漫画研究会、町に出る

 加藤雄介はこの日、高梨の提案によるショッピングをするための準備をしていた。

 起床してすぐに彼が行ったのは、通常の営みだ。洗顔、朝食、歯磨き、などなど。

 だが、一つだけ普通ではないことがある。

 それはもちろん、妖精ちゃんの存在だ。

 着替えが終わって出かける準備をしていると、妖精ちゃんが駄々をこね始めたのだ。彼女は漫画研究会の買い物に付いて行きたくて仕方がない様子。

 結局良い策が思いつかなかったらしい妖精ちゃんは、強引に加藤達の買い物へ付いていくことを選択したようだ。


「えー! 行きたい行きたい、私も行きたい! 連れてってちょうだい!」


「お前を連れていけるわけないだろ。大体、そんな小さい体で喋るお前なんて、こっちでは気味が悪くて仕方ないだろうが」


 加藤は自室のソファーに腰かけながらコーヒーを飲んでいると、妖精ちゃんに絡まれたのだ。これから、というタイミングで。

 だが加藤には、彼女を連れて行きたくない理由がある。


「行きたいから行くのよ! ユースケの友達だったら絶対大丈夫だってば。優しくしてくれる筈よ」


「何の自信だよ……だったら、人間じゃないって怪しまれないような魔術でもあればいいぜ。ほら、やってみろよ」


 そう、加藤が危惧していたのは、彼女の存在が世間に知れ渡ることだ。明らかに人間ではない人形のようなその小さな体は、目撃されたら一発でアウトの可能性があった。特に、加藤自身の今後の身の持ちようなど。

 妖精ちゃんを連れている所など見られようものなら、喋る人形を連れてその人形と会話しながら歩く紛れもない変態の誕生である。それだけは避けたかった。

 それに、どんな魔術を使おうが妖精ちゃんが怪しまれない方法などありはしない、というのが加藤の見解だった。


 しかし妖精ちゃんは、加藤の予想を裏切ることになる。


「えい」


 いつの間にか手に握っていた彼女愛用の杖を一振りする妖精ちゃん。すると不思議なことに、そこには、妖精ちゃんが人間サイズに変化した姿があった。驚愕の表情を見せる加藤。


「ちょ……お前それはどういう……!?」


「ふっふーん、驚いた? これなら問題ないでしょう! さぁ、連れて行きなさい」


 彼女は、本来のサイズから飛躍的に大きくなり、その身長は170センチメートル程にまで伸びていた。おまけに加藤にはどういう仕組みか全くもって検討もつかなかったが、いつも着ているひらひらの服も、身長に合わせて大きくなっていた。

 その見た目は、欧州やアメリカ辺りが出身の白人系外国人の見た目を彷彿とさせる。中身は、年齢に反して子供みたいなものなのだが。


「……はぁ、そんな魔術を開発してまで買い物に行きたかったのか? まったく。いいぞ、適当に知り合いとでも言ってれば、あいつらならその場では追及はしてこないだろ。後で大変かもしれないけどな」


 意外にも優しさを見せた加藤に面食らってしまった妖精ちゃん。だが、思惑通りにことが進んだことに気を良くしたのか、普段にも増して饒舌になる。


「ホント!? やった! あ、でもこの魔術自体はユースケと旅してた頃から使えたのよ。披露したことはなかったけど。これはね、身体と精神に大きく干渉する魔術で……」


 この後もベラベラと喋り続けた彼女の話自体は、加藤はあまり聞いていなかったのだが。

 話が終わったタイミングで加藤はそれでも関心したような振りを見せる。実の所今日の彼は、妖精ちゃん所ではないのだ。

 それもその筈で、加藤と東は本日、自分たちの一生の秘密を明かそうとしているのだ。買い物が終わったら帰らせればいいだろうという判断を下した加藤。適当に優しくしておいて気分よく帰ってもらうことにしたようだ。


「へぇ、王国一の治癒魔術師の名を頂戴した妖精ってのはやっぱり伊達じゃないな。珍しく褒めてやる」


「……今日のユースケ、なんかちょっと優しくない?」


「そ、そんなことねぇよ。気のせいだろ」


「ふーん。ま、いいわ。一応確認しておくけど全員来るのよね?」


「そうだな。東、高梨、土田。全員来るぞ」


「ふーん。ねぇねぇ、私、皆とお友達になれるかしら」


「それはお前次第だろ。一つ言っておくけど、とにかく変なことはするなよ。それが連れてく条件だ」


「わかってるわよ。さあ、しゅっぱーつ!」


 内心げんなりしている加藤と意気揚々の妖精ちゃんは部屋を出る。すると、偶然にも、隣人のくすのきが帰ってくるタイミングにばったり遭遇した。加藤とはちょっとした知り合いで、同大学の後輩であり、趣味はアニメ好きである、ということだけが共通している。


「加藤さん、誰っすかその人。超美人すね」


「あ、ああ、こいつはちょっとした知り合いでな」


「同棲っすか。パネェっすね加藤さん」


「いや、まあそうだけど違うというか……」


 言葉に詰まる加藤。だが、妖精ちゃんが楠に何か言いたげな表情を浮かべたと思うと、楠からすれば驚きの流暢な日本語で話しかけた。


「あんたまさか楠とかいう人?」


「そうっすけど、何か」


「……何でもないわ。よし、行くわよユースケ」


「おう。そうだな。じゃ、俺はこれで」


 加藤と外国人の組み合わせは、奇異なものとして楠の目に映った。


「そうだ、あいつらにもう一人来ること連絡しとかないと。しかしマジで大丈夫かなこいつ……」


 そう言ってスマートフォンを取り出す加藤と、私も電話してみたーいと寄って来る彼女を適当にあしらう二人のやり取りは、他人から見ればいちゃついているようにしか見えなかった。当然、楠君もそれを見て一種呆然としていた。なにせ、隣人が女性と同棲である。

 だから時々女の声が聞こえて来たのかと納得した彼は、何を言うでもなく自室に戻った。その真意は、神のみぞ知る。


――


「遅いな、加藤のやつ。待ってんのはダリぃんだよ」


「まぁいいんじゃない? 電話で言ってたし、突然もう一人連れていくことになったって。それで少し遅れるんでしょ」


「でもいつものことだよね、加藤君が遅れるなんて」


 彼らの通う大学の最寄駅から二駅ほどで着く町の駅前で、漫画研究会の三人は待ちぼうけを食らっていた。この地区はファッションビルやカフェ、サブカルチャーな専門店までより取り見取りの、大学近辺では最も人が集まる繁華街で、彼らにとって買い物と言えばここだった。滅多に来ることはないが。

 そして約束の時間を15分ほど過ぎた頃、それらは現れた。


「あ、あれ加藤じゃない? 改札の右奥のあたり……??」


「お、ようやくお出ましか。さて、文句の一つでも言って……??」


「……加藤君?」


 高梨が改札の向こうに現れた加藤の存在に気付くと同時に、脳内が疑問符で一杯になる。そして土田と東も、高梨と共通の状態になっていた。彼らの疑問というのは当然加藤の横にいる外国人は一体どなたでしょう、というものだ。


 全てはその一言に尽きる。あの加藤が、知り合いのいない加藤がなぜ?

 頭の整理が付かない三人だったが、見間違いなどではなく、ぎこちなく手を振りながら向かってくる加藤に連れ添う長身のブロンド美人。

 そして目の前まで来た加藤と謎の美女。加藤は気恥ずかしそうに彼らへ告げる。


「お、おう。遅れてすまん。えーと、こちらはネトゲで知り合った人で、最近日本に旅行で来たから案内してやりたいんだ。ほら、挨拶して」


 雑としか言いようのない理由をかました加藤だが、ここで妖精ちゃんが作戦を発動した。お近づきの印のつもりなのだろう。


「初めまして、ナターシャと申します。金髪オールバックの方が土田さん、黒髪の女性が高梨さん、高身長のあなたが東さんでしょうか」


「……はい、僕が東ですが」


「え、ええ、高梨です。初めまして」


「……土田、だ。よろしく」


「よろしくお願いします」


 ぺこりとお辞儀までして見せた妖精ちゃん。

 明らかに動揺している三人と比べても遜色ない程、実は加藤も困惑していた。それは、妖精ちゃんの第一声に尽きる。


(え、こいつ誰だ? ナターシャとは? なぜ敬語を使える?)


 この場にいる人間が全員、全員が、頭の中の疑問が飽和状態だった。

 そんな四人に対して、いたって平静を装う妖精ちゃん。ことも無げに言葉を放つ。


「どうかしました? さあそれでは参りましょう。まずはどちらへ?」


「……まあ、とにかく行こうぜ皆。いい時間だし、ファミレスで飯でも食おうぜ」


 そう言った加藤を筆頭に、駅前の交差点を抜けて繁華街へとくり出す一同。しかし、謎のキャラクターを作る妖精ちゃんと、その存在に困惑する彼らの間には、会話がない。沈黙が場を支配する。

 結局そのまま近場にあった和洋なんでもありのレストランチェーンに入店する一同。

 店員に案内され席に着いたところで、ようやく落ち着きを取り戻し始めたのか、彼らは喋り出した。注文をするためだ。

 加藤は生姜焼き定食、土田はステーキランチ、高梨はカツカレー。そして妖精ちゃんはなんと、イチゴパフェである。


「あの、ナターシャ、さん? それは一体……」


「ナターシャでいいですよ、高梨さん。私はイチゴパフェにします。甘くて美味しいですから」


 昼食に、パフェ。

 この人、一体何なんだろうと、その場の誰もが思った。それ昼食に選ぶんかいという疑問もさることながら、何もかもが不思議なことだらけだった。加藤と外国人の組み合わせ。


 そんな折、遂に加藤が動いた。


「あー。ナターシャ、さん? ちょっとこっちに来てもらえます?」


「はい、何でしょうか」


「あと東もちょっと来てくれ」


「? ……了解」


 悪いけどちょっと待っててくれと言い残し、ナターシャと名乗る妖精ちゃんと東を連れだす加藤。それを見送った土田が高梨に相談を持ち掛ける。


「……おい、色々と気になることはあるけど、あんまり詮索してもアレだからよ、うまいこと話を合わせてやろうぜ」


「そうね、言いたいことは沢山あるけどここはひとまずそうしよっか。今回のことは後に、小出しにして加藤イジリに使いましょう」


 高梨が、いいネタ見つけたわと、歓喜の表情を浮かべるのであった。


 一方で、加藤と東、それに妖精ちゃんは店外まで一時移動していた。加藤は妖精ちゃんに、ことの真意を尋ねる。


「一体なんだあれは。あいつらすげぇ困惑してるじゃねぇか」


「だって、書いてあったんだもの、マイノリティ・ガールズに。『親しき仲にも礼儀あり、言葉遣いの丁寧さがあなたと友人の相性を良くする』って」


 その特集が示すのは当然、でしか発揮されないので、妖精ちゃんは完全に参考とする所を間違えていた。

 ここで、東がようやく気付いた。普通の人間ではないとは思っていた彼だったが、まさかあのちっこい妖精ちゃんだとは思っていなかったようで、それなりに今日がうしてようだ。東が驚くところはレアな光景だった。


「あの変な雑誌か……あとお前、ナターシャってなんだよ。それに、昼飯でイチゴパフェなんざ頼むんじゃねぇよ。そんな奴いるわけないだろうが」


「もー、食べたいモノ食べて何が悪いのよ、ユースケはいちいち細かいんだから。ナターシャってのは、私が人間サイズになった時に使う偽名よ。次はうまいことやるから、ね? 私友達が欲しいの。協力しなさいよ」


「……わかったよ。とにかく、その他のことには目を瞑ってやるから、とにかくあの気持ち悪い敬語みたいなのはやめろ。いいな? 俺がなんとか説明してやるから」


「りょうかーい!」


「本当にわかってんのかこいつ……」


 先に一人店内へ戻った彼女を見て、東に相談を持ち掛けた加藤。


「なあ、あいつ何かトラブルを起こすとしか思えないから監視を手伝ってくれ」


「そうだね。協力するよ。大体、彼女の正体を先に知られると、僕らのことを説明する時にややこしくなるからね」


 そして、とにかくこの状況を打破しようと決意して席に戻った加藤は、早速動く。


「待たせたな。こいつこっちに来てから間もないからさ、まだ友達が少ないんだよ。緊張してたみたいで変な敬語使っちゃってたけど本当は違うんだよ。なあ、ナターシャさん?」


 加藤が早口で滅茶苦茶な理論を語る。妖精ちゃんはそれに便乗して本来の自分をさらけ出した。


「そうそう、私みんなと仲良くなれるかすごく不安だったの。これからは気軽に話しかけてね!」


「あ、そういうこと? なんか変だと思ったけど、そういう事情なら仕方がないわね。よろしく、ナターシャ」


「おう、俺も気にしてないぜ。びっくりしてすまねぇな」


「僕も同意見だね」


「う……三人ともありがとう! 優しいんだね。ね、ユースケ」


「そうだな。おっと、注文してたのが来たぞ」


 明らかにおかしい妖精ちゃんの突然の変貌ぶり。何とかフレンドリーかつ自然な展開に持っていくことが出来たと思っている加藤と妖精ちゃんは、心底ほっとしていた。しかし当然、不思議なことだらけのこの状況に置かれた人間が、そんなアバウトな説明で納得するはずもなく、土田、高梨両名が空気を読んだからこその展開である。東は、言わずもがな。

 とにかく皆の対応に感謝した加藤。しかしここで、更なる事件が起きる。

 席に子供が近づいて来て、東を見ると旧知の知り合いのように話しかけてきたのだ。


「お、東坊! 久しぶりじゃな! お主の姿が見えたから何をしているのかと――」


 東は一切躊躇することなく彼女を瞬時に抱えると、またもや店外に移動した。

 彼女が現れたのは当然、妖精ちゃんの手引きによるものだ。


「な、何をしているのかな?」


「なーに、簡単なことじゃ。妖精ちゃんから、おぬしらに無理やり着いて行くと言っても聞かんから強引に合流しろ、との作戦を受け取ったのじゃ!」


 東は色々と察した。恐らく彼女達が部室の外にいたのは、このために盗み聞きでもしていたのだろうと。

 深く、深く溜息を付いて東は諦めてしまった。


「もう来てしまったものは仕方がないから、一応連れて行ってあげるよ。でも、問題は起こさないように」


「わかったのじゃー」


 これは分かっていない時のわかったのじゃーだと確信して東は、今日は面倒なことになると予想するのであった。


――


 それからはしばらく昼食に集中していた彼らは、食事後のちょっとした会話に花を咲かせていた。座敷童子ちゃんは、妖精ちゃんとは違って意外にも打ち解けるのは早かった。子供であるしどう見ても日本人なので、不自然さは少ない方だった。

 一方の妖精ちゃんも、高梨と談笑を交わしていた。彼女たちは、不思議なことにはもう慣れっこだった。

 先ほどまでとは打って変わって自然な微笑みを見せる妖精ちゃんは、加藤に耳打ちをする。


「ねぇねぇユースケ、アリサちゃん、めっちゃいい子じゃん。それにシンヤもナイスガイね。あんたにはもったいない友達じゃない」


 加藤は嬉しそうにそう囁く妖精ちゃん、もといナターシャを見て、意外と可愛い所もあると思ってしまった。

 だが、ここまではよかったが、これから恐らく色々な所に行くと思うと正直気が気でならない様子の東と加藤。


 こんなことでは漫画一つ買いに行くのも苦労するだろうと、苦悩する二人。

 逆に土田と高梨は、お気楽なものなのだが。

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