第23話 「 Something unusual happened to her 」



『彼女に何か異変がないか、微に入り細を穿つように観察してちょうだい』


 相変わらず外国人のくせに俺より難しい言葉を使うレイラに言われるまでもなく、俺は水瀬に何かの異常の兆しがないか注視するつもりだった。


 だが俺たちの心配は、ある意味で杞憂に終わった。


 何故ならば、


「水瀬、ここは休符だから、しっかり意識してバチっと止めよう」


「……うん」もじもじ。


「しかもこの休符はシンコペーションの前だから、音が半端に出ていると曲に締まりがなくなる。ここも気をつけよう」


「……うん」もじもじ。


 今日は初っ端からこの調子で、ずっともじもじしているからだ。これは明らかに異常だろう。


 注意して見ていなくても分かる。


 昨日はぐっと距離を近づけてきたかと思えば、今日になったらまた、ほんの少し距離が開いている。かと言って以前のように噛みつくような態度をとるわけでもなく、正直わけがわからない。


 この変化の原因は何か。もしや例の『力』に関係があるのではと思い、俺はじっと水瀬を見つめる。


 そして俺はまた新たな変化を見つけた。


 水瀬の顔が桜色に染まり、少し汗をかいているようにも見える。緊張しているのか?


 ギターを弾いていた左手は弦を押さえることが覚束なくなり、右手はリズムを乱れさせ、やがて失速していった。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 何かに堪えるかのような表情でうつむき、前髪が彼女の顔を隠す。


 なんだ? 水瀬に一体何が起きたんだ?



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



(あああヤバイヤバイ左手つりそう右手安定しないししかも私なんか顔赤くなってな? いやそれより汗!めちゃくちゃ冷や汗でてるってヤバい! てゆーか弦輝なんで私のこと見てるのなんでなんでヤバい超見てる―――!)


 というのが明日香の頭の中の実況である。


 実を言えば、今日、明日香は昨日と同じような親密な距離感でつもりだった。


 だがいざ蓋を開けてみれば、攻めるどころか弦輝のさえろくに見れない有様である。


 何故かわからない―――いや、分かっているが、まだ恥ずかしくて解らないふりをしているだけだ。


 だが、ここは受け入れて進まねばならない。


(再認識したわ。私はアイツが好き。だから意識しているだけ。そう、それだけよ。だから自然に接すればいいの。ああでも、そう思えば思うほどドツボに嵌まる!)


 このまましばらく迷走を続けていた明日香の思考だが、それが止まるきっかけは思わぬところから訪れた。


 ドアを開けて。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ガチャリとスタジオの扉をあけて入ってきた闖入者は、聖だった。


「おう来たのかジリ。悪いな、わざわざ来てもらって」


「いや別に。むしろお邪魔してるのうちの親だからね。とりあえず準備するけど、メニューはこっちのおまかせでいいんでしょ?」


 そういって食材の入ったスーパーマーケットのビニール袋を持ち上げて見せる。


「もちろんだ。感謝するぜ。持つべきものは料理上手な友達だよな」


「まったく、調子のいいことを……。じゃ、できるまでしばらく待っててよ」


 そう言ってキッチンの方へ姿を消した。


「人参とジャガイモが見えた。ということは、肉じゃがかカレーの可能性が高いな……ん? どうした明日香。ハニワみたいな顔して?」


 俺の言葉で「ハッ⁉︎」と土人形から人間に超進化―――もとい戻った水瀬は、聖が消えたドアの方を見て、わなわなと震えた。


「な、な、な」


 そして、震える指先をドアに向けた。


「なに? なに? え、あの子、なんなの? メニューってなに?料理上手ってなに?」


 どうやら混乱の極みにあるらしい水瀬に、俺は理解わかりやすく説明した。


「あー、あれな。うちの親とジリの親って、時々一緒に飲みに行くんだよ。今日みたいにな。それでたまにジリが俺の飯を作りに来てくれてるんだ」


 ドーン!と雷に打たれたように真っ白になる水瀬。そのままガクッと膝をつき、項垂うなだれたまま何事かをぶつぶつと呟いている。


「お、おい水瀬。様子がおかしいけど、大丈夫か? 」


 返事はない。ただの壊れた水瀬のようだ。


 なおもぶつぶつと呟いている。


「……手作り……ぶつぶつ……やっぱりお弁当を……」


 不明瞭でよく聞こえないが、どうやら明日の弁当のことで悩んでいるのだろうか?


 でも何故いま?


「水瀬、おいって。早く練習再開するぞ」


「ぶつぶつ……お菓子……え⁉︎ あ、うん、ごめん」


 どこから帰還した彼女は、気まずそうにギターを持ち直す。


「ところで、曲は完成したのか? もうあんまり時間ないんじゃないのか?」


「ああ、うん。なんとか曲はね。でも歌詞がなんかしっくりこなくて……」


「歌詞か。確かに悩みどころだな。じゃあ曲の方だけでも煮詰めてしまうか」


 俺に水を向けられて、しぶしぶ歌い出す水瀬。


 長調メジャーキーで曲の構成のほとんどⅠ、Ⅴ、Ⅵmの和音コードで進めるという、シンプルなものだ。


ちなみにこの曲はEメジャースケール(ホ長調)なので、E、B、Cmのコードを使う。


 聴き終えて俺は、ふと気になることを訊いた。


「いい曲だな。ところで明日香、この曲はなにをイメージして作ったんだ? その曲を通してなにを伝えたいかが明確であれば、作詞もまとまりやすいんじゃないかと思ってさ」


「なにを……伝えたいか?」


 思っても見なかったことを聞かれたかのように、しばし小首を傾げて考える水瀬。


 やがて彼女の表情が強張った。


「どうした、明日香?」


「ううん、なんでもない!」


 明らかに何かあった様子だ。そのくらい尋常じゃない変化だった。


「ごめん、私、急用思い出した。帰るね!」


 そう言って慌てて支度すると、ドアから出ようとした。


 だがその時、再び水瀬に変化が起きた。


「え……?」


 ふらりとよろめき、ドアにもたれ掛かり、そのまま倒れ込んでしまったのだ。


「おい……水瀬? おい、どうした⁉︎」


「あ……だい、じょうぶ……だから」


 気丈な言葉を彼女の体は裏切っている。吐息は次第に荒くなり、顔は青ざめていく。


 やがておこりが起こったように、彼女の体が震えだす。


「どこが大丈夫なんだよ!苦しそうじゃないか」


 とにかく救急車を―――。


 まるで俺がスマホを手に取るのを待っていたかのようなタイミングで、電話の着信があった。


 嫌な予感がした。


 ディスプレイには、レイラの名前があった。


「もしもし、どうした?」


『ゲンキ、いま動きがあったわ』


か。こっちでも多分、その影響が出ている。すごく苦しんでいる。なんとかできないのか⁉︎」


 俺は電話口に向かって叫ばずにはいられなかった。


『残念ながらないわ―――ね』


 彼女の言葉に、俺は己のなすべき事を悟った。


「いまどこにいる?」


 レイラの答えた場所は、予定していた場所からそう離れてはいなかった。


 いますぐ行くと返してから、俺は防音ドアを開けて大声で聖を呼んだ。


「なになに? そんな大声で呼ばなくても聞こえてるよ―――って、なに⁉︎ どうしたの、この子⁉︎」


 エプロンを着けたヒジリが、倒れた水瀬を見て目を白黒させる。


「悪いジリ、こいつを頼む」


「―――!わかった」


 俺の真剣な眼差しに、なにも余計なことは言わず、訊かずで引き受けてくれる聖。やはり持つべきものは友だ。


 ギターを持って家を飛び出す。


 自転車では目的地まで30分ほどかかってしまう。急ぐしかない。


 ところが、思いがけぬ助けが来た。


 キキーッ!っと俺の目の前に、軽く後輪が浮くほどの勢いで急停車した1台のセダン。


「ゲンキさーん!乗ってくださーい!」


 ニカッと笑顔を見せて俺を呼ぶ運転席の男。スキンヘッドにサングラスといういかつい出で立ちの白人男性。そいつはレイラの魔術協会の仲間だという、ジョーという男だった。


「助かった!場所はわかるか?」


大丈 no 夫さproblem!バッチリよー!」


 アクセル全開で進むセダン。


「ジョーがこっちに来て、レイラは大丈夫なのか?」


「マムは遠くから見張っているだけなので、たぶん大丈夫」


 ちなみにジョーはレイラのことを『マム』と呼んで崇拝し、レイラはジョーを僕のように扱うという妙な関係だ。


 今回もレイラに駆り出されたのだろう。


 

___________________




 心臓が縮み上がるようなドライブの果てに、わずか3分で目的地にたどり着いた。


 この3分間、俺は何度「ここはハリウッドじゃない‼︎」と叫んだかわからない。


 大小様々なコンテナが建ち並ぶ夕方の波止場。俺は車を降りてコンテナの一つに近く。


 潮の匂いをかき分けて、甘い香りが漂ってきた。


「ゲンキ、こっちよ」


 コンテナの陰から、レイラが手招きしていた。


「レイラ、無事か?」


「ありがとう。私は大丈夫よ。でもそっちは大変だったみたいね」


 俺たちは移動しながら情報交換を行う。


「明日香が急に苦しみだした。タイミングも同じくらいだと思う」 


「残念だけれど、ここまで状況証拠が揃っていれば私の予想通りのようね。彼女は―――あの『力』の源泉になっているのよ。強制的にね」


 俺とレイラは今日もまたあのマスク男―――タッちんが不穏な動きをすると予測した。


 そこでレイラは敢て俺に明日香を見張らせ、レイラはレイラでタッちんを見張っていたのだ。


「明日香を助けるためには―――」


「あのマスクドマンの凶行を、一刻も早く止めるしかないわ」


 目的を確認しあったと同時に、レイラが足を止めて手で俺を制した。


 コンテナの陰に身を潜め、俺たちは様子を伺う。


「あそこよ」


 レイラが示すまでもなく、波止場には超常的な光景が広がっていた。


 海に挑むようにギターを持って佇む猫背の男。タッちんだ。


 そして彼の眼前の海―――その上空にはおびただしい数の鳥のバケモノ。


 が水瀬を苦しめているのか。


 ギリ。


 俺は吹き出しそうになる怒りを歯を食いしばって堪えた。


 感情に任せて闇雲に突っ込んでは前回の二の舞だ。


 手招きしてレイラを呼んだ後、俺は彼女に耳打ちして作戦を伝えた。


「―――という手筈だ。タイミングと段取りがかなりシビアになるが、頼めるか?」


「愚問よ。もとよりやるしかないでしょう?それに、聞いた感想としては悪くない策だと思うわよ」


 俺はギターを肩から提げ、レイラが魔術を構築し―――。


 そして準備は整った。






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