第28話 「 Greatest Teens (1) 」



 数日後の日曜日。


 俺が住んでいる街から少し離れた場所に立っている文化ホール。そこに俺は居た。


 出演者用に用意された大きな控え室―――普段は会議室として使用されていると思われる―――には、俺が所属する昂星高校軽音楽部の面々の他にも多数の若者がいて、銘々が思い思いの方法でリラックスなり楽器の最終確認なりをして過ごしていた。


 そう、今日はグレイテスト・ティーンズの開催日だ。俺も参加者の1人として、当然控え室にいる。


「せ、先輩〜。なんでそんな落ち着いてるんですか〜?」


 と、緊張感でいっぱいいっぱいの様子で俺に話しかけて来たのは、後輩の1人、高梨りんごだ。


「なんでと言われてもなぁ。しないものはしないんだから仕方ないだろう。それに俺だけじゃなく、こっちの先輩達も落ち着いてるぞ。参考に訊いてみろよ」


 俺が指差したのは軽音部チームA―――バンド《My Shocking dinner》の面々だ。


 メンバーは高梨学 (ドラムス)、花屋敷遊蛇 (ベース)、灰田凛 (ヴォーカル)、御堂詩織 (キーボード)、そして俺がギターという編成である。


 皆、1年生が中心のチームCより、リラックスしている。それも当たり前の話で、3年生の高梨部長と御堂先輩はもとより、俺、灰田、遊蛇の2年生もこれまでの部活動でいくつか場数ステージをこなしている。俺に関しては物心ついた頃から親父達に混じってステージに上がっているため、皆に比べて緊張は少ない(とはいえ全く無いわけでは無い)。


「不夜城、私も緊張していないわけではありませんわよ?」


 などと優雅にティーカップに注がれた紅茶を充分リラックスした様子で飲みつつのたまう御堂先輩。さながら高級なラウンジにいるようだ。というか、どこから出したんだろうか、そのティーセット。


「りんご!お兄ちゃんは緊張していないぞ!」


 と高梨部長は溺愛している妹たるりんごに声をかけるが、


「お兄はいつも緊張なんてして無いじゃん。てか、そんな繊細な神経してないでしょ。参考にならないよ」


 と、すげなく断られ、ガーンとショックを受けている。


 よ、容赦ないな、りんご。


 しかしよく考えてみると、灰田も普段と同じようにのほほんとしているし、遊蛇に至ってはヘッドホンをかけて、マネキンのようにボーッと宙を見ている。こいつも平常通りだ。


 あ、ヤベ、マジで参考にならねぇ、このメンツ。


 そういえばチームCの方にも落ち着いているメンバーがいることを思い出し、そちらを見る。


 チームCバンドバイラアイス丼のメンバーは高梨りんご(ドラムス)、鈴木ましろ(ベース)、守屋翔馬 (ギター)、香山せいら (ボーカル・ギター)、草尾雪乃 (キーボード)という編成だ。


 3年の草尾先輩と2年の鈴木以外は全員1年だ。1年はやはり緊張しているようで、顔が強張っている。鈴木は2年生でいくつか場数を踏んでいるはずだが、性格のせいか、少し落ち着きなく鏡の前で前髪をいじったりしている。


 その中で1人、泰然自若とした人物に目を移す。


 草尾雪乃先輩。背丈は部で一二を争う程にミニマムで、腰までまっすぐ伸びた艶やかな黒髪も相まって、日本人形のような容姿をしている。


 湯呑みからズズッと熱そうな緑茶をすすった草尾先輩は視線を感じたのか、俺の方をちろっと睨む。


「不夜城、私に何か用か?」


「あ、いや、りんごが緊張感をなくす方法はないかと……草尾先輩は落ち着いていそうなんで……」


 と俺は尻すぼみで説明した。


「緊張か。そうだな……。りんごよ、こう考えてみると良い。緊張しようがしまいが、その時はやってくるとな。緊張すれば失敗する可能性はある。であるならば、緊張するだけ損ではないか?やる前からアレコレ考えても仕方はないのだ」


 そしてまた茶を啜る。


「な、なるほど……。確かにそうですね。なんかちょっと心が軽くなった気がします」


 本気で感心し、何度も頷くりんご。


 草尾先輩は聖歌隊出身なのだが、言動がお寺の住職じみている。


 ちなみに草尾先輩は本来ヴォーカルパートなのだが、編成の都合上、キーボード・パートということになった。ヴォーカルは部内に3人いたが、今回は2チームでの出場となったため、1人余る形になってしまった。


 ツイン・ヴォーカルという案も出たが、草尾先輩は後輩に華を持たせる為か自ら進んでキーボード・パートに移った。聖歌隊でキーボードを弾いていたらしく、うまく収まった。


 余談だが、わが軽音部にはA〜Cの3つのチームがある。しかし全てのパートが3チーム分いるわけでもないので、普段は掛け持ちをしている。今回は全員が参加するために2チームに振り分けた。


 更にこれは蛇足だが、こういうイベントに参加するとき、わが軽音部ではそのバンドのドラマーがバンド名を決めるという慣習がある。今回両バンドのドラムパートには高梨兄妹が就いているから、自然と高梨兄妹が名付けたことになる。


《バイラアイス丼》

《My Shocking dinner》


 ……高梨家の食卓に、俺は不安を覚えるばかりである。


 そんな益体やくたいもないことを考える俺に声をかける者がいた。


「弦輝……」


「明日香。体調はいいみたいだな」


「うん。何とかね」


 振り向くと、そこにはスエードキャミの下にカットソーをレイヤードし、それにロングスカートのようなワイドジーンズを合わせたいでたちの明日香が立っていた。


 ざわ。


 俺の周囲―――軽音部の連中―――が、興味と好奇の目を俺と明日香に向けていた。


「誰あの娘かわいい」 とか 「やっぱコマシとか」 とか 「フケツ」 とか、ヒソヒソ言ってるけど聴こえてるからな、お前ら。


 針のむしろ的な居心地の悪さを覚えた俺は、明日香を連れて控室から離れた。


 都合よく人気のない通路に設置された自販機の前まで移動した俺たちは、ミネラルウォーターを買って明日香に渡す。


「今日は歌うんだろ? なら水分は摂っておいた方がいい」


「ありがと……凄く、嬉しかったよ」


「え? あ、いや……そんな水くらいで大げさな」


「それもだけど、この間のこと」


 と言われ、先日水無瀬家を訪問した時のことを指しているのだと気付いた。


 同時に多少、気恥ずかしくなる。あの時は愛とかなんとか、結構クサイことを言ったからな。


 明日香を見ると、彼女も少し俯いて顔を赤くしている。まぁ、明日香も泣きじゃくった上、俺に抱きついたりしているからな。それを―――自爆ではあるが―――思い出したのだろう。


 しばしの沈黙。


 やがて口を開いたのは明日香の方だった。


「私、今日は思いっきり歌うわ」


「そうか」


 彼女の顔は憑き物が落ちたように晴れ晴れとしていた。


「たぶん私はもうすぐ死んじゃうけど、どうせ死ぬなら思いっきり歌って後悔しないように死にたい。それが弦輝やあのレイラって子への恩返しになると思うから」


 明日香のお見舞いに行った翌日、俺は明日香をレイラに引き合わせた。


 レイラは霊薬と呼ばれるアイテムや魔術を駆使して、明日香の延命を試みた。


「何とか、少しは生命力を戻せたわ」とレイラは言った。


 明日香は前向きに、少しでも長く生きる決心をしたのだ。


「今日、からメールが来たわ」


 明日香は顔つきを少し引き締めて言った。


 あいつら―――タッちんとレオナルド。


「今日の午後に決行するって。成功したら、ママに会わせてあげる―――って」


 現時刻は午前9時。まだ少し時間がある。


 俺の―――《My Shocking Dinner》の出番は午前10時のオープニング近くの時間だ。なんとか間に合いそうだな。


 レイラの読みでも、奴らが動くのは今日だと言っていた。しかし今日は俺も部活がある。奴らの動く時間と俺たちの出番がカブればお手上げだ。最悪、みんなには申し訳ないが何らかの理由をでっち上げて、俺だけ欠場しようかと思っていた。


 だが、それは杞憂に終わりそうだ。


「ねぇ弦輝。私、緊張してるみたい」


 明日香の胸の高さまで持ち上げた彼女の右手は、微かに震えていた。


「でも、何に対して緊張してるのか、自分でも分からないの。ステージに立つからなのか、死ぬかもしれないからか、それとも、ママに会えるからなのか……」


「大丈夫だ。信じろ」


「弦輝……」


「俺の先輩が言っていた。緊張しようがしまいが、その時はやって来る。緊張するだけ損だってな。それってなるようになるってことだろ? 明日香は今まで頑張って練習してきたんだ。努力は裏切らない。お前の努力を信じろ。お前の2人への想いを信じろ。やるだけやったら、あとはなるようになる」


「うん。そうね」


 明日香は今日初めての笑顔を見せた。


 それも、クラっとくる様なとびきりのやつだ。


「それにな明日香」


「ん?」


「俺を信じろ。お前は死なない。俺が死なせない。あんな奴らにお前を殺させるか。俺が何とかする。だから―――俺を信じろ」


 信じろって言う割には、何の根拠も示していない。ただ俺の願望を垂れ流しただけだ。


「弦輝……? うん、わかった、信じる。何だか知らないけど、一番元気が出たわ」


 ふふふ、と破顔する明日香。


 そうだ。笑顔は最高のリラックス法だ。明日香の笑顔を見て、それを思い出した。





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