第36話 「 versus the demon 」




「は、離せ、この野郎!」


 俺は両脚をジタバタさせ抵抗するが、長身の男は動じない。


「メフィスト。そのお兄さんをそのままにしておいて」


 男―――メフィストにそう命令したあと、レオナルドはレイラの方へ近づいていった。


「ゲ、ゲンキを離しなさい!」


 メテオ・ドライバーをかばうように胸に抱きつつ、レイラはレオナルドに叫んだ。


「いいよ。ただし、君がソレを返してくれればね」


 と、レイラの方に掌を差し出す。


「レイラ、渡すな!そいつらに渡したらきっとロクでもないことになるぞ!」


 叫んだ俺は、《想像》とともにギターを鳴らす。


 ギターの爆音に呼ばれ、一度は消えていたイフリートが炎を纏って再び顕れる―――と同時に鋭いパンチを繰り出す。


 ドンッ!


 大質量の物体が勢いよくぶつかる音。


 よし、決まった。俺を掴んでいる手が緩んだ隙に脱出を―――と考えていたが、不可能だった。


「……嘘……だろ?」


 何故ならば信じられないことに、イフリートの一撃を食らってもメフィストと呼ばれた男はビクともしなかったからだ。


「無駄だよ。キミ達もなかなかユニークなことをしているみたいだけれど、所詮は魔術。人のわざの域を出ない。本物の《悪魔》に敵うわけがないじゃないか」


 悪魔だって?


「やはりそうなの……『メフィスト・フェレス』をび出していたのね」


 苦々しく呟くレイラ。


 どうやら彼女には心当たりがあるようだ。


「そうだよ。キミになら彼の―――メフィストの力がわかるだろう?そして、何をしても敵わないということも」


「そうね。仕方ないわ。あんな大物が出てきては」


 首を振り、渋々ながらレオナルドにメテオ・ドライバーを渡した。


「おい、レイラ⁉︎」


「いいのよゲンキ。そのメフィストは今までのどんな敵よりも強力なの。それにあなたの無事が最優先よ」


 俺を安心させるためだろう、微笑んでレイラは言った。


「けど……」


 悔しい。俺は悔しかった。


 このままみすみす危険そうな奴らに、危険そうなものを渡してしまうなんて。


 何も出来ずに見過ごすだけなんて……。


 いや何より、明日香を苦しめたコイツらに一矢報いることができないなんて……っ!


 感情が昂ぶり、悔し涙まで滲んできた俺。その視界に不意に、淡い光が映える。


「な……なんだ⁉︎」


 その発光源を探す―――と、それは、今まさに俺が抱えるギターから発せられていた。


 ギター、いや《ミカエル》は緑色の光を発し、その光量を少しずつ多くしていった。


 その光を見て、メフィストが慌てたように俺を放り投げた。


「―――っ⁉︎ 痛てて……ん?」


 レオナルドが目を瞠いて、投げ出された俺を―――いや、ミカエルを視ていた。


「それはまさか……神器かい?」


 今までの気だるげな様子から一転して、喜びに打ち震える表情を見せた。


「まさかこんなところで神器の一つと出会うとは……これはラッキー以外の何物でもないね。千載一遇のチャンスだ―――メフィスト、あのギターを奪ってくれ」


 レオナルドの使命を受けたメフィストが、ゆっくりと俺に近づいてくる。


 というか、なぜだかレオナルドは《神器》の事を知っているらしい。しかも『奪え』ときたもんだ。


 しかし何を置いてもこの《ミカエル》は渡すことはできない。それだけの理由がある。この《ミカエル》は清音が遺したものだから。


 とはいえ、あのメフィストという悪魔 (?)は相当強い。人間より一回り大きいだけなのに、先月街で破壊の限りを尽くしたあの怪物レベルの威圧感がある。


 こいつにイフリートの炎は通じそうにない。実際通じなかった。


 どうする?


「大丈夫よ。《ミカエル》はきっと奇跡miracleを起こしてくれる。あなたが強く『想い』を込めれば。私はキヨネがそうやって奇跡を起こすのを、この目で見てきたのだから」


 俺の戸惑いを解きほぐすようにレイラが言った。


 想いを込めれば……か。そうだな。


「その神器は《ミカエル》なのかい。だとしたらますます残念だな。その《ミカエル》は神器の中で一二を争うほど戦闘に向かない。なぜならば《ミカエル》の唯一の能力は『魔法を貯蔵すること』なのだから。仮にいま《ミカエル》に何らかの魔術が溜められているとしても、メフィストには通用しないよ」


 ああそうかよ。


 でもこちとら、一か八かでもやるしかないんだよ。今は死中にしか活を求められないんだ。


 というわけだ。しっかり応えてくれよ、《ミカエル》。


 ありったけの想いを乗せて、俺はピッキングする。


 キュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥン。


 ピックアップ・セレクターをセンターにした《ミカエル》から、甘い音色トーンのロング・サスティンで鳴らす。


 永い、永い……それこそ神代からの悠久の時を感じさせる深い音色だ。どんなヴィンテージ・ギターにもこの『音』は発せられないだろう。


 残響リバーブをたっぷりと含ませたディストーション・サウンドで俺はゲイリー・ムーアばりの泣きのフレーズを奏でた。


 途端、《ミカエル》の全身から淡く暖かい光が放たれ、俺を包んだ。


 すると―――。


 ゴゥッ!


 イフリートの全身が白く輝きだした。


 そして全身を、同じく白い炎が覆う。


 今までより圧倒的に重厚なオーラを纏い、イフリートはメフィストの前に立ち塞がる。


 そして……


「強化の魔術かな?確かに魔圧は段違いに跳ね上がったけれど、そもそもメフィストには《魔力無効化》という―――」 


 ドンッ‼︎


「―――能、力……が…………え?」


 レオナルドは『何が起こったのか理解できない』という表情をしたままたっぷり5秒ほど固まり、そしてギ、ギ、ギ、という音がしそうなほど、ぎこちなく首を回した。


 イフリートにぶん殴られ、20メートルほどぶっ飛んだメフィストの姿を追って。


 建物の壁を破壊して壁の向こうに倒れ込んでいたメフィストが、細かいコンクリート片を床に落としながら徐ろに立ち上がった。


 その様子を驚愕にまみれた顔で見つめ、レオナルドは震える声で言う。


「ど……どうして……?メフィストにはいかなる魔力も魔術も効かないはずなのに……。あ、ありえない」


 これまでの余裕綽々を超えて退屈そうな態度から一変して、動揺と混乱の極みにあるレオナルド。こうしてみると、こいつも年相応に見える。


 なぜ急にメフィストにイフリートの力が通用するようになったのか判らない。だがそれはどうでもいい。通用するようになったという、その事実だけでいい。


「――――――――――――っ」


 スローテンポの曲でも、盛り上がっていく場面では早弾きをすることもある。


 俺はクライマックスに相応しい激情的な演奏を、様々な奏法を交ぜながら行う。


 レガート、トリル、チョーキング、ミュート、ピッキングハーモニクス、タッピング、スウィープ……俺の持てる全ての技術を駆使し、曲を彩っていった。


 アガる、アガる。


 俺のボルテージが、ぐんぐん上昇していく。


 それに比例してイフリートのも上昇していく。


 メフィストが突如地を蹴り、目にも留まらぬ速さでイフリートを攻撃した。


 左の頬を殴られたイフリートは多少ぐらついたが、『やりやがったな』とでも言うように面をメフィストに向け直すと、右のストレートを敵にお見舞いした。


 メフィストも同じようにぐらついたが、すぐに体勢を立て直し、両者睨み合った。


 次の瞬間。


 ドガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!


 ゼロ距離でお互いを殴り合った。激しく。


 とんでもない質量同士がぶつかり合う音が周囲に響く。音圧が、離れた場所に立つ俺たちの髪を揺らすほどに。


 確実に効いている。イフリートの攻撃は、確実にメフィストという規格外の怪物にダメージを与えている。


 だがしかし、メフィストの攻撃も確実に効いている。


 メフィストのパンチの1発1発がイフリートをえぐるたび、俺の中の精神力みたいなものがごっそりと減っていくのを感じる。疲労感が半端無い。それに何より痛みのフィードバックも。


 敵の耐久力がどれくらいあるか知らないが、俺の方はそう遠くないうちにバッテリー切れを起こす。持久戦には持ち込めない。


 思案していると、俺以外の力がイフリートに流れ込んでくるのがわかった。


 レイラだ。


 見ると、こんな状況にありながらも彼女は恍惚とした表情を晒している。


 どうやら俺のプレイに酔いしれているようだ。


 俺とレイラで行う《擬似召喚魔術》は俺の感情だけでなく、俺の演奏を聴いた人のそれをもエネルギー源とすることができる。


 レイラ自身は魔力を使って魔術を行使することがない(全くというわけでは無いらしい)が、俺と《擬似召喚魔術》を行使しているときは『感情』をエネルギーの供給源とすることができるらしい。


 おかげで、イフリートも白い炎の勢いをいや増した。


 イフリートとメフィスト、お互い少し距離を作って大きく拳を後ろに引き、力を溜める。あたかも射る寸前の弓矢のように。


 ドン‼︎


 白と黒の流星がぶつかり合う。


 衝撃の余波で俺たちも吹き飛ばされそうになる。


 まだ両の拳はぶつかったままで拮抗している。


 だが、メフィストの踵が少しずつじりじりと後退していき……。


 イフリートが肩からジェット噴射のように炎を吹き出してさらに力を込めると、メフィストを再び後方にぶっ飛ばした。


「…………っ!」


 レオナルドは絶句しっぱなしだ。


 先ほどよりもゆっくり起き上がったメフィストは……うわ、すげぇムカついた顔をしている。そして翼を広げて5メートルほど上空に羽ばたいた。


 やっぱり飾りじゃなかったか、あの翼。いよいよ本当に化け物なんだな。いや、全力のイフリートと張り合える時点で判っていたけれど……。


 空中でホバリングしながら、今まで以上に危険な黒い霞―――視覚化されるまでに高密度な魔力なんだろう―――を纏いながら、メフィストは手を前に突き出す。


 そこに黒と紅の魔力がマーブル状に入り混じったサッカーボール大の魔力球(とでもいえばいいのか?)が形成された。


「あ……あれはとてもマズいわ。あれが放たれれば、このあたり一帯が吹き飛ぶわよ……」


 俺の服の二の腕あたりをぎゅっと掴みながら、聞きたくなかった説明をしてくれる。


「みたいだな。おい、なんかスパークまでしだしたぞ」


 少年マンガやアメコミヒーローの必殺技みたいだ。


 メフィストはあれで一気に仕留める気だろう。


 こうなったら、俺も受けて立つしかないな。


 ギターのソロプレイを止め、オープンAのパワーコードをミュート奏法で刻む。ゆっくりと、重く。


 イフリートが両手をメフィストに向けると、手のひらに白く激しく渦巻く渦巻く炎球が形成された。


 そのに備え、チャージされていく両者の最大の一撃。


 俺は『ズンズン……』とコードリフの音量を徐々に大きくしていき、速さテンポはそれに応じて徐々に上げていくアッチェレランド


 イフリートとメフィスト、両者の高まりゆくプレッシャーでこの建物の全体が小刻みに揺れ始めた。


 高まりゆく緊張感……。


 そしていよいよ―――。




「もういいよ、メフィスト」




 と横合いから制止の声が掛かった。


 レオナルドだ。


 見ると、先ほどまでの狼狽うろたえぶりは鳴りを潜め、冷静さを取り戻していた。


「ちょっとそこのお兄さんに興味が湧いてきたよ。いったん退いて、様子を見てみよう」


 レオナルドの言葉を受け、メフィストは渋々という態度で矛を収めた。


 一瞬で自らの魔力球を消滅させたメフィストは、翼を一振りさせるとレオナルドの横に降りたった。


「メフィスト。どうだった?」


 と訊くレオナルド。


「……はただの力では無い。魔力ではなく……神力」


 日本語で答えるメフィスト。


 お前、喋れたのかよ。


「神力だって?……そうか、魔術ではなくどこかの神格を封じたのか。いや、理屈の上では可能だ。何しろ《ミカエル》の許容量キャパは理論上無限だそうだからね……」


 と、何やらぶつぶつとよくわからないことを呟くレオナルド。


「何れにせよ、このお兄さんは面白い。色々な意味でね。このお兄さんはボクの重要研究対象にするよ。もう決めた」


 はぁ?


「おい、何言ってるんだ?お前……」


 俺の疑問に、レオナルドはニヤリと笑って答える。


「と言うことで、お兄さん……ゲンキだっけ?ボクたちは今日のところはいったん退かせてもらうよ。ああ、そのエフェクターはひとまず預けておくよ。データはすでに取ってあるからね。その《ミカエル》もいずれは返してもらうけれど、それまでは存分に使ってくれても構わないよ」


 そしてスタジャンのポケットからスマホを取り出し、操作しだした。すると、レオナルドたちの姿が陽炎のように揺れだした。


「あ、ボクの名前はレオナルド・ダ・ヴィンチと言うんだ。お見知り置きを。それじゃあね。また会おう」


 言いたいことを言うだけ言って、フッと消えた。


「なんだったんだ、一体……?」


 ぼやく俺だが、正直ホッとしている。


 あのまま続けていれば確実に俺は負けていただろう。何故ならば、イフリートに攻撃させるだけの余力はもう残っていなかったからだ。


「危なかったわね。まさかあんな大物が出てくるなんて―――ゲンキ、大丈夫⁉︎」


 と言うレイラの声は、もうほとんど聞こえていなかった。


 俺はすでに地面に倒れ込み、そして意識がだんだんと消えて―――。






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