第9話「 an unknown monster above a river 」
「今日はありがとう。すごく理解りやすかったわ」
2時間ほどの練習が終わり、暮色が気配を強めてきたところで今日はお開きとなった。
玄関から外へ出ると、どこからかの炊事の匂いに俺の胃袋は触発された。
「どういたしまして。まぁ次はもうちょっと踏み込んで教えてやるよ」
「う……お手柔らかにね」
「はは。大丈夫だろう。水瀬はどうやら筋が良いみたいだし」
俺の言葉に、パッと顔が輝く。
「ほんとう?」
「ああ、本当だ。さ、暗くならないうちに駅に向かおう」
俺が歩き出そうとすると、
「それには及ばないわよ。さっき迎えを呼んだから」
「そういえば、さっき休憩の合間に電話してたな」
「あ、来た来た」
水瀬の視線の先には、大通りからこの路地に左折して入ってくる自動車が見えた。
「迎えって……あれか?」
思わず確認してしまった。
というのも、俺と水瀬の前に停車した自動車というのが、『並』ではなかったからだ。
上品なデザインのシルエットで大きめのセダン。車内はゆったりと座れそうなラグジュアリーな空間。しかも左ハンドル。
見るからに高級車だ。
海神ネプチューンの三又の銛を模したエンブレムは、イタリアの高級車メーカー、マセラティ。あれは確か、クアトロポルテという車種だったはずだ。
運転席には水瀬の父親だろうか、ロマンスグレーの髪をした細身の初老男性がハンドルを握っていた。きっちり着込んだスーツと、知的な風貌が大学教授を思わせる。
男性が運転席のドアを開け、わざわざこちらに寄ってきた。
「明日香お嬢様、お待たせして申し訳ありません」
「いえ、全然待っていないわ。ご苦労様です」
どうやら父親ではないらしい。
「なぁ水瀬、この人は……?」
こそこそ耳打ちする俺に、水瀬はあっけらかんと打ち明けた。
「ちょうど良い紹介するわ。この人は坂崎さんって言って、ウチの運転手とかしてくれている人よ。それで坂崎さん、彼が私に音楽を教えてくれている、不夜城くんよ」
「不夜城様ですね。お嬢様がお世話になっております。私は明日香お嬢様のお世話係を仰せつかっております坂崎と申します。以後お見知り置きを」
丁寧に挨拶してくれる坂崎氏。
こんな年長者にここまで慇懃に接してもらった経験などない俺は、あたふたとしてしまう。
「あ、いや、そんな大層なことはしてませんので……気にしないでください」
「恐れ入ります。さ、お嬢様、お帰りが遅れますと、旦那様に叱られてしまいますよ」
「そうね。それじゃ不夜城くん、またね」
坂崎氏が開けたドアから後部座席に乗り込んだ。
水瀬を乗せたマセラティはそのまま走り去り、その後ろ姿を俺は見送ったのだった。
――――――――――――――――――――――
水瀬を見送った後は、いつものように飯を食べて課題を終わらせ、自室で雑誌や小説を読んでいた。
オーディオからは海外のロックバンド、Mr.Bigのアルバム『Lean Into It 』を流している。
異変を感じたのは3曲目の《Green-tinted Sixties Mind》からだ。
「あれ? 変なノイズが入るな」
アレンジにあたって、曲中に故意にノイズを入れることはある。これはノイズも『
続けて4曲目、5曲目と続けて聞くと、同じようにノイズが混じった。
念のために別のアーティストの曲を再生してみると、これも同じだった。
以前、この音源を聴いた時にはこんなノイズは混じっていた。
となると、再生する機器の方の問題かもしれない。
「参ったなぁ……」
再生をストップすると、さらなる異変を感じた。
窓の外から、奇妙な気配がするのだ。
それも、常に気配があるわけじゃない。
感じたり、消えたりといったサイクルを持っているようだ。そしてそのサイクルに合わせて、オーディオのスピーカーからも「ジ…ジ…」とノイズが走る。
「……なんだ?」
恐る恐る窓を開けるが、近くには何も存在しない。
気配は遠くから漂ってくる。
その気配は指向性を持っているのか、大まかな方向が感じられる。
耳には聞こえないが、大きな音がどこかで鳴っているような感じだ。
わずかな逡巡の後、俺は気配が感じられる場所に行ってみることに決めた。
――――――――――――――――――――
自転車にまたがって走ること10分。
俺は街とは反対方向にある、川のたもとにいた。
土手は整備されており、レンガが敷き詰められた遊歩道になっている。
その途中に自転車を停め、念のために持ってきていたギターバッグを担ぎ直し、歩き出した。
この川に近づくにつれ気配は次第に強まり、それはこの川の下流に続いていた。
俺は配当を反射し、闇夜に橙色の光を移す水面を見つめながら歩いた。
5分ほど進み、湾の入り口まで後3キロメートルほどのところで、俺は初めて
川の水面の1メートルほど上空。
一定の間隔で広がる気配に同調するように、空間が揺らいでいた。
対岸は工場地帯になっており、灯りとなるものは少ない。故に、その空間の揺らぎは、
あれは何だ?
少し様子を見て、俺の手に負えそうになければ撤退するか。
そう決めた時、川沿いの車道をこちらに向かってくる一台のタクシーを認めた。
タクシーはやがて俺がいる位置から50メートルほど手前に停まり、一人の小柄な人影を降ろし走り去った。
夜に輝く太陽のようなブロンドの彼女は―――。
「レイラ。どうしてここに?」
「それはこちらのセリフよ、ゲンキ。とはいえ、察することはできるけれど」
そう言って、眼を
「魔術修行の成果かしらね。この定常世界に対するわずかな異変を感じられるようになったわね」
「あれは……なんだ?」
どうやら俺と同じような理由でここにきたレイラに、俺は尋ねた。
俺よりもはるかに『魔術』という世界に明るい彼女ならば、もしかしたら答えを知っているかもしれないと思ったからだ。
「私に判断できるのは、
「何かって何だ?」
「それは私にも判らないわ。ただ私の経験則上、その殆どが、人にとって有害な存在であることが多いわね」
その口ぶりから、以前も同じような事態に遭遇したことがあるらしい。
「それにしても、偶然とはいえゲンキがここにいてくれて良かったわ」
「何でだ?」
「知っているでしょう? 私は一人では殆ど戦闘力などないのだから。だけど私とゲンキが組めば、何とかなるわ」
可愛らしい秋波を送られるが、いちいち反応していられない。
「準備よくギターを持ってきているわね。でも、あなた一人だったらギターなんて、有事の際に役に立たないでしょう?なぜ持ってきたの?」
「何でだろうな。ただ、ギターさえあれば何とかなりそうな気がしたんだよ」
「呆れるわね。まぁ貴方の場合、実際に今まで何とかなってきているのだから、あまり文句はつけられな―――っ!」
レイラの言葉は、一つの言葉によって停められた。
薄氷を踏み砕くような、か細く小さな音。だがそれはいくつも断続的に鳴り続けた。
先ほどの揺らいでいた空間。
そこから、世界の殻が細かく崩れていく。
形容すれば、『虚』だろう。中空にぽっかりと開いた、夜のよりも暗き闇の虚。
そして現れたのは―――。
「……鳥か?」
あえて近似の容姿を持つ生物を挙げるとするならば、鳥。それも鶏や鳩など家禽の類ではなく、鶴や鷺などの
鳥頭に長い首、羽のついた翼に日本の足。この特徴だけならばそう言える。
しかし長い唇にはノコギリよろしく鋭利な牙が並び、翼の羽は柔らかさのかけらなどまるでない、硬質かつ重厚そうな質感をしている。
そして2本の足には発達した筋肉が隆々と盛り上がっている。
何よりも異様なのは、軽ワゴン車ほどの大きのその巨体だった。
俺は少なくとも、現代の日本でこんな怪異な鳥類があるとは知らない。
「なぁレイラ。確認しておくが、あのバケモノは
「
「アレって
「危険かどうかって意味?そうね……ならばアレの眼を見てみると良いわ。目は口ほどにものを言うものよ。野生動物は特にね」
助言に従って、怪鳥の眼を見る。
「おいレイラ。睨んでる。めっちゃ睨んでる!」
「睨んでるわね。それも、眉間にシワが寄っているわ」
レイラの方も、化鳥から眼を逸らしていた。
「しかも唸っているぞ」
「鳥類の姿なのに、あんな鳴き声が出せるのね。オマケに、
まるで、狂犬のような行動だ。
「
レイラの叫びと同時に、俺は彼女の小柄な身体を抱き寄せ、横っ跳びに跳んだ。
鈍重そうな外見に似合わず、怪鳥は一瞬で俺とレイラがいた場所に飛びかかって来たのだ。
「痛っ!」
怪鳥は
シャツの左肩が大きく破れ、露出した肩から上腕にかけての肩に赤い擦過傷が出来ていた。
「ゲンキ、
「平気だ。肩ってのが不幸中の幸いだな。これなら
俺の様子から、つよがりではないと察したレイラは、ホッとため息をつき唇を真一文字に結んだ。
「……
レイラはそう言った後、更に小声で何事かを呟いた。
同時に、仄かに青白く淡い光の粒が彼女と俺を取り巻いた。
俺は素早くギターを取り出し、ストラップを肩に掛ける
カスタムされたストラト・キャスター、つまりはエレキギターだ。アウトプット・ジャックにはシールドケーブルを繋いでいない。通常このままでは、エレキギターは殆ど聞こえない素の音がするだけ。
しかし俺は、あえてピックを握った右手でストローク。
するとどうだろう。アンプに
精霊術。
これこそが、一人では殆ど使えないレイラが得意とする術だ。
精霊と交信できる彼女の要請によって大気に普く存在する精霊が、俺のイメージに感応して俺の求めるギターの《音》を、空気を震わせる弦の振動の倍音を操作して響き渡らせる。
ここまでが第一段階。
レイラは更に呪文らしきものを紡いだ。
彼女が白く細い指を空中に滑らし、印を描く。
瞬間、青い閃光が幾何学的なラインで俺とレイラの間を走って消えた。
これで俺とレイラは、魔術的に一つの
俺たちは頷きあう。
準備は万端。
俺は一つ深呼吸し、ピックを振り下ろし、ディストーションの効いたヘヴィなリフを刻んだ。
音は青白い粒子を生み出し、それはたちまちのうちに紅蓮の炎となった。
炎は俺たちの前にも渦巻き、一つの大きな火柱を作り上げた。
やがて、火柱から巨大な人影が現れ出た。
鉄仮面に銀色の
銀に炎の緋色の照り返しを受けて輝く鎧を纏って顕れたのは、人の形をした炎だ。
炎の巨人。
これは、レイラの『
レイラには魔術師として欠陥がある。
魔術の行使にはいくつかのステップがあり、発動した後もそれを維持し続けるための魔力が必要らしい。
レイラはその《維持するための魔力》を生み出せないという。
そこで俺の出番だ。
レイラは大まかな枠組みだけを練り上げ、俺がそこに魔力を流し込むことで、裏技的に成功させているのだ。
魔力など本来持ち得ない一般人であるはずの俺がなぜ魔力を使えるのか。
その秘密が、前段階の《精霊術による演奏》だ。
俺の理想とする『音』で演奏することにより、俺のボルテージは上昇する。爆発した情熱が魔術リンクを通じて、レイラの造った鋳型へ流れ込み、魔術が発動するという仕組みだ。
少しややこしく複雑だが、こうでもしないと俺とレイラは身を守る手段を講じられれないのだから仕方ない。
ともあれ、俺の《守護者》の具現体である炎の巨人はこうやって顕現した。
突然の闖入者の出現により
再び両翼を広げた怪鳥は、自動車のような猛烈な速度で突進してきた。
大きさも、おそらく重さも自動車級だろう。直撃すればひとたまりもない。
だが、炎の巨人は難なく片手でそれを受け止めた。
受け止められた怪鳥の方は、心なしか屈辱に満ちた表情になり、
それらも危なげなく防いだ巨人を操作して、怪鳥を払い除ける。
流石に敵わないと踏んだのか、怪鳥はくるりと踵を返し、翼を広げて離陸した。
「本気か⁉︎ あんなデカくて重そうなのに飛べるのか⁉︎」
うろ覚えだが、生物が自力で飛行できる重量の限度は10キログラムだったような気がする。ところが目の前を飛び立った巨鳥は、ゆうにその10倍はあるだろう。
「アレはこことは別の世界の生物だもの。この世界の物理法則が通用しない時もあるわ」
呑気そうにのたまうレイラ。
「で、アレどうするよ?」
翼をはためかせる怪鳥を指差しながら俺は訊く。
「間違いなく、放っておくとロクなことにならないわね。ゲンキ、お願いできるかしら」
「あいよ」
ローポジションで
炎の巨人はそれに応えるように、右掌に炎の球を造った。
ドッジボールのような大ぶりなフォームで
断末魔の金切り声を上げ炎に包まれた巨鳥は墜落し、地上に叩きつけられる前にこの世から跡形もなく消滅した。
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