第8話 白菊の髪飾り
『おかーしゃん、おかーしゃん。おとーしゃんはいつ起きるの?』
『そうね、楓(かえで)が良い子にしていたら、きっと起きてくれるよ』
お母さんはそう言って、私の髪留めを直してくれる。お父さんからお母さんへ、そしてお母さんから私へと贈られた、白菊をあしらった髪飾りだ。
『あの人に、あなたの顔を見せてあげたかったな……』
* * *
夢を、見ていた。私が幼い頃の、母と私の懐かしい思い出だった。
寝惚け眼を擦りながら体を起こす。スマホを起動して、三十分後のアラームを止め、カレンダーで予定を確認する。今日は十三時半から共同研究先との打ち合わせだ。それまでに病院に行っておこう。
私は、枕元に置いてある白菊の髪飾りを手に取って、洗面台へと向かった。
* * *
とある大学病院の一階にある食堂で、私は父の友人、桂志郎さんと話をしている。桂志郎さんと父は古くからの友人で定期的に様子を見に来てくれる。
「それで、二人の容体は?」
「良くも悪くも変わりないです」
「そうか……」
しばらく無言が続く。桂志郎さんが頼んだカレーはまだ半分以上残っている。私も、サンドイッチ一つだけしか食べられていない。
「そう言えば、そろそろ誕生日だよね。今度何歳になるんだっけ?」
「二十八ですよ。お祝い期待してますね〜」
桂志郎さんも私も、努めて明るい口調で話す。
「じゃあ今度、嫁さんと探してくるよ。そうか、二十八か……
ってことは、柊が眠っちまってからそれくらい経つってことだよな……」
「ですね……」
お父さんは、私が生まれる少し前に脳卒中で倒れて、以来ずっと植物状態だ。そして、お母さんも、一年前に交通事故に遭って、植物状態になってしまった。
そんなタイミングで、あの法案が遂に成立してしまったのだ。
臓器移植法の再改正が叫ばれるようになったのは、いつ頃からだっただろうか。海外で臓器移植を受ける日本人の増加により、諸外国との関係性が悪化し始めた頃、国内の臓器移植を増やすための強硬策として、臓器移植法の再改正が提案されたのだ。
再改正案では、脳死患者は患者本人とその家族の承諾無しで臓器提供が行われるに加え、植物状態の患者も一定期間意識が戻らない場合に、脳死と同一と見なされ、臓器提供が行われる。
こんな非人道的な法案が通る訳も無い。初めは皆がそう思っていた。しかし、ここは日本、憲法九条の改正が許されてしまうような国だ。与党の力に流されるようにして、遂に再改正案は可決されてしまったのだった。
来年には、この法律が施行される。そうなれば、両親は国に殺されてしまう。私は、その日をただ待つだけなのだろうか。
「じゃあ俺はそろそろ行くよ」
「いつもありがとうございます」
「そっちも研究頑張ってね」
桂志郎さんはそう言って病院を後にした。再改正案がで始めた頃に、桂志郎さんは日本を代表する大手企業の仕事を辞め、政治家へと転身した。今でも一貫して、再改正案への反対を訴えている。
私に出来る事は何なのだろうか……。
* * *
「北辻くん! 北辻くん! 遂に完成したんだよ!」
研究室に着くなり、教授が興奮して私の元に駆け寄ってきた。
「何がですか?」
「新型のブレイン・マシン・インターフェースだよ! 我々の共同研究が遂に実を結んだのだよ!」
「!?」
ブレイン・マシン・インターフェース、脳波等の検出や、逆に脳への刺激などといった事が出来る機械だ。植物状態の治療にも利用が期待されている。
「近いうちに五台ほど届くからね、せっかくだし新しい研究しようじゃないか。他の子には伝えたけれど、各自で研究計画考えておいてね。コンペやるから」
「は、はい!」
これはチャンスだ。直感がそう告げている。新型のブレイン・マシン・インターフェースは、両親の治療に使えるかもしれない。ただ、研究計画としてしっかりしたものを出さないと、本来の目的とは別に研究成果を出せる計画をしなければならない。
迷走神経への刺激による植物状態からの意識回復に関する先行研究は沢山ある。ここでは優位性が取れない上に、成功率は限りなく低いだろう。どうするべきか……。
『あの人に、あなたの顔を見せてあげたかったな……』
ふと、お母さんの一言が頭をよぎる。そうか、記憶の共有だ。お母さんとお父さんの記憶を共有・改ざんすることで、自身の記憶に無い衝撃的な出来事を追体験させることが出来れば、脳への刺激は絶大なものとなる。このアプローチなら新規性が取れる。
意識が回復しなかったとしても、最期の時を幸せに過ごせるように、二人に幸せを届けたい。正直言って、絶望的な賭けだと思うし、もう諦めるしかないのかもしれないけれど,それでも、最後に少しくらい親孝行をしたいんだ。
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