第11話「 rule of reciprocation 」





「セ、セ、セーラちゃん、って、ど、どうなってるの⁉︎」


「ええと、どうなってるんだろうね?」


 俺の目の前で、後輩二人がそれぞれ困惑に満ちた表情で俺を見ている。


 放課後の音楽室。俺たち軽音部が部活開始前のまったりした時間のことだ。


 普段ならば、思い思いに準備をしてながら和気藹々とおしゃべりに興じているところだ。決していたいけな後輩を困らせるようなことなどはしない。


 だがなぜ今日は困らせているかというと、言い訳させてくれ、原因は俺では無い。


 その原因は、


「ね〜ね〜」


 俺に乗っかって、


「不夜城ったら〜」


 ウザい絡み方をしている、


「無視すんなよ〜」


 同級生の女子が原因だ。


「おい灰田。いいかげん離れてくれるか?重いんだけど」


―――――――――――――――――――――――



 灰田が音楽室に来たのが5分前。


 椅子に座ってギターを調律チューニングしている俺を見つけて開口一番、「昨日はあ〜ちゃんとどこまで行ったの〜?」などと下世話な詮索をしてきた。


 すげなく無視していたんだ。俺は。


 すると灰田は俺の服の裾を引っ張ったり頬をつねったりしてしつこく絡み続けたかと思うと、出し抜けに大胆な行動に出てきた。


 むに。


「⁉︎」


 何か柔らかな感触が。俺の後頭部へアサルト・アタックを仕掛けてきた。


 あまりにも未知の威力を秘めたその不意打ちに内心狼狽しながらも、努めて冷静に彼女が用いた生体兵器と今の戦況を分析した。


 検証材料1。後頭部にブレザーのかさかさした布の質感。しかしその奥には確実に人工物では成し得ない、そしてどこか懐かしさを感じさせる柔らかさ。


 検証材料2。俺の背後には人の気配。俺の首筋に回された細い腕の位置と前後の状況から察するに、灰田なのは間違いない。


 灰田凛。


 校内1のバストサイズを誇ると噂される女子。


 そして俺を強襲した大きなふくらみと柔らかさ。


 これは、


 まさか……。


 落ち着け俺。ここで取り乱しては灰田の思う壺だ。


 色即是空。空即是色。


 受想行識。亦復如是。


「あ〜、重いって〜、ひどいな〜。ま〜確かに最近成長してきて〜、サイズが合わなくなってきたんだけどね〜」


 何が成長して、何のサイズが合わなくなってきているかなどとは訊かない。藪蛇な展開は御免被る。


 代わりに、灰田の奇行に付き合うことにした。


「ていうか、何の真似だこれは?」


「だって〜、不夜城が無視するからさ〜」


「だからって何で俺に乗っかる」


「ん〜。こないだセーラに聞いたことを試そうと思って〜」


 俺は少し離れたところで傍観していた香山を睨む。


 まさかいきなり振られると思っていなかった香山は「え?」と自分の顔を指差した。


 りんごはりんごで、目の前で繰り広げられる先輩の奇行の原因が親友にあると知り、彼女を睨む。


 所在無さげにつぶやく香山。


「もしかしてアレですか……?」


「心当たりあるんだな?」


「ええと、たぶん……はい。えっと、不夜城先輩は《返報性の原理》って知ってますか?」


「へんぽうせいの原理?いや、知らないな」


 首を捻る俺。ついでにりんごも同じリアクションをした。


「返報性の原理というのは、『人は何かをしてもらったら、何かお返しをしたくなる』という、心理学的な作用らしいです」


 なるほど。サッカーの試合で助っ人に来てくれた奴にジュースを奢りたくなるなったりするけど、あんな心理のことか。


「返報性の原理とやらは理解した。だがそれとお前の行動、どう繋がるんだ、灰田?」


「よくぞ訊いてくれた〜。男子高校生ではまず味わえないような〜、このアルティメットな2つの幸福感を与えれば〜、昨日のムフフな顛末を教えてくれるかな〜、って〜」


「同級生に色仕掛けすんなよ。リアルに引くわ」


 何より恐ろしいのは、灰田が自身に備わっている2つの桃源郷の価値を自覚し、見極め、あまつさえそれを使うことに何ら躊躇しないことだ。


 灰田、恐ろしい子。


「昨日は普通にギター教えただけだよ。やましいことは何も無い」


 俺は毅然とした態度で応じるが、


「あ〜、やば〜」


 何かを察知したかのように、急に灰田が離れた。


「ま〜いいや〜、訊きたいことは聞いたし〜、私は新しいエフェクターでも試そうかな〜」


「へぇ。やっぱり買ったのか」


 数日前にクレセント・ミュージックで会った時のことを思い出した。


 そんな感じで雑談をした後、練習が始まった。


――――――――――――――――――――――



 練習が終わり、俺はクレセント・ミュージックに立ち寄っていた。


 聖に俺のストラトの調整を頼むためだ。


「いらっしゃ……何だゲンか」


 ショーウインドウを開けてエフェクター に値札やPOPを貼っていた聖は、俺を見るなり営業スマイルを消した。


「おう。悪いけど、また頼んで良いか?」


「じゃあそこ置いといて」


 立てた親指でレジ台を示す聖。


「?」


 俺は指示通りギターバッグを置きながら、聖の態度に不審を感じていた。


「なぁジリ、なんかあったか?」


「……別に。何でも無いよ」


 俺を一顧だにせずに呟く聖。


 しかしこちとら十数年来の付き合いだ。鵜呑みにはしない。


 体調が悪いという感じではなさそうだから、やはり俺に対し腹蔵ふくぞうがあるのだろう。


 しかもこれが初めてでは無い。聖はたまに突然不機嫌になる時がある。


 いつもならば『触らぬ神に祟りなし』を決め込むのだが、今回はなんとなく早めに虫の居所をよくしておいた方が良い気がした。


 幸い店内には俺たち2人以外誰もいない。


「もしかして、こないだの醜態を怒ってるのか?」


 数日前。水瀬と初顔合わせのさい演じた滑稽なやり取りを、聖に目撃されたことだ。


「……」


 聖は黙して語らず。しかし、これは肯定だと受け取った。


「やっぱりか……。確かに馬鹿な真似をしてしまったけど、それは聖には関係なく無いか?」


 聖がカチンときたのが判った。


「まーね。ゲンが他校の女の子と仲良くしてようが、同級生に引っ付かれて喜んでいようが、アタシには関係ないよ。だから別に何でも無いって言ったでしょ」


 予想通り、言葉に棘が生えてきた。


「おい、もしかしてジリ、今日……」


「灰田ちゃんにエフェクター の感想聞こうと思って軽音部に行ったら、ゲンと灰田ちゃんがイチャついてるのを目撃したわ」


「マジか」


「顔がめっちゃニヤケてた。キモ」


 ぐさ。


「あれは別にイチャついてたわけじゃ無い。っていうかマジか……あれは、ジリには見られたくなかったな」


「え……?ア、アタシには見られたくなかったって、え、それ……何で?」


 突然髪を触ったりそわそわしだした聖。どうかしたのだろうか?


「そりゃお前、決まってるじゃ無いか。やっぱり……」


「やっぱり……?」


 ゴク、と聖の白い喉が鳴った。心なしか瞳も潤んでいる。


「やっぱりジリ経由でウチの親父の耳に入ると面倒臭いことになるからな―――って、どうした、ずっこけて?」


「いや、何でも無い。アンタはそういう奴だって知ってたはずなのにね……」


「?」


 意味がわからない。


「そういえば、ここに飾ってあったテレキャスはどうしたんだ?」


 そう言って、ギターコーナーの中でも特にハイエンドクラスのギターを何本か陳列してあるショーウインドウを指差した。


 数日前までここには、フェンダーUSAのカスタムショップ・メイドのテレキャスターがディスプレイされていたのだが、その姿が見えない。


 使用されている材質もパーツも、全てが超がつく高級品で、デザインも一般ラインのそれとは一線を画す。一言で表すと、垂涎ものの格好良さ。しかも聖の親父さんが『滅多なことじゃ売らねえ』というほど惚れ込んでいた逸品なのだ。


 普通ならば『売れたから無いのだろう』と思うのだが、これに限っては事情が違う。


「ああ、アレ?売れたよ」


 気を取り直した様子であっさりと言う聖。


「アレを買った人がいるのか。金を持ってるオッサンは良いなぁ」


 あのテレキャスターの値札を見たとき、俺は誇張でなく目玉が飛び出るかと思ったものだ。


「それがさ、聞いてよゲン。買ったのは女の子らしいんだよね。しかも私たちと同学年くらいの」


――――――――――――――――――――


 昨日のこと。


 閉店間際のクレセント・ミュージックに一人の女子高生がやってきた。戸惑いながら店内を見渡す様子に、店長である聖の親父さんは『初心者だな』と見当をつけた。


 少女はぐるっと店内を見回した後、ショーウインドウの中の1本のギターに目をつけた。


 迷いのない足取りでそれの前に立つと「これはテレキャスター?ですか?」と質問してきた。


「そうですよ」と営業スマイルの聖パパに「売ってください」と少女。


 この子は数字が読めないのか?はたまた自分が値札のゼロを、二つほど書き忘れたのだろうか?


 訝る聖パパ。値札に書き損じはない。ならばこの少女は前者か。


 聖パパは角が立たぬように、また少女が傷つかないように、オブラートに包んで目的の商品はとても高額であると告げた。


 少女は少し考えた後、バッグから何かを取り出して言った。


「これで、どうですか?」


 取り出したのは札束二つ。表示額のほぼ二倍の金額だ。


―――――――――――――――――――――


「……で、売ったのか?」


「売ったらしいよ。一応商売人だからね。あ、でも流石に値札通りの金額でよ。その娘の気迫に負けたって言ってた」


「確かに、気迫といえば気迫だな」


 俺ごときには出しようがない。


「ん?その女の子って御堂先輩じゃないのか?」


「違うよ。御堂先輩はウチのお得意様なんだから、父さんがわからないはずがないじゃない」


「それはそうだな」


 それにしても、御堂先輩以外でそんな超セレブな女の子がいるなんて、この街も狭いようで広い。


「まぁ俺とは一生縁のない相手だな」


「間違いない」


 だがしかし、この翌日俺と聖の予想は間違いだったと知らされる。




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