第17話 「 He is sucked down nearly into her pupil of eyes 」






 ふと、芳醇ほうじゅんな香りが俺の鼻孔をくすぐった。


 甘い香り、爽やかな香り、ふくよかな香り、控えめな香り、多種多様な馥郁ふくいくたる香気がっていた。


 濃密な芳芬ほうふんに促され、俺の脳は覚醒しだした。


 まず感じたのは匂い。


 次にさわさわとした柔らかな音―――これは、葉擦れの音か?


 最後に、右の頬に感じる柔軟かつ弾力性がある感触。


 どうやら俺は右半身を下にして横臥おうがしているようだ。ほっぺたに感じるのは枕のようだ。


 だが今まで使ったどんな枕とも異なる心地よさだった。


 俺は思わず枕に手を伸ばし、感触を確かめる。さすりさすり。


「―――ひぅっ⁉︎」


 と鋭い吸気のような音が聞こえた。


 俺の


「え?」


 俺は瞼を開け、左―――横臥しているから上か?―――を向いた。


 そこには碧の大きな瞳を更に大きく瞠き、頬を瞳とは反対に赤くしたレイラが俺を


「……あ?」


 俺は寝ぼけているせいか、未だ現状を把握できていなかった。


 お互い3秒ほど凝固したまま見つめあった後、俺はようやく理解した。


「うわわわ」


 理解したと同時に―――ゴロゴロゴロ。


 高速回転で寝転がったまま離脱した―――から。


 つまり俺は、この金髪美少女に膝枕をしてもらっていたということになる。


「…………‼︎」


 あまりの衝撃で動揺し、言葉が出ない俺。


 対してレイラの方は、ひとつ咳払いすると莞爾かんじとして笑み、「あら、気がついたのね。良かったわ」と言った。


 俺は気恥ずかしさを誤魔化すため、周りを見回して気付いた。知らない場所だ。


「ここはどこだ?」


 茜が混じりかけた空が見えるが、屋外ではない。天井はガラス張りのドームになった広い空間の部屋だ。正確には、屋内ではあるが至る所に開閉式のダクトがあり、そこから風が流れてきているのだ。だから葉が擦れる音がしたのか。


 その空間のほとんどを緑が埋め尽くしている。


 緑の中には赤、青、黄、紫、白などの可愛らしい花々が咲き乱れている。


「ここは私の知人が所有している、個人の植物園よ」


 公園の駐車場での戦闘で俺が気絶した後、レイラは彼女の部下であるジョーという青年の手を借りて、俺をこの植物園まで運んだのだそうだ。


「理由が理由だけに、hospital……病院には連れて行けなかったから」


 そして彼女は代謝を高める霊薬なるものや彼女が使える魔術、精霊術、薬草など彼女の持てる手を尽くして俺を治療してくれたという。


 魔術と言ったところでレイラが唇にそっと手で触れて頰を赤くしたが、まさかまた、ゼノ戦の時みたいに、キ、キ、キスを……?


 いや、待て待て。ここは気づかぬ振りをしておけ。きっと気のせいで、考えすぎだ。


「でもなんで植物園なんだ?」


「まず第一に薬草が豊富なこと。次に精霊が活発になる場所。そして人目につかないことを加味すると、ここが一番都合が良かったの」


「なるほどね」


 そして肩甲骨を動かしたり屈伸をしたりして、背中の具合を確認する。もうすっかり痛みは引いているな。


「傷はすっかり塞がったわ。残念ながら少し痕は残りそうだけれど……」


 そしてレイラは悲しげに目を伏せ「ごめんなさい」と言った。


「いや、別に謝ることはない……というか、傷を治してくれたんだし、むしろこっちが礼を言う方だ」


「違うの」


 俺の言葉を静かに、だがしっかりとレイラは否定した。


「そうじゃないの」


 だが俺は何に対して謝られているのか判らない。頭の中は疑問符でいっぱいだ。


「私、また貴方を危険な目に遭わせたわ」


 ともすれば聞き逃しそうなほどか細い声で、レイラが呟いた。


「なんだ、そんな事か」


「そんな事って……」


 潤んだ瞳で俺は見つめられた。だが、そんな事はそんな事だ。


 俺はすげなく答える。


「何を今更って感じだな」


「でも、今回は私のミスだわ。まさかこんな事態になるなん―――痛っOuch⁉︎」


 額を両手で押さえて涙目で呻くレイラ。俺がデコピンをかましたからだが、力加減を間違えただろうか?ガチで痛そうだ。


「あのさ、魔術がらみがリスク高めなのは百も承知、ゼノの一件で骨身に沁みてるよ。だから今日の調査も、そこらへん織り込み済みなんだよ。Have you understood(理解したか)?」


 この金髪少女は、普段押し出しが強いくせにふとした拍子に迷いや後悔が出てきてしまう。


 それは仕方ないのかもしれない。


 小さな頃から父親を見返すために努力して生きてきた。自分の能力を高めるためだけでなく、生き馬の目を抜く社会で動く大人たちを相手取ってきた。


 それは同じ世代の子供と比較して、いや、なまじっかな大人たちよりははるかに重い責任と、適切な判断を求められていたはずだ。


 しかし、


「レイラ、お前まだ俺と同じ17歳だろ?完璧にできるわけがないじゃないか」


「でも、判断を誤ってはならない場面というのもあるわ。特に命をかけた戦場では、1回の判断ミスが全員の命を奪ってしまうこともある」


「それは否定しない。だけど物には限度があるだろ?今俺は生きている。レイラが治療フォローしてくれたからだ」


「……」


 沈痛な面持ちで伏せていた顔を、


「それにお前は一人で背負いすぎなんだよ」


 俺の言葉を受けて上げ、俺を見る。


 潤んだ紺碧の瞳が揺れているのは不安からか。それとも期待からか。はたまた他の感情か。


 彼女はいま夜の海を、頼りない小舟で漂いながら灯台を探している。道標となる光を。


 俺は彼女の瞳に、月光を映しながら寄せては消える波を見て取った時、そう感じた。


「俺は自分の意思でお前と一緒にいるんだ。だからレイラの抱えているものを、俺にも少しは抱えさせてくれよ」


「……っ!」


 レイラの瞳がひときわ輝きを増し、大きく揺れた。


 ああ、すごく綺麗だ。そう思った。


 俺が今まで見てきたものの中で、一番美しかった。この輝きにはどんな宝石も自然も敵わないだろう。


 俺はもっと近くで見たい、覗き込みたいと言う衝動に駆られ、顔をわずかに寄せた。


 レイラの瞳がまた大きくみひらかれる。しかしそれは刹那の出来事。すぐに瞼を閉じ、彼女も俺の方に顔を寄せてきた。


 何か小さな、しかし決定的な違和感を感じながらも、大きな惑星同士がお互いの引力で引き合うように俺たちの距離は、もうすぐ触れ合うと言うところまで近づき、そして―――。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン。


 植物園に古びた鐘の音が響き渡った。


 俺とレイラはピタリと動きを止め、鏡合わせのように急いで背を向けあった。


―――お、俺はいったい何をしようとした?


 混乱の極みにある頭を必死に落ち着かせる。


「も、もう夕方の6時か。は、早いな!」


「そ、そそ、そうね。もう今日は帰りましょうか!」


 お互い上擦った終えで空々しい会話。


 なんだかなと言う感じだが、今の俺はもういっぱいいっぱいだった。


「そういえば、帰る前に確認しておきたいことがあるんだ。あの時、炎の巨人に全方位の攻撃を命じた時、動きが止まったんだ。どういうことかな」


 わざとわしい話題転換だったが、レイラは渡りに船とばかりに乗ってきた。


「そうね。無責任なようで申し訳ないけれど、私にも原因は不明だわ。《擬似召喚魔術》は私たちの他にほとんど使う魔術師はいないこともあって、まだ不明な点が多いの」


「そうなのか。でも《擬似召喚》はレイラが型を作っているんだよな。弱点とかなくすことはできないのか?」


「以前にも言ったけれど、私はあくまでも枠を作っているだけ。責任転嫁するわけではないけれど、細かな動作条件に関しては《想豫者/創造者イマジネーター》のあなたの精神体型によって決定されるようね」


「なるほどね。そこらへんは自分で確かめるしかないわけか」


「ゲンキ。キースと戦ったときのことを憶えているかしら。思えばあの時の戦闘が、一番示唆suggestionに富んでいたかもしれないわね」


 そういえば、と思い出してみる。


 片腕では防御/攻撃を同時に行えない。


 片腕では魔術と物理の防御を同時に行えない。


 炎の色によって効果の違う魔術が使える。


 俺だけでなく、他人の《情熱》もエネルギー源にできる。


 少なくともこれだけの『条件』が明らかになっているにも関わらず俺は看過していたのだから、内心舌打ちをしたくなった。




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