第5話 嘲笑
私の告白という大舞台を見守るため、姿を隠しながら様子を窺っていただけに、和美には牧田友行とのやりとりも聞こえていたのだ。想いを拒否されたのはもちろん、どのような言葉を浴びせられたのかも知っている。
ならば黙ってる必要もないので、笑顔を作りながら明るく「振られちゃった」と言おうとした。けれどうまく表情を変えられないどころか、口を開けば嗚咽ばかりが漏れてくる。
「うえ、うええ……!」
堪えきれなくなった声は呻きみたいに周囲へ響き、とても親友を安心させるだけの効果はなかった。
「ごめんね、杏里ちゃん。ごめんね……!」
和美は、何ひとつ謝るような真似をしていない。むしろ奥手な私が、失敗したとはいえ、意中の男性に想いを告げられたのは、目の前で泣いている親友のおかげだった。感謝を伝えたいのに、相変わらず私はむせび泣くことしかできなかった。
やがてどちらともなく、抱き合って涙を流し続ける。周囲を通り過ぎる人々の視線にすら気づかず、全力で泣いた。まるで涙と一緒に、悲しみも体外へ排出しようとするかのごとく、お互いの足元を雨でも降ったみたいに濡らした。
それから何時間が経過したのかはわからない。けれど、ふと気づけば夜になっていた。
「もう、夜だね」
散々泣き喚いたせいか、呟いた私の心は妙にスッキリしていた。身体を離したばかりの和美も泣き止んでおり「そうだね」と同調する。見上げれば、雲ひとつない満天の星々が私を慰めてくれた。
「星……綺麗だよ」
恋人へ囁くような台詞だと内心で苦笑する私へ、親友が返してくれた言葉は先ほどと同じ「そうだね」だった。告白して振られた当人以上に傷心の和美を、目が真っ赤だとからかう。ここでようやく私は、いつもと変わらない口調で親友へ声をかけられた。
それが相手に安心感を与えたのか、少しむくれた様子で「杏里ちゃんもだよ」と言い返してきた。決して喧嘩になったりはせず、そのあとは二人して大きな声で笑い合った。数時間前とはまったく性質の違う涙を流したあとで、もう一度だけ星が美しく輝く夜空に目を向けた。
「お腹……空いたね……」
私に倣って星空を見上げていた親友の和美が、この呟きにクスリとした。
「星を見て、お腹が空いちゃったの? 杏里ちゃんは食いしん坊だね」
「それじゃ、和美はお腹が空かないの」
私の言葉に笑みを浮かべながら、和美は首を左右に振った。
「実は、私も食いしん坊なの」
*
悲しみはまだ色濃く残っていたけれど、少なくともこの時までは、私に後悔の念はなかった。むしろ高校在学中に、貴重な体験ができたと前向きに考えられた。
状況が一変したのは、告白して振られた翌日の学校でだった。
周囲でひそひそと繰り返される内緒話。執拗に差される後ろ指。知らない間に、私は有名人になっていた。
隣を歩いている和美も、周りの不自然さには気づいている。
「ど、どうしたんだろうね、皆」
私だけに聞こえるぐらいの小さな小さな声で話しかけてくる。問われたところで、明確な解答を提示できるはずもなかった。頼れる情報通の友人もいないので、結局は自分たちで原因を探るしかないのだ。
「あら、おはよう」
教室へ入るなり、唐突に誰かから声をかけられた。こういう展開は年に数度もないくらい珍しいので、思わず「え?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。驚きながら声のした方を見ると、クラスで一番の美人と評判の北川希が立っていた。
同じ学級に所属しているが、会話をした記憶はない。そんな女性が、一体何の用だろうか。心の中をハテナマークで一杯にしつつ、私は「おはようございます」と応じる。敬語になったり、声が上擦ったりするのは、私が普段からクラスで浮いている証拠のひとつだった。
「そんなに身構えないでよ。聞きたいことがあるだけなの」
普通の人なら、そうかとなるかもしれないけれど、生憎と北川希の会話相手は他ならぬこの私なのだ。とても自慢にはならないけど、会話慣れという言葉とは無縁だったりする。昨日の告白ほどではないにしろ、心臓をドキドキさせながら、相手の次の言葉を待つ。何故か、側にいる和美も緊張しているみたいだった。
「東雲さん……昨日、公園に行かなかった?」
一気に体温が上昇し、脈拍数は増加する。頭の中は真っ白になり、何を言うべきか考える能力も低下していた。回転数が圧倒的に不足中の頭脳では、この後の展開を予測することさえできなかった。
結果として、無言という対応になる。相手女性をさぞかし不愉快な気分にさせたかと思いきや、不敵とも言うべき種類の笑みを浮かべていた。
「知らんぷりなんて、行儀が良くないわよ」
同調する意見は場に出ていなくとも、近くにいる女生徒たちの視線がそうだ、そうだと言っていた。取り巻きも同然の存在なので、北川希が何を言っても肯定するだろう。私の味方は、和美以外にいないのだ。嘆いても状況の好転は望めないとわかっていても、震える唇はうまく言葉を口外へ出してくれなかった。
「あの公園は、東雲さんのお家とは方向がまったく違うわよね。何か用でもあったのかしら」
意地の悪さが溢れてきそうな喋り方には、何か意味があるのだろうか。けれど、やっぱり私はうまく頭の中で考えをまとめられなかった。相変わらず黙ったままの私の顔を見て、北川希がクスクス笑う。そのあとに続けられた言葉で、教室中が騒然とする。
「まさか東雲さん、誰かに告白したりなんて、してないわよね」
教室内の喧騒から取り残されたように、私と和美の立っている場所だけがシンとしていた。顔色は赤から蒼に変わっているだろう。内心の動揺が、そのまま表へ出ているのは明らかだった。
どうして部外者の北川希が、先日の告白の件を知っているのか。そこまで考えたところで、慌て気味に心の中で首を左右に振る。
明確に事実を指摘されたわけではないのだ。もしかしたらカマをかけてるだけかもしれないと考え、クラスで一番の美少女の言葉を否定する。クラスメートに知られてからかわれるのが嫌だったのはもちろん、振られた際に牧田友行から言われた言葉が今も耳に残っていた。
――今日のことは誰にも言うなよ。恥ずかしいからさ。
この期に及んで、酷い言葉で傷つけられた男性の頼みに従おうとしているあたり、私は底なしのお人好しなのかもしれない。
「そうなの。でも、何も用がないのなら、どうしてそんなに遠い公園まで行ったのかしら」
まるで誘導尋問だ。どうして私がこんな目にあっているのか、いまだに理解できなかった。とはいえ、心の中にある言葉をバカ正直に口にしたりはしない。相手は学級の男子生徒も女子生徒も味方の北川希。
対してこちらは、孤立無援と言っても過言ではない状況だった。無闇に声を張り上げたりしたら、中立に近い人間まで一気に敵となる。
仕方なしに黙っている私へ「ねえ、どうしてなの」と執拗に尋ねてくる。ある種、異様な雰囲気になりつつある教室内で、こうした状況に慣れてない和美が涙目になっている。
ターゲットが私でなく和美だったなら、号泣して謝罪の言葉を発した挙句に、洗いざらいすべてを話している可能性が高かった。メンタルという部分だけで考えれば、親友よりも強いのだと実感する。
「どうしてって言われても、単純に綺麗な公園があるって聞いただけなんです」
多少脚色をしているものの、嘘と断定されるほどではない。実際に和美のお父さんから、例の公園を教えてもらったからだ。
「そうなんだ。だから、そこで告白しようと思ったのね」
あくまでも北川希は、告白と公園を結び付けようとする。どこか確信を抱いているような節もあり、ひょっとすると相手女性は昨日、何があったのか知っているのかもしれない。
けれどこちらから質問しても、取り巻き連中に潰されるか、北川希本人にすっとぼけられるかのどちらかだ。私に反撃の機会はなく、可能な対抗手段といえば、ホームルームの開始という時間切れを待つぐらいだった。
「ごめんなさい。何を言いたいのか、さっぱりわからないです」
なんとか逃げ切ろうとするも、そうはさせじと北川希が口を開く。
「あら、そうなの? それなら、教えてあげましょうか」
猛烈な勢いで、嫌な予感が駆け上ってきた。再び私が何も言えなくなると、ここぞとばかりに相手女性が攻め込んでくる。
「東雲さんは、その公園で告白をして、振られたのよね」
自分の顔色が現在どうなっているのか。確認するのが、とても怖かった。下手をしたら、蒼から白にまで変わっているかもしれない。大きく見開いている私の目には、腕を組んで得意気に笑っている北川希の姿が映っていた。
相手女性は最初から全部知っていたのだ。意地が悪いにも程がある。やはり顔が綺麗だからといって、心までそうだとは限らないのだ。指摘してやりたい衝動に駆られつつも、私は口を動かせずにいた。
「実はね、その公園で東雲さんと轟さんを見たという人がいるのよ」
案の定、北川希は私が公園にいたのを知っていた。にもかかわらず、あえて遠まわしな言い方をしてきた。性格の悪さを表す証拠みたいなものなのに、誰ひとりとしてクラスで一番の美少女を責めない。改めて、周りは敵だけだと理解する。
「でも東雲さんは、公園には行ってないのよね」
嘘なのはすでにバレている。けれど、ここで認めようものなら、クラス中から罵詈雑言を浴びせられるのは明らかだった。素直に頷いておけばと後悔しても後の祭り。今さらどうしようもなかった。
「ええ、そうです」
公園にいたのを認める選択肢がない以上、私は偽りの返答を口にし続けるしかない。覚悟を決めて相手の目を見ようとするのだが、生来の内向的な性格が邪魔をする。北川希に間近で睨みつけられると、恐怖で身が竦みそうになる。
私でこの有様なのだから、隣にいる和美はもっと酷いことになっているに違いないと横目で見てみる。親友はポロポロと涙をこぼしながら、必死に周囲からのプレッシャーに耐えていた。
「ヤだ。どうしたの、轟さん。これじゃあ、私が虐めているみたいじゃない」
フレンドリーさをアピールするつもりなのか、北川希は明るく笑いながら、和美の肩に手を置いた。しかし緊張がほぐれるどころか、和美はさらに身を硬くする。相手女性の試みは逆効果に終わった。
――いや。もしかしたら、計算どおりなのかもしれない。
和美が私と一緒に例の公園へいたのを、誰にかはわからないけれど、目撃されている。同時刻に同じ場所へ滞在していたのであれば、事情を知っていると思われて当然だった。私がなかなか口を割らないので、標的を和美に変えた可能性がある。
「ほら、泣き止んでよ。それとも、昨日と同じように、振られた友達のために涙を流してあげてるのかしら」
今回の発言で、北川希が昨日の件の大部分を知っていることが明らかになった。そうでなければ振られたのはもとより、私と和美が一緒に泣いていたなんてわかるはずがなかった。親友も同じ結論に達したのか、ハッとした様子で顔を上げた。
「ごめんなさい。全部、知っていたの。東雲さんが、牧田友行君に告白して振られたのをね」
台詞の最後へ向かうにつれ、声のボリュームが上げられた。北川希の声は教室内どころか、登校中の生徒が溢れている廊下にまで響き渡った。
事情を知っている人間だけでなく、まったく関係のない人間にまで、私の身に何が起こったのかを曝露された。バラした張本人の北川希だけでなく、取り巻きの女生徒たちまで悪びれもせずに大爆笑する。あまりにあんまりすぎる展開に、私ではなく親友の轟和美が激昂する。
「ひ、酷いよ。どうして、こんなことをするの!?」
和美にしては珍しいぐらいの剣幕で、目の前にいる北川希へ掴みかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます