終話 「 The angel who has the white guitar sings the song for her 」
成田発JFK空港行きのボーイングの機内。ゆったりとしたファーストクラスのシートにもたれ掛かりながら、水瀬明日香は窓から夕闇が顔を出し始めた滑走路を眺めていた。
胸中に去来するのは、日本での思い出。特に忘れられない2人のこと。
まず親友の杏。
今回の急な渡米について、杏にも当然打ち明けた。
杏は明日香が声を失ったことを嘆き、そして渡米に関しては驚き悲しみながらも、一縷の望みがあるということで笑って送り出してくれた。
杏とはこれからもずっと親友でいることだろう。
そしてもう1人。明日香の心に刻みつけれられた、忘れられないであろう人。
彼のことを想うと、明日香の心には切ない痛みが
明日香は彼の『自分の声を取り戻したいか?』という問いに対し、少しだけ嘘をついた。
実を言うと、彼と会っていたあの時間だけは、自分の声があれば……と思ったのだ。
今日彼と会ったのは感謝と別離を告げるため―――だけではない。自分の想いを告白するためでもあった。
でも出来なかった。
自分の大切なこの『想い』だけは文字ではなく、やっぱり自らの声で伝えたいと思ったからだ。
いつか自分の声を取り戻した時、その時は彼に伝えよう―――この『想い』を。
そういえば、と明日香は思い出した。
弦輝に別れを告げたあと、彼から飛行機の搭乗時間を尋ねるLINEのメッセージが届いたことを。
空港まで見送りに来てくれるのかと思って教えたが、結局弦輝は来なかった。間に合わなかったのか、都合が付かなかったのか。まぁ彼が見送りに来ると明言したわけではないので別に来ないでも構わないのだが、少し寂しくはある。
と、その時、明日香と同じ窓側の前の席に座っていた乗客の1人が声を上げた。
「なんだ、アレ……人か?」
離陸直前の甲高いエンジン音に何故だか埋もれずに、その声は明日香の耳にすんなり届いた。
明日香は気になって窓の外をよく観察する。
見つけた。
滑走路から離れた、フェンスに囲まれた広大な草地。その上空に浮いている何かが存在していた。
目をじっと凝らして視ると、遠くはあるが全体像が確認できた。
アレは―――人だ。信じられないことに上空に浮いてはいるが……。あるいは人型の何かだ。
ファンタジー映画の魔導師が纏うような白いローブに、真っ白なギターを提げている。ローブのフードの陰に隠れて顔は見えないが。何より特筆すべきは、白いローブの人物の背から
『人は空を飛ばない』と言う一般常識を
悪魔などを目撃した明日香にとっては、アレが空に浮かんでいる人間だとしても、別段驚くことではない。
一人、また一人と乗客が窓の外の未確認飛行物体に気づき始め、機内がにわかにざわめき始める。
そのうち誰かが言った。
「アレってあの化け物を追い払った天使じゃないか?」
その情報は瞬く間に伝播し、機内で
「あのネットの⁉︎」
「歌う天使だ!」
乗客の口から次々と情報が飛び出してくる。
そこで明日香も思い出した。
ひと月半ほど前、ネットで世間を騒がせた白いギターの天使。
人々がスマホのカメラを向ける中、天使は徐にギターを弾く動作を見せた。
不思議なことに、もう間も無くの離陸に向けてエンジンが唸りをあげる中、しかも機密性の高いキャビンの中にあって、その音色は人々の耳朶に響いてきた。
甘く柔らかく、そして澄んだ、えも言われぬ音色。
自惚れや錯覚でもなく、明日香はその調べが自分に向けられていると思った。不思議だが、確信がある。
天上にあるがごとき
まさに『奇跡の歌声』とでも言うべき絶唱だ。
明日香はその歌声に飛び上がらんばかりの衝撃を受けた。
その声の素晴らしさだけではない。その歌声に聞き覚えがあったからだ。
かつて彼の自宅でギターの手ほどきを受けているとき、余興で
刹那、明日香の中で様々な疑問が氷解した。
―――何故、タッちんのことを知っていたのか。
―――何故、明日香が《魔術回路》の呪術から解き放たれたのか。
―――何故急に杏が回復したのか。
―――誰が杏にメモを残したのか。
―――何故明日香の搭乗する便の時間を尋ねてきたのか。
そのほかにも様々な疑問があったのだが、それらの小さな点が線で結ばれ、一つの答えを描き出した。
明日香は天使の―――彼の歌声に耳を欹(そばだ)てた。
歌っている曲はGReeeeNの『夢』だ。
彼は明日香を激励している。歌詞の内容も相まって、そう感じた。
機体が滑走路を旋回していき、いよいよ離陸体勢に入った。
エンジンの唸りは最高潮に達し、体に急激なGがかかる。
斜めに上昇していく
明日香は機体が雲を突き抜け歌声が聴こえなくなるまで、熱い涙を拭おうとしなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜空を飛びながら、俺は目的の場所を見つけるとそこに降り立ち、待ち合わせていた人物に声をかけた。
「レイラ。悪い、待たせたな」
「
「多分、大丈夫だと思う。聴こえたかどうかは確認とれないけどな。ここに来る時も、誰にも見られてないよ」
「ならば成功としましょう。それよりも、他の女へのアプローチを許すどころかその手助けまでするなんて、私ってなんて寛容なのかしら。そう思わない、ゲンキ?」
流し目で妙なことを言うレイラに、俺は苦笑しながら礼を述べる。
「あ、ああ、本当に助かったよ。レイラがいなきゃ、この作戦は無理だった」
「まぁ理解ればいいのよ」
得意げな表情をするレイラ。
ところで俺とレイラがいるのは、成田空港から少し離れた場所にある人気のない駐車場だ。
今日の昼間、明日香と別れた俺は急いでレイラに連絡をとり、協力を要請した。
レイラと合流し成田へ向かう道すがら、明日香に搭乗する便の時間などをLINEで問い合わせ、レイラと打ち合わせをした。
成田に到着すると、レイラに用意してもらった衣装を着てミカエルを持ち、空港まで飛んだ。
不思議なのは、《ガルーダ》を擬似召喚魔術で創り出そうとした俺に、かつての光の翼が生えたことだ。これはどうやら《女神ムーサ》の力に由来するらしく、普段はどれだけ頑張っても出現させることができないのだが……何故この時に限って出現したのか、謎である。もしかしたら、明日香のために歌いたいという想いに応え、ムーサが手伝ってくれたのかもな。
そのまま明日香を見送り励ますために歌を歌い(といっても聴こえたかどうかは定かではないし、聴こえたところで俺とは判らないだろう。ただの自己満足だ)、終わった後はレイラの精霊術で俺の姿を風景に溶け込ませて離脱。そして今に至る、と言うわけだ。
暦の上では夏とはいえ、まだ夜風は程よく冷たい。
その心地よい風を感じながら、俺は呟いた。
「声がなくても良いって、明日香は言ったんだ」
「
俺の唐突な発言を聞き返すレイラに目を向け、俺は言う。
「俺は明日香が声を失ったと聞いて、こう思ったんだ。ひょっとしたら、イフリートの炎で明日香の声が戻るんじゃないかってな。それで、それとなく明日香に声を取り戻したいかって訊いたら、『今は別にいい』ってさ。凄いよな。俺なら不便すぎてすぐに取り戻したいと思うよ。だってそうだろ? 今まで当たり前にあったものがなくなったんだから。それで、明日香がそんな勁くなったのも、俺のお陰だって言うんだ。それを聞いて俺、嬉しかったんだ。俺の言葉で、俺の音楽で人が良い風に変わっていくことが」
「……これは良い傾向ね。少し計画を早めるわ」
「計画?なんのことだ?」
俺の言葉に大きな眼を大きく瞠いて、レイラが俺を非難する。
「まぁなんて事!まさか私たちの目的を忘れたわけではないでしょうね?もしそうだとしたら、地獄の特訓フルコースよ。ゲンキが牝犬に盛って目的を見失う牡犬以上の記憶力を持っていることを祈るばかりだわ」
剣呑なことを言い出したレイラ。俺は泡を食って弁解する。
「ま、待て、憶えている!え、えーと……そうだ、俺たちの目的は清音を復活させること―――だろ?」
よく出来ましたとばかりに頷くレイラ。
「
「お、おーけー」
「よろしい。先刻言ったのは、貴方のデビューの時期を早めるということよ。温めていた計画を実行する時が来たわ。まずバンドを組んで、華々しくいきましょう。日本ではポピュラーなやり方ね。よし、そうと決まれば早速メンバー探しよ!」
何かのスイッチが入ったみたいに、みるみるテンションが上がっていく金髪娘。
「お、おいちょっと、レイラさん……?」
「実はもう目ぼしい人材はリストアップしてあるの。大丈夫、私に任せてちょうだい!さぁ、行きましょう、ゲンキ。Strike while the iron is hot ―――善は急げと言うでしょう?」
ウキウキとした様子で歩き出すレイラ。
俺は彼女を「やれやれ」と追いながら、夜空を見上げた。
遠く海の向こうへ旅立った飛行機を見ながら、どうせなら異国にいる彼女の耳にも入るようなロックスターを目指すか、なんてことを考えながら。
頑張れよ、明日香。
〜 The End 〜
ロックスター☆かく語りき2 〜リトル・ウイング〜 平明神 @taira-myoujin
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