第19話 「 rivalry for the heart of three women 」
「落ち着いたか?」
俺は自販機で買ったレモンティーのペットボトルを水瀬に差し出しながら訊いた。
「ぐす……うん」
ひとまず通行の邪魔にならぬよう、通路に設置してあるベンチに座らせてから10分ほど。
水瀬は何とか落ち着きを取り戻したようだ。
こんな場合俺はどう対処していいのかわからないから、とりあえず無言で隣に座っているしかない。
フロアの喧騒をぼんやりと聴きながら、さらに数分が経過した後、水瀬が言う。
「もう大丈夫。ありがと」
バッグにハンカチを仕舞っている水瀬の顔を見ると、本人の言う通り大丈夫そうだ。
「そうか」とだけ俺は言った。
「うん。ちょっと、びっくりしただけ」
そしてペットボトルのキャップをひねり、紅茶を口に含んで「美味し」と呟いた。
「ねぇ。アンタっていつも私を助けてくれるわよね」
「ん?そうか?」
そういえば、以前も別の男に絡まれているところに声をかけた気がする。
それに2回目にあった時はギターのトラブルを助けたといえば助けたと言えるかもしれない。
「そういう運命なんじゃないか?」
またはただの偶然の重なりともいう。水瀬のトラブっているところにタイミング良く(悪く?)俺が居合わせたに過ぎない。
深く考えずに言った言葉だが、水瀬は宇宙人でも見るような眼で俺を見ている。
「どうした?」
今日、何度この言葉を口に出しただろうか。
「俺の顔に、何かついているか?」
「え⁉︎ う、ううん」
弾かれたように慌てて首を振る水瀬。そのあとは熱に浮かされたような表情をして虚空を見つめている。
「な、なんなんだ……?」
千変万化の水瀬の表情に、ただ俺はたじろぐことしか出来なかった。
この日、俺は『人が変わった』という言葉を初めて目の当たりにした。
いや、もしかしたら『掌を返したように』という言葉の方だろうか。
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俺が次の楽器店に案内するまでの間のこと。
まず俺が気づいた変化。それは距離だ。
今まで隣を歩いているときは、俺と水瀬の間には人1人分の空間があった。
ところがベンチから離れて歩き出した途端、肩と肩がぶつかりそうなほど近くなった。いや、初めの方は近づいたり離れたりしながら、デパートを出る頃にはほぼ拳一個分くらいの距離になった。断言するが、俺から近づいているわけではない。
そのくせ、何かの拍子で肩と肩が本当にぶつかったりすると、慌てて距離を離す。顔を真っ赤にしながら。
なんなんだろうね、これ。
次に、行動が直線的ではなくなった。
というのも、今までの水瀬は何かをやると決めたらまずそれをやり遂げて次の行動に移るということが多かったのだが、それが鳴りを潜めた。
より分かりやすく言えば、寄り道するようになった。
次の楽器店に到着する前に3軒も予定外の店に立ち寄った。それもクレープを買い食いしたりアクセサリーショップでどれが似合うか訊いてきたり、およそ今までの水瀬からは想像できない行動だ。
そして3つ目の変化。
水瀬が気持ち悪くなった。こういうと語弊があるが、この時は正直そう思ったのだ。
どこがかと問われれば、強いて上げるのならば態度だろう。
俺に対する棘が消えて、柔らかくなった。
いや、ベタベタし出した、というべきか?
俺は混乱していたが、あえて追求することはしなかった。
なぜか? 泥沼に嵌まりそうだからだ。
とにかく、この日を境に水瀬明日香は変わった。
少なくとも俺に対しては。
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2軒目の楽器店に到着した。だが店内に入ることが出来なかった。
「あ、今日は定休日だったのか」
閉ざされたシャッターを見て俺は呟いた。
「仕方ないわね。ねぇ弦輝。違う場所に行かない?私に当てがあるの」
ちなみに、いつの間にか俺の呼び方が不夜城から弦輝に変わっていた。
「そうなのか。この近くなのか? 水瀬」
「ううん。ちょっと離れてるの。ところで、私のことも良かったら、その、名前で……」
後半ははにかみながらお願いされた。ていうか何、この表情。可愛い。
初めて見るな、水瀬のこんな顔。
「お、おお。じゃあ、明日香」
「うん!」
本当にこいつは誰だろうかと思いつつも、悪い変化でもないから別にいいかとも思っていた。
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「さ、着いたわよ……って、どうしたの?」
再びマセラティに乗ること10分。
思えば、水瀬の知っている楽器店というだけで俺は気付くべきだった。
看板にはこう記されてあった。
『クレセント・ミュージック』
俺は目をこすってもう一度確認したが、間違いない。
三日月聖の家だ。
「いや、別になんでもない。じゃあ行ってこいよ。あ、俺のことはお構いなく」
「なに言ってるの?弦輝が来なきゃ意味ないじゃない。さ、行こ」
ドナドナでも歌いそうな陰気な足取りで、水瀬の手に引っ張られながら俺は進む。
「いらっしゃいま……せ」
クレセント・ミュージック看板娘の声が、油ぎれになって止まる。
そして彼女は先客の相手をしていたようで、カウンター越しに聖と話していた先客も、水瀬に手を引かれたままの俺を見て固まった。
カウンターにいたのは、聖とレイラだった。
「ハロー、ダーリン?奇遇ね。
いち早く再起動を果たしたのは、やはりというかレイラだった。しかもその際、彼女の中で何かのモードが切り替わっている。
眼が笑っていない黒い笑顔。何より悪魔のツノと尻尾が見える。俺には視える!
「だぁ……りん?」
水瀬は俺とレイラと聖を交互に、幾度も視線を往復させる。
「ふーん」
待て聖。お前いま、何を勝手に納得した。
ヒジリの満月のように目一杯大きくした眼が、徐々に欠けていって半月型になっていった。名前は三日月のくせにな。
「あー……こいつ」 と俺は水瀬を指し示し 「水瀬がアンプ買うっていうから、俺はその、アドバイスっていうか」
なぜか舌が重くなる。なにも疚しいことは無いはずなのに。
「そうなんだ。ふーん」
素っ気ない態度の聖。
「そうなのね。
そういって彼女はこちらに近づき、
「私はゲンキのパートナーよ」
俺と腕組みした。勝手に。
「おい、やめろよ」
レイラの腕を急いで振り払うが、時すでに遅し。
なぜか聖の周りでは気温が下がり始め、これまたなぜか水瀬の周りでは温度が上昇し始めた―――気がする。
「初めまして。水瀬明日香よ。よろしく」
水瀬は心なしか胸を張って、レイラと対峙するように挨拶した。
錯覚か⁉︎ いま、レイラと水瀬の間で火花が散った気がした!
この空気をなんとかしようと、俺は慌てて聖に話題を振る。
「ジリ。この間テレキャス買った客がいただろ?それがこの明日香だったぞ」
「あ、そうなんだ? いらっしゃいませ。アタシは三日月聖って言って、この店の娘ね。んで、こいつ―――ゲンとはまぁ、ちっちゃい時からのいわゆる幼馴染かな」
俺に水を向けられた聖が水瀬に挨拶する。
聖はひとまず水瀬を表面上は『上客』として対応することにしたようだ。商売人の娘らしく、素早く営業スマイルの仮面をつける。
「よろしく三日月さん。水瀬明日香よ」
水瀬の方は、レイラに向けたのと同じ挑戦的な燃え上がる視線を聖に向けた。
錯覚か⁉︎ いま、聖と水瀬の周囲で地震が起こった気がした!
やがてくるっと体を入口に向けた水瀬は、
「弦輝。私、用事思い出しちゃった。帰るわ」
そう言い残し、帰ってしまった。
俺をこの空気の中に放置するなよ……。
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