第20話 「 What's happening about her ? 」

 水瀬は本当に帰って行ってしまった。


 一方、取り残されて呆気にとられたままの俺に、


「さてゲンキ。今までこそこそ逢瀬を交わしていたのに、ここにきて急に堂々とあの女といるところを見せつけるなんて、一体どういう心境の変化かしら?」


 レイラは黒いオーラを撒き散らしながら詰め寄ってきた。


「え、何それ。なんの話?」


 聖の耳がピクリと動き、レイラに問いただす。


「最近ゲンキったら、私に内緒であの女と何度もデートしていたの。私はなんどもゲンキにそれとなく訪ねたのだけれど、シラを切るばかりだったわ……無駄にね」


「へぇ、そうなんだ」


 レイラはオーバージェスチャーでやれやれとばかりに首を振り、聖は営業用の仮面を捨てて俺を白眼視した。


「別にこそこそしてねーよ。やましいことなんて何も無いし……ん?」ここで俺はレイラの言葉に引っかかりを覚えた。「レイラ、なんで俺が水瀬と会っていたことを知ってるんだ?」


 訊きながらも俺は、それとはまた別の疑問が氷解した。


 ここしばらくの間、レイラは突然ご機嫌ななめになることがあった。しかしよく考えれば、タイミング的に水瀬と会った後ではなかっただろうか? いや待て。だがそうなると、なぜ不機嫌になるのかが判らない。


 謎が謎を呼ぶ。しかしそれを考える前に、


「おしゃべり好きな精霊が教えてくれたのよ」


 耳に手をかざしながら、ドヤ顔で教えてくれたレイラ。


 聖に至っては、拍手しながら「精霊べんりー!欲しー!」などと茶々を入れている。


「おま……っ!まさか俺を監視しているのかっ⁉︎」


「Noよ。いくら私でもそんなことできないし、する気もないわ。この件に関しては、精霊のお節介ね」


「マジか……」


 頭を抱えてうずくまる俺。これじゃ24時間監視されているのと変わらなくないか?


 ちなみに聖も、俺とレイラの魔術的なあれこれを承知している。


「そんなことよりもゲンキ。あのアスカという娘のことなのだけれど」


 俺の苦悩をそんなことで片付けるな。


「なんだ?」


 レイラの表情がことの外真剣なので、俺は混ぜっ返すのは控えた。


「これを見てちょうだい」


 そう言って彼女はレジの横に置いてあった小瓶を手に取り、俺に見せた。


「なんだコレ?」


 レイラから小瓶を受け取り、めつすがめつ観察してみる。


 細長い五角錐の透明なガラス製のビンの中に、淡いピンク色の液体が7割ほど入っている。


「これは特殊な力を記憶することのできる液体よ。普段はこのようにピンク色だけれど、記憶した『力』が近づくと深紫色(ディープパープル)になるの。いま現在、私はこの液体にとある特殊な『力』を記憶させているわ」


「特殊な力?魔力ってことか?」


「No。先日から発生している、あの謎の空間破壊を起こしている力よ。あの『力』をなんと呼べばいいのか判らないけれど、とにかく私は事あるごとにこの液体に記憶させていった。ここまでは大丈夫?」


「オーケーだ。続けてくれ」


「私は考えたわ。この液体を使って、犯人―――あのマスクの男の手がかりを掴めないかと。マスク男は、曲がりなりにもエレクトリック・ギターとアンプリファイアを使っていたのだから、もしやこの近辺の楽器店に出没することもあるのでは、と。もしそうならば、この液体を近隣の各楽器店の店頭に置かせてもらって、センサーにできるのでは、ともね」


 そこで聖が話に加わってきた。


「それで、今日レイラがうちに来てたってわけよ」


「なるほどな。でもレイラ、そんなことを聖に頼んで危険はないのか?ジリと俺とじゃ事情が違うんだぞ」


 レイラは気まずそうに、髪を耳の横で指にくるくると巻きつけていた。


 俺の問いに答えたのはレイラではなく、聖だった。


「いいのよゲン。アタシなら大丈夫だから」


「ジリ……」


「レイラはきちんと教えてくれたよ。これがどう行ったもので、危険性はどれくらいかってこと。……って言っても、このピンクの水の色が紫に変わったら、レイラに報せるだけだしね。気が乗らないなら断ってもいいって言ってくれたしね。その上でアタシが決めたのよ」


 手をひらひらと振って、こともなげに言う聖。


 だが聖は知っているはずだ。


 かつてキース・リーブスという魔術師によって危機に陥った聖だからこそ、魔術などの『非常』が、どれだけ危険でどれだけ理不尽かも。


 にも拘らず、聖は俺たちに協力してくれると言う。


 俺は幼馴染の心意気に、ジーンと胸を打たれた。


「わかった。ありがとうな、ジリ。もし何か危険を感じたら、すぐに言ってくれ。俺が守るからな」


「あ……う、うん。あり……がと。あ、仕事思い出した」


 言い終わる前に急転回し、そそくさとレジの奥へ引っ込んでしまった。耳が赤くなっていたのは気のせいだろうか?


「痛っっったぁ⁉︎ て、何するんだ、レイラ⁉︎」


 急に足先に激痛の来訪。見ればレイラのローファーが、俺のスニーカーを踏んづけていた。


失礼Excuse me。虫がいたような気がしたの」


 プイッと横を向いて、いけしゃあしゃあと言い放ったレイラ。


「まったく……散々な1日だな」


 ため息とともに愚痴が漏れ出る。


「何か言ったかしら?」


 キョトンとした顔のレイラ。


「いや別に。それで、この水(・)と明日香がどう繋がるんだ?」


 俺は小瓶をレジ台に置いて、レイラに尋ねた。


「ああ、そうね。脱線したわ。そう、それね……ゲンキ、私の言うことを驚かないで聞いてね」


「お、おう……」


 再び真剣味を増したレイラ。


 ゴクリ、と俺の喉が鳴る。


「さっき、彼女がこの店に入ってきたとき、この液体が紫色に変化したわ」


「え……?」


 初めはレイラが何を言っているのか、理解できなかった。


 だが徐々にその言葉が俺の脳内に浸透していくにつれて、戦慄を呼び起こしていく。


「まさか……だろ。だって、あのマスク男と明日香じゃ体型から何から、まるきり違いすぎる。第一、性別も……」


「落ち着いて、ゲンキ。何も彼女が犯人と決まった訳ではないわ。確かに見た目とかはいくらでも変えるすべはあるわ。魔術に限らずね。かといって短絡的に彼女が犯人だと決めつけるのは早計よ。ただ一つ確実なのは、彼女があの『力』への手がかりだと言うことよ」


 胸の前で腕を組み、きっぱりと断言するレイラ。


 だが俺は、まだ信じられない。


「間違いないのか?」


「残念ながら。割とポピュラーな魔力を始め、霊力や神力など様々な『力』を知る私だからこそ言えるのだけれど―――あの定常世界を捻じ曲げて壊す『力』は、間違えようのないほど特徴的なの」


 レイラの言うことだ、間違い無いだろう。


 だからこそ、俺は否定材料を探して苦悩していた。


「あまり悲観ばかりしていては駄目よ。彼女はあの『力』と関係はある。けれど、それが彼女の預かり知らぬことである可能性もあり得るわ」


「そうか……そうだよな!」


 レイラの言葉に俺は、雲間に光が差した気分だった。


 あのマイク男の行動と水瀬の性格が、どうにも一致しないのだ。であるならば、やはり水瀬の意思とは関係なく関わりができてしまったと考える方がしっくりくる。


「そうよ。それでゲンキ、貴方、彼女と最近のでしょう?何か気づいたことはないの?」


 途中とげとげしかったイントネーションに薄ら寒いものを感じつつ、俺は出会ってからの水瀬の行動を思い出していた。


「いや、特に際立って変わった様子はなかったな……いや、一昨日急に入院したとかで、練習を急に休んだな」


「一昨日?」


 ピクリとレイラの細い眉が動いた。


「その前の日は、私たちがマスクドマンと遭遇したわね。ゲンキ、その他には?」


「そうだな……そう言われて考えると、一週間以上前くらいから少しずつ体調が悪くなっていた感じがあるな」


「そう……それは重要な手がかりになるかもしれないわね」


 しばらく沈思黙考していたレイラだが、やがてポニーテールを左右に振って言った。


「これ以上は、今考えても仕方ないわ。私は一度オフィスに戻って考えをまとめることにするわ」


 タイミングよく2人組の客が入店してきたので、それと入れ違いに、レイラは聖に礼を言って帰っていった。


 もうこれ以上何もする気が起きなかった俺も、聖に改めて念押ししてから家に帰った。





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