第14話 「 she's past 」






 灰田にとって水瀬明日香という少女の印象は、小学校、中学校を通して一貫していた。


 滅多に姿を見ない子、である。


 小学校の高学年から転校してきた明日香は、その時にはすでに病弱で入退院を繰り返していたために、登校していることが希少だった。


 ある意味で目立たず、ある意味では目立っていた。


 入退院を繰り返していたためか、人付き合いがほとんどない生活をしていたためか、何れにしても友達というものが少なかった。


「ま〜とにかく自己中でKYだったからね〜。今はだいぶマシになってるけど〜」


 とは灰田凛の言である。


 そんな明日香の友達といえば、凛ともう一人―――鈴原杏という生徒だけだった。


 灰田凛は当時から小さい事を気にしない性格で誰とも分け隔てなく接していたから、そういう意味では杏が唯一の親友ということになるのだろう。


 それを証明するかのように、明日香の登校日には常に一緒だったらしい。


 中学校に入学してから、明日香の自己中心的な性格に磨きがかかり、周囲との溝が深まっていった。有り体にいえばイジメられていたのである。


 それでも杏は、明日香の友人であり続けた。


 イジメが原因で明日香が本格的な不登校状態になった時も懸命に励まし、立ち直らせるにとどまらず、イジメの主犯格の女生徒に敢然と立ち向かっていたらしい。


 まさに刎頚ふんけいの友になっていた。


 お互い音楽が好きなこともあり、一緒に音楽をしよう、そして大会に出ようと約束した。


 ところが高校1年の夏、些細なことがきっかけで仲違いしてしまった。


 原因は明日香にあったが、プライドの高い彼女は謝ることができなかった。


 そのままずるずると時間が経ち、


 そして悲劇は起こった。


 数日後。杏が交通事故に遭い、意識不明の重体を負ってしまった。意識はそのまま戻らず、現在まで至る。


 駆けつけた明日香の眼に飛び込んできたのは、物物しい救命機器に繋がれて静かに眠る親友の姿だった。


 もう目を覚まさないかもしれない。


 そう聞かされた明日香に去来したものは、後悔と慚愧ざんきの嵐だった。


 謝れなかった。


 そのために二人の夢だったグレイテスト・ティーンズにも出れなくなってしまった。


 物言わぬ親友の傍に立ち尽くし、嗚咽おえつを押し殺しながら滂沱ぼうだたる涙を流す明日香。


 このとき彼女は決意した。


 でグレイテスト・ティーンズに出よう。そして優勝しようと。


 確かに杏はもう出場できない。今の彼女の容体では。しかし、彼女が残してくれた曲がある。


 それを明日香が完成させて、グレイテスト・ティーンズに出場するのだ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「それで、それまで楽器を触ったことのないあ〜ちゃんがギターを始めたわけだね〜」


 俺は話を聞き終わった後、黙り込んで考えていた。


 でフェスに出れないから、せめて彼女の曲と共に出場する。


 はっきり言って自己満足だ。それで杏という少女が回復するわけではないし、水瀬の後悔が消えるわけではない。


 でも水瀬はそうせざるを得なかったのだ。


 その気持ちは……理解できる気がする。


―――――――――――――――――――



 それからの一週間は大きな事件もなく、あっという間に過ぎ去った。


 学校の授業が終われば部活。それがない日は水瀬へのレッスン。そのあとはレイラに街中を引っ張り回されて調査だ。我ながらけっこう忙しいと思う。


 ところでレッスン中、水瀬にフェスでどんな曲を演奏するのか訊いてみた。


「なぁ水瀬。フェス―――グレイテスト・ティーンズの規定では『未発表のオリジナル楽曲に限る』となってるけど、曲はどうするんだ?」


 すると水瀬は俺をキッと睨み、


「そ、そんなことあんたには関係ないでしょ⁉︎」


 凄い剣幕で吠えてきた。


 しかし俺は、彼女の頬が赤くなっているのを見逃さなかった。


「いやいや、生徒さんが出演するステージに関しては、教室にも責任が発生するからな。最高のパフォーマンスを発揮してもらうためには、それなりの指導が欠かせないからな」


「う〜」とうつむき、チラチラと俺を上目遣いで見る。迷いがありありと窺える。


 諦念の溜息をはき、仕方がないというように披露する。


「これは私の友達が作った曲なんだけど……」


 テレキャスターを鳴らし、その曲を奏でる。


 シンプルながらも時折テンション・コードをい交ぜたコードワーク。ポジショニングは低音を活用しつつサスティンを極力殺さないように、開放弦を中心に組み立てている。


 右手の使い方に関しても、ストロークはしっかりと緩急がついてるし、テンポも一定の速さを保っている。


 時間がないということもあり、俺は基礎の要点―――それも早足で―――しか教えられていない。それにも関わらず、水瀬はそれを全て吸収し、己の演奏に反映させている。


 そして水瀬が喉を震わせた。


 紡がれたハミングはシルクより滑らかに耳を通り、俺は改めて思い知らされた。


 天性の歌声というものを。


「とまぁ、こんな感じなんだけど……」


 1コーラス分を歌い終わり、一息ついた水瀬。


「いい曲だな」


 お世辞抜きの率直な感想だ。


「でしょ? すごくいい曲なの!」


 パッと顔を輝かせる水瀬。友達の作った曲を褒められたのが、我が事のように嬉しいのだろう。


「1曲だけなのか? 確かエントリーは2曲から3曲だったと思うけど」


 俺が訊いた途端、ピタッと水瀬の動きが止まった。


《ギターを弾く少女》という題名の像が、我が家に鎮座ましましている。


 やがてさびまみれのぎこちない動きで、彼女は顔をこちらに向けた。


「………………一応、あることはあるけど」


「やっぱりあるのか。それも友達が作った曲なのか?聞かせてく」


「絶対ヤダ!」


「早いなオイ」


 拒否の居合抜きで一閃された。


「何でだよ。1曲聞かせてくれたんだから、もう1曲くらいついでだろ?」


「そういう問題じゃないの。とにかくダメなものはダメ」


 以上に頑なな態度に、俺は訝った。


 これは何かある。そう踏んで、つついてみることにした。


「人には聞かせられないような変な曲なんだな。そうか、それは悪いことを聞いたな。ごめん」


「違うわよ!そうじゃなくて私が作った曲なの……って、どうしたのよ、土偶みたいなアホ面して?」


「いや、なんでもない……」


 あの安い挑発に、俺の予想をはるかに上回るほどの速さで食いついてきた。入れ食いだ。


「それよりも水瀬。お前、作曲できたのか?」


「ゔ……。だから、つまり、その、アレよ。えっと、その……」


 ゴニョゴニョと何やら呟いていたが、要約すると、何となくメロディーは出来ているがコードなどはどう当てはめていけばいいのか分からないそうだ。


「何だ、そういうことか。だったら早く言えよ。作り方くらい教えてやるのに」


「だって、自分で曲作ってるなんてイタい人みたいじゃない」


「今すぐ全世界の作曲しているミュージシャンに謝れ」


 ていうか水瀬、それ、友達のこともけなしているぞ。


「とりあえず、メロディーだけでもきかせてくれよ」


「ゔ〜。わかったわよ。でも、絶対笑っちゃダメだからね」


《先生》の命令に不承不承頷く水瀬。


 無伴奏で読誦する彼女の歌声は、やはり不思議な魅力に溢れていた。


 それは聴く者の心を衝く、天上からの音色にも聴こえる。


 甘く透き通った美声が奏でる旋律は、明るい調子でありながらも、どこか物悲しさを感じさせるものだった。


「いい曲だな。これ本当に水瀬が考えたのか?」


 俺の惜しみない賞賛を受け、水瀬は顔を逸らし、


「そうよ、文句ある?」


 と憎まれ口を叩く。しかし彼女の耳が赤くなっていることからも、照れ隠しであることがバレバレだ。


 俺はひとまず彼女が口ずさんだメロディーから調性キーを割り出し、ルーズリーフにそのキーで使えるコードをいくつか書いて水瀬に渡した。


「なにコレ?」


「今の曲に合うコード表だ。それを持って帰って、自分でメロディーに当てはめてみろよ」


「ええっ⁉︎ なによそれ、すごく雑!教えるならもう少しこう……丁寧に教えなさいよ!」


 きゃんきゃんと子犬のように吠える水瀬。その猛攻に指で耳栓をしながら、俺は「どうどう」となだめる。


「いいんだよコレで。まずは自分で試行錯誤してみろよ。理論なんて後でいくらでも学べるぞ。それに、理論でガチガチになってしまうと、せっかくの水瀬の良い曲がつまらないものになってしまうかもしれないからな」


「そ……そう?ま、まぁアンタがどうしてもって言うなら、やってあげないこともないけどね」


 なぜか俺がお願いした形になっているが、押し問答も面倒なのでこのままスルーします。


「とりあえず今日はここまでにするか。今日もあのおっかなそうな人が迎えに来るのか?」


「ああ……ううん。今日は坂崎さんだけ」


 つい先ほどまでわめいていたと思ったら、今はしゅんと項垂うなだれている。


 感情表現の豊富さではりんごとタメを張るかもしれない。


 しかし、先日坂崎氏とともに迎えに来たあの高圧的な男は誰だろうか。


 不躾な質問になるので訊くべきか否か考え込んでいると、俺の葛藤を見抜いたかのように水瀬が口を開いた。


「……あの人―――坂崎さんじゃない方―――ね、私の兄なの。半分だけね」

 

 父親か母親のどちらかが異なるということか。彼への水瀬の態度といい、やはり複雑な事情がありそうだ。


 俺は「そうか」とだけ応じて、それ以上踏み込まないようにした。


 その日の迎えはやはり坂崎氏のみで、それを見た水瀬も安堵の息をついたのが印象的だった。

 

 そして調査開始から一週間後。俺とレイラは大きな手がかりとした。


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