞くのかと思いきや、クラスで一番の美少女はこちらがまったく予期していなかった台詞を口にした。


「この間の返事だけれど、お断りさせてもらうわね」


 再び見開かれる牧田友行の両目。あまりの驚きで、頭の中が真っ白になっているのが、傍から見てるだけでもわかった。だけど、その理由まではわからない。知っているのは、当事者の2人だけである。


「ど、どうして!?」


 悲痛な叫びというのは、このことを言うのだろう。牧田友行の顔は、今にも泣きそうになっている。


「どうしてもなにも、家畜に好かれるような男性なんてお断りなの」


 クスクス笑いながら、とんでもない理由を北川希が牧田友行を告げる。会話内容から察するに、どうやら私とは真逆の関係にあるみたいだった。

 恐らくは、牧田友行が北川希へ告白のようなものをしていたのだろう。そうでなければ、二人のやりとりに説明がつかなかった。そして見方を変えれば、最初から私に希望などなかったのがわかる。


 どうせ振られる運命だったんだ。それなら、無理して告白しなければよかったかな。想いを告げる前に後悔しないと誓ったはずが、心の中でそんな愚痴をこぼしている。現在のシチュエーションは、それほどまでに私の心を弱らせていた。


「お、お前のせいか!」


 半ばボーっとしている間に、気づけば牧田友行が、もの凄い形相でこちらを見ていた。目には殺気じみた感情が込められており、背筋が寒くなる。


「恥ずかしいから、黙ってろって言ったじゃねえか! 顔だけじゃなくて、頭も悪いのかよ!!」


 大声で怒鳴りつけられ、和美でなくとも怖くて泣いてしまう。そんな私を見て謝るどころか、牧田友行はさらに声を荒げた。


「デブのどブスが泣いてんじゃねえよ! キモいんだよ!!」


 この世はあまりに不条理だ。爆笑に包まれる教室内で、私は暗い感情に支配されていた。

 騒がしさを増す教室内で、ひときわ甲高い声で笑っているのが、騒動の元凶とも言うべき北川希だった。クラスで一番の美少女と評判のこの人間が私に絡んでこなければ、ここまで酷い状態になっていない。それだけは断言できた。


「頭が悪くて当然でしょう。ここにいるのは、家畜なんですもの」


 高らかに文句を口にする女と、いともあっさり同調して罵ってくる男。一体どちらが家畜なのか。自分たちは本当に心ある人間だと、胸を張って言えるのか。悔しくて悔しくてたまらなかった。


「お前みたいな家畜なんぞに好かれて、いい迷惑だ!」


 叫ぶように発せられた罵詈雑言に、涙がとめどなく溢れてくる。クラス全員に家畜扱いされ、見世物みたいになっている。悪夢であったなら、どれだけ救われるだろう。けれど頬をつねってみたとしても、決して目覚めたりしない。わかっているからこそ、余計に心が重苦しくなる。


「うう……ううう……!」


 親友の和美が、床へ突っ伏して嗚咽を漏らす。彼女にも、申し訳ない気持ちで一杯だった。私が告白なんてだいそれたことを思わなければ、和美まで心に大きな傷を負うことはなかった。

 これ以上教室にいたくなかったので、悪口が飛び交う中を意を決して歩き始める。まずは親友へ近寄ると、しゃがみこんで背中へ手を置く。いまだに野次を飛ばすような連中には目も向けず、倒れたままの和美へ「帰ろう」と声をかける。


「良いわね。家畜には学校も関係なくて」


 無視を決め込んでいても、辛辣な言葉は容赦なく心へ突き刺さってくる。知らないふりをしてれば傷つかないなんて都合の良い能力は存在しない。悪口を言う人間が考える以上に、言われる側は辛いのだ。


 号泣しながら、のろのろと立ち上がろうとする親友を支える。かくいう私も、涙で顔面をグショグショにしていた。まだホームルームの時間になってないのが、不幸中の幸いだった。教師がこの場にいたら、勝手に早退などできない。

 それとも、尋常じゃないレベルにまで達している喧騒を、うまく鎮めてくれるのだろうか。後者だったとしても、完全には消火されずにくすぶり続けるのは明らかだった。何かの拍子に爆発し、再び私や和美の精神に莫大なダメージを与えてくる。


「かずみ……あるげる……?」


 普通に話してるつもりなのに、流れ出る涙のせいで、どうしても言葉に濁音が付着する。それが惨めさに拍車をかけ、私はより周囲の笑い者にされる。

 好ましくはないけれど、今さら環境が悪化したところで、気持ちを新たに沈ませることもなかった。ここまでの展開で、すでに奈落の底とも呼べる場所に私の心はあった。


「もう人間の通う学校に来たら駄目よ」


 この状況でもなお、コケにしてくる北川希を睨みつけることもできず、私は親友の肩を抱きながら足を動かし続ける。やっとの思いで教室から退出して、ドアを閉める。直後に室内で生じた歓声を、私は一生忘れられないだろう。


   *


「ううう……うわあぁぁぁ」


 校舎から出た後、帰宅の途中にもかかわらず、和美がわんわんと泣き出した。幸いにも通行人はいなかったけれど、白昼の歩道で大泣きしていたら、いつ誰と遭遇してもおかしくない。とはいえ、私も親友をあれこれ言える状況ではなかった。視界が滲むぐらいの涙がまだ残っている。


「ごめんねぇ……ごめんねぇ……」


 号泣する和美の隣で、私はひたすら謝り続ける。結局、この日は会話らしい会話もなく、親友とはいつもの場所で別れた。


 普段よりずっと早く帰ってきたのに、母親は私の顔を見るなり、優しい声で「お帰りなさい」と言ってくれた。一見しただけで、大体何があったのかを察してくれて、詳しい理由を聞こうとしない。私には、それが何よりありがたかった。


 まずは洗面所に言って、自分の顔を確認する。ようやく涙は止まっていても、形跡はいまだに残っている。


「酷い顔……」


 思わずそんな呟きが口から漏れた。顔を洗ってから、自分の部屋へ戻る。着替えをする気力もないぐらい、私の心身は弱っていた。あんなに残酷な仕打ちがあっていいのだろうか。そう思わずにはいられなかった。思い出すのも嫌なのに、ベッドへ横になって目を閉じれば、教室での光景がしつこいほどに脳裏へ蘇ってくる。


「ひと目惚れなんて、しなければよかったのに……」


 せっかくタオルで拭いた顔が、また両目から溢れる涙で汚れだす。自らの腕を置き、暗くなった視界の中、何度も何度も忌まわしい記憶に立ち去ってくれとお願いする。しかし意地悪な脳細胞は、要求に従ってくれなかった。

 なんとか動けるようになっても、心の傷はそう簡単に消えはしない。お風呂の間も、シャワーを浴びながら泣き続けた。受けた大きなショックは極度のストレスとなり、私から食欲までも奪った。


 それでもベッドでごろごろしてるうちになんとか眠れたみたいで、目を擦りながら部屋の窓を見ると、カーテンの隙間から朝日が漏れてきていた。

 ベッドで仰向けになりながら携帯電話を見るも、着信履歴は残っていなかった。てっきり親友の轟和美から休むという連絡がくるとばかり思っていたので、正直驚いた。


 待ち合わせの時間も迫っていたので、私は学校へ行かなければと制服へ着替える。軽く顔を洗っただけで家を出て、駆け足でいつもの場所へ向かう。

 少し遅れて到着するも、和美の姿は見えなかった。私が遅刻したからといって、置いて先に行くようなタイプではない。親友もまだ来てないのだろうと、しばらく待つことにした。


 五分、十分と時計の針は進み、ホームルームが開始される時間になっても、和美は結局やってこなかった。

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