第15話 「 The dubious man was found 」





「この辺りで間違いなさそうね」


 人気のない午後の公園に俺とレイラはいた。


 この一週間というもの、レイラは地図と振り子を使った魔術―――ダウジングというらしい―――と羅針盤を用いて空間の歪みがあった場所を巡り、その痕跡を探していた。その甲斐あって、魔術的なパターン、具体的には発生する場所と時間の共通点を見つけ出した。


 そして今日、この公園付近ですると睨んだ俺たちは、原因を探るためにやってきたのだ。


 公園の遊歩道を連れ立って歩きながら、俺はわずかな異変も見逃すまいと左右に目を光らせていた。そして時折、横で羅針盤とにらめっこしながら歩いているレイラにも目を配る。


 レイラは羅針盤を右手に、ピンク色の謎液体が入った小瓶を左手に持っている。


 ここ最近、彼女の様子が怪訝おかしい。


 表面上はいつも通りに接しているようだが、違和感が拭えない。


 もっと言えば、何かに怒っている。何かというか、俺に対して。


 だが、俺の何が彼女を不機嫌にさせているのかは判然としない。


 このまま不和を放置してコンビネーションに支障をきたしては、有事の際に文字通り命取りになりかねない。


 可及的速やかに解決しておいた方が得策だろう。と、俺の動物的勘がささやいている。


「なぁレイラ、いま言うことじゃないかもしれないけど、俺、なんかお前の機嫌を損ねる真似をしたか? もしそうだったら、すまない。だが俺には何も心当たりがない。もし良かったら教えてもらえないか?」


 我ながら気の利かないやり方だと思うが、レイラには逆にストレートに訊いた方が良いと、これまでの付き合いで感じていた。


 紅唇をわずかに開き、何かを言いかけたレイラ。だが―――。


「「 ⁉︎ 」」


 近くで爆ぜて聞こえてきたギターの爆音。そして以前にも感じた、空間が歪む時の波動によって、俺たちはそちらに注意せざるを得なくなった。


「あっちよ!」


 俺たちは遊歩道を駆け抜け、公園に併設されてある駐車場に出た。


 海が見渡せるような絶好のロケーションで、30台以上の駐車スペースがある大型の駐車場だった。


「ゲンキ、あれを!」


 レイラが指差したのは1台の古びたドイツ型のワゴン車―――フォルクスワーゲン・ヴァナゴ―――だった。


 周囲にはそれ以外に車はない。


 ワゴン車のリアドアが開き、そこには30wのフェンダー製のアンプが積まれてある。アンプからはリバーブの効いた歪んだ音ドライブ ・サウンドが鳴り響いている。


 そしてアンプの前にはギターを持った男がいた


 破れたジーンズに薄汚れてヨレヨレのTシャツ。足元はスニーカー。ベースボールキャップを目深にかぶり、大きめのマスクで目以外を覆い隠した怪しい風体の男だ。


 異常な猫背で、身長はそれほど高くないように思える。


 そして男は一心不乱に、ギター(フェンダー・ジャズマスター)を弾いている。


 帽子で素顔を隠してはいるが、手元を見つめるその眼は異常にギラついていた。


 間違いない。こいつだ。


 俺は直感によってではあるが、確信した。


 それはレイラも同様らしく、背筋に緊張が走った。


 空間の歪みが自然発生的なものではなく、人為的なものである可能性が俄然高くなってきた。


 しかしそれは、対処しやすくなったという事でもある。良い方向に転がれば、だが。


 俺とレイラは互いに目線を交わし、ひとまず男とコンタクトを取ってみることにした。交渉によって解決するならば、それが一番良い。


 レイラを待たせたまま、まず俺が恐る恐る歩み寄る。


「あの、すみませんけど」


 1メートルほど手前で遠慮がちに声をかけた。


 だが男は何の反応も見せずに弾き続ける。いや、普通にシカトだわコレ。


 いくらギターを大音量で鳴らしているとはいえ、この距離で声が聞こえないということはないはずだ。


 無視された事に顳顬こめかみが引きつりそうになるのを堪えながら、俺は再度声をかけた。


「す・い・ま・せ・ん・け・ど!」


 張り上げた俺の大声が通じたのか男の動きが止まり、アンプからは残響音のみが吐き出された。


「えっと、間違えてたらスミマセンけど……」


「……るな」


「―――は?」


「ボクちんの邪魔を……するなぁぁぁっ!」


 友好的なアプローチを試みた俺だが、男はそれに構わず一喝した。


 あまりの剣幕に鼻白む俺を、男は血走った目で睨みつける。


 正気の眼じゃない。


「ゲンキ、 その男かGet away離れて!from him


 レイラに言われるまでもなく、俺は身の危険を感じて飛ぶように後退った。


 マスク男は足を振り上げた。しかしその足は俺を蹴ることはなく、地面を力強く踏みつけた。


 いや、地面ではない。地面アスファルトとスニーカーの間に何かがある……?


 掌大の金属製の筐体―――エフェクターだ。男はエフェクターのスイッチを踏んだのだ。


 同時に、大ぶりな動作で腕を振り下ろしギターをストロークした。


 アンプから放たれたサウンドは、ギターの原音が潰れるほどゲイン・レベルが上がっていた。


 先ほどまではアンプ自体で音を歪ませて、今はエフェクターでさらに歪ませているのだ。


 歪みの上乗せ。


 ギターソロの時にブースターとして音量を稼ぐためだったり、歪みの少ないクランチ・サウンドから歪みの多いドライブ・サウンドへ変化させるなど、歪み+歪みという手法は一般的に使われている。


 しかし、これはだ。


 倍音成分過多で音程が潰れてしまっているし、ややもすればハウリングだらけで聞き苦しい音色になってしまう。


 しかし俺はこのサウンドに、音楽性に起因しない不快感を覚えていた。


―――この『音』は何か怪訝おかしい。


「きししししし。お前が誰かは知らないけど、ボクちんの邪魔はさせないぞぉ!」


 言って男は、ガムシャラにギターをかき鳴らす。


「ゲンキ!」


 再びレイラの声。先ほどより緊迫感が増している。


 俺は身を翻して男から距離を取り、ギターバッグから愛機であるストラトを取り出した。


「こちらは準備できているわ」


 俺の方へ駆け寄ってきたレイラは小声で呟き、男の方へ油断なく目を配った。


「レイラ、あいつは魔術師なのか?」


「違う……と思うわ。彼からは魔術師としての『振動』が感じられないもの」


 レイラは耳をすませたまま答えた。


 音楽プロデューサーとして絶対的な音感を持つ彼女の聴覚が聞き分けるのは、『音楽』だけに留まらない。


 物体にはそれぞれ固有の振動数があり、それは生物とて例外ではない。


 レイラ曰く、魔術を使う人間や特殊な能力を持つに至った人間のが発する固有振動数は、特殊な変化をするらしい。


 レイラは精霊術を補助とすることで、その聞き分けが可能なのだ。ただし、意識を対象に集中しなければならないのが欠点といえば欠点だ。


「だが、今日この付近にあからさまに怪しい奴がいるっていうのは、偶然じゃないよな」


「同感よ。それになんだか私、厭な予感がするわ」


 密談し合う俺たちの目前で、ことが起こった。


 信じられない、というわけでは無い。


 マスク男が一連の怪現象になんらかの形で関与しているであろうことは、状況的に推測できる。


 だが―――。


 フェンダーアンプが絶え間なく吐き出すオーバードライブサウンドが、音波だけでなく、までも歪め出したのだ。


 アンプから音が鳴るたびに、俺たちの視ている『』に細かいノイズがいくつも生じては消える。


 そして、アンプのあるがぐにゃりと歪曲した。なんらかの人知を超えた光を屈折させているのだ。


 空間をマーブル模様に攪拌している『力場』は、グネグネと動き曲がりながら徐々にその軌道を空に向かって曲げていく。


―――だから、魔術師でも無い常人がこの現象を引き起こしているということに驚いたのだ。


《力場》が俺たちと男のちょうど中間に位置する上空へと差し掛かった時、聞き覚えのある音がした。


「これは……まずいわ、ゲンキ!」


 呆然として成り行きを見守っていた俺はレイラの忠告にハッと我に帰り、ギターを構えた。


 だが、遅かった。


 ピキッ―――という聞き覚えのある、不吉な音がしたのだ。


『世界』に亀裂が入った。


 亀裂は瞬く間に四方八方前後左右上下に広がり、また次の瞬間には網の目の球状となって、そして、


『グルォォォォォォォォォォォォ‼︎』


 世界の膜をひび割った。


 野獣の咆哮とともにこの世界に顕れたのは、先日と同じような怪鳥だった。


 ただし、その数は1匹や2匹では無い。


 その数、実に25匹。


「おいおい、マジかよ」


 思わず愚痴がこぼれる。


「けどまぁ、なんとかするしか無いのか……」


 先日あの怪鳥と戦った時は全く苦戦しなかった。数が増えたところで、どうということもないだろう。


 右手にピックを握り、左手をネックに添える。


 瞼を閉じ、精神を集中させる。


想像/創造イマジネーション》―――開始スタート





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