第35話 「 a cheer of my best friend 」
明日香がステージに倒れこんだ時はどうなるかと肝を冷やしたが、なんとか立ち上がったのを見て、聖はホッと胸を撫で下ろした。
(何をやってんのよ、ゲンのバカ)
今はここにいない幼馴染に向かって、心の中で悪態をつく。
ステージではなんとかスタッフを説得したらしい明日香がマイクに向かった。
先ほどの曲―――『リトル・ウイング』を歌い出した時、聖は肌が泡立つのを感じ、自分の体を抱くように両腕を組んだ。
倒れる以前も素晴らしい歌声だと思ったが、今はそれに加え、鬼気迫る迫力がある。
蝋燭が消える前にひときわ大きく燃えるように、彼女はいま己の全存在をかけて歌っているのだろう。文字通り命懸けだ。
聖はそんな明日香の姿に、戦慄を禁じ得なかったのだ。
明日香がMCで言っていたように、この曲は誰かのために歌っている曲なのだと感じられる。母のため、友のため―――そして誰か好きな男の子のために。
聖の脳裏にチラリと幼馴染の顔が浮かんだが、ひとまず今はその件を保留することにした。
秋空の澄んだ空気は天高く昇り、世界を見渡す。明日香の歌が進むにつれ、空はその様相を変える。冬の寒さを知り、春―――この世界の暖かさを知る。
そんな
だが再び歌声が途切れ、明日香の体が1度、ぐらりと傾ぐ。
その時、聖の隣で観覧していた1人の少女が、ステージを目指して走り出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
限界の向こう側というものを明日香は感じていた。
正直良くやったと、自分で自分を褒めてあげたい。
(あと1コーラスだけだったんだけどな……)
朦朧とした意識の片隅でそう思い、重力に身を任せかけた時、
「明日香、頑張って!」
明日香の意識をつなぎとめたのは、ある少女の声援だった。
聴き覚えがある―――どころではない。
明日香にとって一番馴染みのある、
しかし決して
親友の声。
「……あぁ……」
明日香の目が、ステージに半ば身を乗り出すようにした少女の姿を捉えた時、一粒の大きな涙が溢れた。
「杏……なの?」
そう。そこにいたのは病院のベッドで昏睡状態のはずの杏だった。
杏はフラフラの明日香を大きな声で激励する。
「明日香!明日香の歌、聴いてたよ。明日香の想い、伝わったよ!……コホッ」
声が嗄れて咳き込むのは、長い間
それでも杏は懸命に明日香に呼びかける。
「私、明日香にひどいことしちゃった。私が明日香に何を言われても仕方ないよ。私は安易な方法で逃げようとしてた。……でも、もう逃げないよ。明日香が許してくれるまで私、謝り続ける」
明日香の目からは大粒の涙がボロボロととめどなく零れ続けていた。
―――違う。違うよ。
首を振る明日香。
母の事故は仕方ないことなのだ。
起こってしまった過去の話。
当時子供だった杏に悪気がないのは解っている。
なのに、明日香は感情のままに杏を傷つけた。それも彼女を自殺未遂へと追い詰めるほどに。
「明日香、歌って!みんなの―――明日香の好きな人たちのために!」
杏の言葉に、明日香の心の奥底からまた暖かい力が
明日香が大きく頷くと彼女の涙が宙に舞い、スポットライトに照らされて宝石のように輝いた。
両足を踏ん張り、しっかりと前を見据える。
ギターのネックをしっかり握り、マイクに向かって歌い出した明日香を見て、杏はニッコリと微笑んだ。
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ステージ上の明日香が歌い終わった時、本日最大のスタンディング・オベーションが巻き起こった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、俺は周囲を見渡す。
浄水場の貯水池はコンクリートが破壊され、至る所に斑らを作り、煤で汚されて焦げ臭い。それらが戦闘の激しさを物語っていた。
数メートル先の地面にはタッちんが仰向けに倒れたまま気絶しており、それを確認した俺は地べたに座り込んだ。
「お疲れ様、ゲンキ」
労いの言葉とともに、レイラはハンカチに包んだ物体を俺に示した。
煤で黒く汚れてはいるが、タッちんが《メテオ・ドライバー》と名付けたかつてエフェクターだった物体だ。
「やっぱりこれが魔術装置だったわね」
「ああ。レイラの言った通りだったな」
明日香が俺の家で倒れた日、レイラは既に見抜いていた。明日香が魔術回路に組み込まれていることを―――そして、このエフェクターがその要である事を。
「それにしても……よく判ったな、このエフェクターが装置だってこと」
俺の疑問に手をヒラヒラさせて答えるレイラ。
「簡単な事よ。マスクドマンが使っていた道具の中で、そのエフェクターだけが唯一魔術的な『音』を放っていたわ。とはいえ、アンプからの爆音に紛れて聴き取り辛かったけれど」
そういえば、こいつには超絶対音感とでもいうべき聴覚があるんだったな。
「それにしても、魔術の媒体としてはアスカの身体の一部を使用したのでしょうけれど、あれだけの異様な《力》を使えるようにするのに、どんな素材を使ったのかしら……」
小首を傾げながら、彼女は煤けた金属の箱を興味深げに見ていた。
俺はタッちんの流れ込んできた記憶のあらましをレイラに語った。
「そう……《隕石》の欠片。でも普通の隕石ではないわね」
「俺もそう思う。なんというか、禍々しい意思みたいなものを感じて仕方がないんだ」
タッちんの記憶の中で語りかけてきた『意思』の様なもの。それはただの鉱石では有り得ないものだ。
「まぁでも、もう大丈夫だと思う。イフリートの炎でその隕石の中の意思みたいなものは焼き尽くされたみたいだしな」
「とにかくこれは《魔術協会》で調査する必要があるわね―――」
レイラの言葉に反応したのは、しかし俺ではなく、新たな人物だった。
「それはちょっと困るな」
「―――っ‼︎」
緊張が一瞬にして
倒れているタッちん以外、誰の姿も見えない。
しかし俺たちの視線はある一点で止まった。
俺たちから離れた場所で空間が陽炎の様に揺らいでいる。
果たしてその空間から人影がひとつ現れた。
黒のオーバーオールの上に青いスタジャンを着込み、黒のニットキャップを被った子供だった。
ニットキャップの下にはアンニュイな雰囲気を漂わせる美しい顔立ちの外国人。
しかし何より特徴的なのは、銀の髪と右眼を隠す眼帯だ。
俺より2つか3つばかり年下であろう、この美少年を俺は知っている。
「レオナルド……」
呟いた俺の方を向き、「ん?」と怪訝な表情をする。
「ギターを持ったお兄さん。ボクはキミとは初対面だと思うけど……なぜかキミはボクの事を知っている様だね。興味深い」
ガムをくちゃくちゃ噛みながら俺に話しかけてきたレオナルド。
こいつはタッちんを
だが明日香の話やタッちんの記憶から抱いた印象通り、こいつとはまだ比較的会話が成立しそうな様子だ。
「ああそうだ。俺はお前のことを知っている。何故かは教えないがな」
「ふぅん。まぁいいや。先刻からここの様子を
そしてレオはレイラの方を見て言う。
「―――Can you give that machine back to me ? (その機械を返してもらえないかな?)」
「No , I can't. I disagree.(それは出来ない相談だわ)」
レオに相対したのはレイラだった。
「You’re Laila Mcpherson, aren’t you ? You who are called " Crownless genius " and " bud of Titania " are ace of magic association. I've heard of you many times. I'm pleased to meet you. (キミはレイラ・マクファーソンだね。《無冠の天才》や《妖精姫》の異名をとる、魔術協会のエース。お噂はかねがね……お会いできて光栄だよ)」
「I think you are great engineer . The pleased to meet you . (貴方も凄腕の技術者だとお見受けするわ。私の方こそ貴方とお会いできて光栄よ)」
「Thanks so much. By the way , you might not carry out my favor . I was mildly disappointed.(それはどうも。ところでボクのお願いは聞き入れてもらえそうにない様だね。残念だ)」
それほど残念そうには見えない表情のレオナルドに俺は質す。
「なぁレオナルド。お前はこのエフェクターで何がしたかったんだ? お前に目的はなんだ?」
「ボクの目的か……キミはどうやらボクたちの実験に関与して迷惑を被った様だから、まぁ少しくらいならばいいか。ボクの当面の目的は《反魂術》の完成―――簡単にいえば、死者を生き返らせる事だよ」
渋るかと思いきや割とあっさり答えたレオナルドに、レイラが噛み付いた。
「それは残念ね。そこに倒れているマスクドマンは《反魂》の実験なんてするつもりなかったみたいよ?」
「みたいだね。そこはボクの人選ミスかな?ともあれ最低限のデータは取れたから、良しとしよう。それに恐らく、《反魂》の計画を実行したとしても、あの様子じゃ失敗しただろうね」
目の前の少年の言い種に、俺はカチンときた。
「なんだと?お前らとの約束を信じて実験とやらに協力して、危うく命を落としかけた女がいるんだぞ!無責任すぎるだろうが!」
こんな非人道的な行いをする奴らを相手に責任もないもんだが、俺は言わずにはいられなかった。
「アスカ・ミナセのことだね。無責任とは心外だな。ボクはあくまで実験の成功を目指していたんだよ。それに彼女からどう聞いていたのかは知らないけれど、ボクは
全く悪びれることなく言い放つレオナルドに、俺は怒りのメーターが振り切れるのを感じた。
「テメェ‼︎」
年下相手だが、胸ぐらをつかもうと俺が手を伸ばした時―――俺の手は見えない壁に阻まれた。
なんだ?
怪訝な顔をする俺に、
「ゲンキ、だめ、退がって!」
レイラの焦った声が届く。
見えない
そしてそのまま俺は、猫の様に吊るし上げられた。
「な、なんだ⁉︎」
不可視の壁から腕だけではなく、肩、脚、そして全身が現れた。
長身の男だ。しかし、血を映したかの様な紅の瞳と背から生える黒い翼が、こいつを超常の存在だと告げている。
何よりこいつが発するオーラが、今まで俺が遭遇してきた何物よりもヤバいと、俺は肌で感じている。
―――こいつは、なんなんだ?
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