第22話 「 Love will start when she realize 」
身支度を整えてダイニングに入ると、そこには珍しい姿があった。
そのため明日香は、内心『うぇ』とうめき声をあげた。
そこにいたのは水瀬龍馬だった。
げんなりしそうになる
「お早う、兄さん。珍しいのね、こんな時間にまだ家にいるなんて」
ちょっと嫌味っぽい言い方だったかな?と思ったが、龍馬はさして気にしていないようだった。
「ああ、今日は少し家でやっていくことがある」
新聞紙から目を離さずに簡潔に答える。
そのままお互い無言のまま、ダイニングに置かれているアンティーク時計の秒針が一周したあと、再び龍馬が口を開いた。
「最近、学業に身が入っていないようだな」
また始まった、と明日香は思った。
「テストの結果を見せてもらった。数学で前回比6%、物理で7%、全教科の合計では12%も落ち込んでいるな」
明日香は何も言わず、ただ
龍馬はそれに構わず、続ける。
「遊びに
「え?」
「他校の男子生徒と付き合いがあるらしいな。素性を調べさせたが、
「なっ……⁉︎」
「なんだ?」
ギロ。
今日初めて龍馬が視線を明日香に向けた。
「いえ……何も」
鷹のような鋭い眼を前に、明日香は二の句が継げなくなってしまう。
いつから、この半分だけ血の繋がった兄が苦手になったのだろう。
龍馬は明日香の10歳年上の26歳だ。この若さにして水瀬家が経営する会社の取締役の一人である。更に子会社の一つも任されている。これは
龍馬は昔から頭脳が明晰だった。
海外の有名な工業系の大学で履修し、その当時から既にいくつかの特許技術を創り出し、会社に莫大な利益をもたらしていた。
彼のそのような素質は幼少の頃からあった。
小学校の頃からテープレコーダーやDVDデッキやスピーカーなど、多種多様な機器を分解してはその複雑な仕組みに目を輝かせていた。
父親の会社が工業製品を製造する部署から始まっているいることもあって、機械好きな少年が、機械工業会社の重役になるのはある種自然な成り行きだった。
もっとも、手当たり次第になんでも分解し過ぎたり機械づくりに没頭し過ぎたために、教育係の使用人に叱られて高校に入学する頃には大人しくなってはいたのだが。
また質実剛健な気質や経営に関して的確かつ迅速な判断力を擁するなど、実務的な能力を買われて昇進を重ねている。そんな彼を崇拝する社員も多く、一大派閥を作り上げている。
ともあれ龍馬はその実力で以って、父からの信頼と期待が厚い。だからなのか、不在がちの父の代わりとでもいうように、明日香にことあるごとに口出しをしてくる。
明日香にはそれが煩わしく感じられたが、扶養されている手前、逆らうことは出来ない。正妻の子ではないという負い目もあり、自然と従順な態度になってしまう。
「何度も言うようだが、お前は既に水瀬家の一員なのだ。それに相応しい行動を心がけてくれ」
「……はい」
悄然と返事をするしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝食を摂り終えて自室に戻った明日香は、大きなため息をついた。
気詰まりな食卓から解放されたことで出たため息だが、それが終わると今度はムラムラと怒りがこみ上げてきた。
テストの結果は家庭教師から聞き出したのだろう。その無遠慮さは今更だし、それは良い。成績が下がったのは自業自得で、それも仕方ない。
しかし、自分の交友関係に口出しされるのは行き過ぎで、業腹だ。
「何が『
「それに、アイツにも……いい所いっぱいあるんだから」
明日香は部屋の片隅のギタースタンドに立てかけてあるテレキャスターを見た。彼女の頬には薄っすらと朱が差している。
あの時―――デパートで元気が言った言葉が、一晩経った今も明日香の心にリフレインしている。
運命。
なんて素敵な言葉だろう。
彼は言っていた。尾行していたわけではないと。かと言ってお互い示し合わせたわけでもないのに何度も出会った。これはただの偶然ではなく、運命なのだと考えれば
彼には何のメリットもないのに、深い事情を詮索することなく明日香の頼みを引き受けて音楽を教えてくれている。
それに男に絡まれているところを何度も身を呈して助けてくれた。昨日など、人生初めてのバイオレンス場面を目撃してしまい、しかもそれが自分が原因だと言うこともあり、ショックのあまり泣きだしてしまったのに、何も言わずに傍に居てくれたのだ。
さらに、明日香のことをいやらしい目で視ないのも好感が持てる。
明日香も女の子だし、オシャレには人並みに気を使う。自慢ではないが容姿も良い方だと思う。
しかしだからと言って、好色な視線で舐めまわされるのが好きなわけではない。学校は女子校なのでそれが救いといえば救いか。
だが、外へ出ればアホ丸出しの男ばかりでうんざりしていた所だ。そこへきて弦輝の明日香への接し方は『女』ではなく『人間』としてのものなので、これが紳士的に見えるのだ(あくまで明日香のビジョンで、だが)。
彼のことを思い出すと、ドクンと胸が大きく高鳴る。頬がさらに熱くなる。
この気持ちは何なのだろうか。
体がほてり、ふわふわと地に足がつかない気持ちなったかと思えば、体の芯がきゅうっと縮こまり、沈んだ気持ちになってしまう。
特に昨日のあの2人の女の子のことを考えると、だ。
1人は可愛いと言うよりはむしろ美人系の、幼馴染とか言う店員の子。特筆すべきはあのスタイルの良さだ。腰は高いわ足はスラリとして長いわ、かと言って背は高すぎず、何よりもあの”胸”はないだろう!と思う。
もう1人は考えるのが馬鹿らしいほど可愛すぎる。しかも外国人!透き通るような上品な金髪をゆるくウェーブをかけてふわふわにしている。瞳は大きくて宝石みたいに綺麗だったし、まつげも長い。淑やかな物腰も相まって、まるで絵本から抜け出てきたお姫様だ。
あんな2人が相手では、勝ち目が薄そうだ。
「はぁ」
強力なライバルな出現に再びため息が漏れる。
そこで明日香は、はたと気づいた。
「え……?ちょっと、何よライバルって。これじゃまるで、私があいつのこと―――!」
明日香の心の炉心が臨界点に達しようとしていた。
息が止まる。
―――そうか。そうだったんだ。
明日香は気づいた。気づいてしまった。
―――この感情が、そうなんだ。
噂には聞いていた。この感情に関する情報は膨大の量がネットに流れている。
ちらり、とスマホのディスプレイを見る。
かつて引きこもっていた時代、いろんな掲示板で、
それがまさか、自分が
明日香は、ぽぅっと自分に起きた甘美な事実の余韻を噛み締めていた。
そういえば、今日は通院の日だった。しかしいつもは嫌な気分になるのに、今日はそんなことも吹き飛ぶほど気分が晴れわたっている。
「気づいたのなら……行動あるのみよね」
この想い、大切にしたい。けれど、飾って眺めているだけでは意味がないと思う。宝の持ち腐れだ。
どのような結果になろうとも、行動して何かを成し遂げたい。
夢も、そして―――恋も。
そして新たな『目標』を胸に、明日香は部屋を出た。
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