第12話 「 second lesson 」




「今日もよろしくね。ってなにジロジロ見てんのよ変態」


 そういって俺の家に現れた水瀬。


 しかし俺の瞳は彼女が両手で提げている黒い長方形の、頑丈そうなケースに釘ずけになっているのであって、決して水瀬に見惚れているなどではない。


「それはなんだ?」


「これ? ギターよ。見たらわかるじゃない。バカなの?」


 確かにピカピカのハードケースには『Fenderフェンダー』のプレートが、銀色にまばゆく輝いている。


「これ新品だよな。どうしたんだ?」


「新品を拾ってきたりするわけないでしょ。貰ってもいないわ。買ったのよ。ていうかいつまで玄関で立っていればいいわけ?」


「あ、ああ悪い。上がってくれ」


 水瀬はスタジオに入るなり「ジャーン」と言って、ギターを取り出した。


「お前だったのか!」


「何が?」


 水瀬のギターを見た途端、驚愕が口から飛び出た。


 彼女が俺に突き出して見せびらかしているギターこそ、聖の店から買われた超高級テレキャスターだったのだ。


 水瀬の家は結構裕福なのだろうとは思っていたが。


「いや、何でも無い。それより、練習を始めるか」


「うん、お願いね」

 

――――――――――――――――



 水瀬としてはギター弾き語りのスタイルを目指しているらしい。


 その意向を組み、コードについての理論から実際の演奏のフォームの指導をすることにした。


「なるほど。コードの名前にはこんな規則性があったのね。初めて知ったわ」


 1時間ほどして、水瀬が感嘆の声を漏らした。


「そうだ。例えばコードの名前にsus4ってついてたら、コードの三度の音を半音上げる。メジャー7thってついてたら根音(ルート)・三度・完全五度の音に七度の音を加えてあげればいい。こういうルールさえ覚えておけば、コード譜を見るだけで、どんなポジションでも弾ける」


 ちなみにCメジャーのコードは根音C、三度E、完全五度Gの音で構成されており、三度Eを半音上げて四度Fファにしてやれば、C・F・Gで構成されるCsus4のコードになる。


「ふ〜ん。あ、それでこの前、弦が切れたギターでもスラスラ弾けたのね」


 この前というのは、駅前でストリートをしていた時だろう。


「そういうことだ。ところでさっきから気になったんだけど、顔色悪いぞ。大丈夫か?」


「別に大したことじゃ無いわ。心配ご無用よ。確かに一昨日の夜から何となく調子悪いけど、特に問題はないわ」


 手をヒラヒラ降って『心配ない』のジェスチャー。


「でもなぁ……。なんだったら、今日はこれくらいで切り上げるか?」


 俺は彼女の体調を気遣って言ったが、


「何でもないって言ってるでしょ。それに私にはあまり時間がないの。このまま続けましょ」


「時間がない? そういえば、灰田と一緒に会った時も同じことを言ってたな。どういうことだ?」


「う」と渋面を作った水瀬。明らかに余計なことを口走ったという顔だ。


「まぁいいわ、教えてあげる。不夜城君にはこうやってギターを教えてもらっていることだしね。と言ってもそんなに複雑な話でもないわ。ひと月後に開催される《グレイテスト・ティーンズ》で優勝したいの」


《グレイテスト・ティーンズ》というのは、有名な音楽史が主宰する学生向けの音楽フェス兼コンテストだ。十代の学生ならば誰でも応募可能で、全国の各都市で予選が行われている。


 かくいう俺も


「そうなのか。俺も一応出る気でいるぞ」


 そう。実は俺たち昂星高校軽音部も2つのチームに分かれて出場する予定なのだ。


「そうなの?じゃあライバルね。負けないわ!」


 不敵に笑って、ビシッと俺に指を突きつける水瀬。


「それはいいけど、だったらもうギターを教えないようにしようかな」


「あ、ズルい。ていうか意地悪っ!」


 なおも罵詈を放つ水瀬を軽くあしらいつつ、


「わかったわかった。冗談だよ。さ、練習再開するぞ」


 個人授業リスタート。



――――――――――――――――――



「もうこんな時間なのね。あっという間だった〜」


 夕から夜へと空が着替えるをする頃、俺は水瀬を玄関先まで見送りに出た。


「今日も迎えが来るのか」


「そうよ。坂崎さんに頼んであるわ。それにしても、いい匂いね。カレーライスかな」


 ご近所さん宅から漂ってくる夕餉の馥郁たる香り。


「好きなのか、カレー?」


「好きよ。今の家ではほとんど食べないけど、ママと二人で暮らしてた頃は週に1回はせがんでいたわ」


 どこか遠くの空を眺めながら、彼女は感傷的に呟いた。意図したことではなく不意に口をついて出たと言った感じだったので、俺はあえて触れず、その代わり、


「じゃあこんど食べに行くか。美味い店を教えてやるよ」


 とだけ言った。


「うん。楽しみにしてるわ」


 不意に訪れた静寂。


 気まずくなった俺が話題を探していると、2ブロック先からベントレー・ミュルザンヌが左折してくるのが見えた。


 我が家に横付けされたベントレーを運転していたのは坂崎氏だったが、後部座席には見たことのない男が座っていた。


 一目でフルオーダーだとわかるスーツに身を包んだ、20代後半の男。ツーブロックにした紙をべったりしたオールバックに撫で付けている。


 何より特徴的なのは、猛禽類を彷彿ほうふつとさせる、その鋭い眼だった。


 誰だ?


 水瀬はその男と見るや、たちまちのうちに色を無くした。


「明日香。何を遊んでいる?」


 静かなバリトンが、その男から発せられた。


「今日は大切なパーティがあると伝えてあったはずだが」


「……はい」


「であるならば、早く帰宅してゲストを招くために準備しておくべきだろう」


「はい」


「まぁいい。時間がない、早く乗れ。続きは車内で話す」


「はい」


 なんとなく俺が話しかけるのは憚れる雰囲気だ。そのためか、水瀬は車に乗り込む時に目礼だけで別れを告げた。



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