終 幕/The Winner

 何の前触れもないままに、まだこうして生きているという事を意識するに至る。無意識で、そして無自覚に、呼吸を繰り返しているという事実を実感する。脳が機能し続けている。心臓が鼓動を続けている。それらを、今ここで殊更に確認するまでもなく認識する。って………ただ単に目が覚めただけなんだけどさ。おはようございます、ぺこり。


 とは、言うものの。


 考えてみると、知覚というのは実に頼りないものだね。どんな理由があるにせよ、どんな事情があるにせよ、そう。つい先程まで眠っていたその間も今こうしてわざわざ、もう一度言おう、わざわざ。繰り返すけど、わざわざ確認するまでもなく同じ事がこの身に起きている。それなのに睡眠時だと知覚として感知する機能は著しく低下していて、だからその間にこの身に何か起きたとしても、目を覚ましてその痕跡に気づかなければ有っても無かったようなもの。


 少なくとも、

 僕にとってはですけどね。


 そう考えるとなんだか怖いよね、眠るのって。それでも眠たくなったら、ころっ。と、眠ってしまうのけれど。それもまたなんだか怖い。眠るって何の為なんだろう? 眠らないと力を発揮デキない何かがあるのだろうか? その何らかの機能による効力の恩恵を得られない理由、若しくは事情でもあるのだろうか? それなら話してくれればイイのに。相談してくれれば真剣に向き合うのに。


 だって、

 自分自身の事なんだから。


 ………、


 ………、


 暇なの?


「うん、そうですけど?」と、ぽつり。たしかにそうだ、僕は暇を持て余している。けれど、なんのこっちゃだよな。


「んん………」

 あ、起きたかな。優子さん?

「………んっ」

 お、笑った。可愛いなぁー!


 ………、


 ………、


 うん、今日も平和です。


 僕の腕枕で穏やかに、そして和やかに、たぶん健やかに眠っている優子さん。あらためて言うまでもなく僕の憧れの女性であり、あらためて言うまでもないと言いながら言っちゃってるけど僕の恋人さんだ。てへへ………幸せだ。これからずっとこうして生きていける。ならば、こうして生きていけるように頑張らねば。なんだか夢みたいだから、夢のように幸せだから、そうなるとやっぱり眠るのは怖い気がしてきた。これは眠っている際の事なのか、それともちゃんと目覚めている上での事なのか。もしも今はっきりと目覚めているのだとして、それならいつからいつまでが本当に目覚めている際の記憶なのだろうか? 大切な想い出として残してある数々のそれらが、もしも眠りの森の住人としての記憶だったとしたら僕は今、本当に目を覚まして起きているのだろうか………そうなると、眠るのも怖いし起きるのも怖いね。


 ………、


 ………、


 皆まで言うな暇なんです。


「シュンくぅーん」

「え、あ、はい?」

 あ、起きたかな。


「………」

「………」

 起きた、かな?


「んっ………むにゅ」

「えっ………寝言?」

 寝言、でしたか。


 夢の世界にまで僕をキャスティングしてくれているとは………有り難うございますら優子さん、ちょっと泣きそうになっております。夢の中の世界でも現実の世界でも、どちらでも幸せにデキるよう頑張りますね。


 よいしょ、っと。


 僕は胸に誓いながら、優子さんから腕枕そっと外す。そしてすやすやと眠る邪魔をしないように、更にゆっくりと身を起こし、そろり。そろり、と。ベッドから離れる。けれどそれは決して暇に耐えかねて行動に移したワケではなく、絶対に勿論の事そんな筈などなく、自然の摂理と言うか現象と言うかつまるところ、尿意が限界の限界を超えて暴走する寸前の事態を迎えようとしていたからだ。正直に言えば暇なのは事実なのだけれど、その暇な理由は優子さんに腕枕をしているから動けないというものなのだから、それは寧ろ大歓迎なワケで。更に言うなら尿意に邪魔をされて抗えず、泣く泣く名残惜しく仕方なく無念の思いで優子さんから離れなければならないワケで。だからこその、先程までの無意味な思考の繰り返しなワケで。つまるところ尿意が収まる事は無理でも、忘れようとする事ならば可能なのではないか、と。


 恨むべきは尿意、

 ここまでよく頑張ったと思うよ!


 ………、


 ………、


 急ごうか、うん。



 ………、


 ………、


 そして。



「おはようございます、御主人様」

 部屋を出てトイレに向かう俊二の後を気づかれぬようマークし、俊二が用を足してトイレから出たところで、さらり。と、そう宣いつつ。これでもかと澄ました表情を浮かべながら丁寧にお辞儀をする女性が一人。何処から持ち出してきたのかそれともまさかのまさかで常備しているのか、そしてそれにいつ着替えたのか、更に言えば何が目的なのか、全体は黒地で襟や袖先などが白い生地のタイプの、きっと多くの人がそれを思い浮かべるだろうというメイド姿で俊二を出迎えた。


 小柳小春である。


「召し抱えた記憶はありませんけど?」

 早速、第一試合スタートか………と、そんなふうに思いながら。俊二は初手としてそのメイド服をイジるのではなく、小春がメイド姿である理由を否定した。


「昨夜はお楽しみでしたか?」

 が、しかし。小春はそんな俊二はお見通しとばかりに華麗に受け流し、自分のペースを崩す事なく余裕を持ってそう返す。


「それは何処かの姫と勇者に言ってくださいよメイド姿の宿屋の主人さん」

 対する俊二は。そんな事で敢えなく動揺してしまう姿を晒してたまるかとなんとか持ち堪え、けれど某超人気有名ロールプレイングゲーム内の有名なセリフを用いる事が小春の作戦とは気づかずに、その話題に乗っかって受け流してしまう。


「あ、それなら間違えてないじゃん」

 はい、いただきました。と、ほくそ笑みながら。小春はキャラを変えてとどめを刺しにかかる。


「一般ピープルですけど、何か?」

 その変化に嫌な予感を覚えながらも、俊二は食らいつこうとする。


「我が姫様の仰せのままに?」

 そして放たれる強烈な一撃。


「うぐ、それは………」

 痛恨の一撃により、瀕死。


「私がすぐ傍に居たというのに御二人でいちゃいちゃなさって私を忘れる若しくは無視する或いは見せつけようとするだなんて酷い仕打ちだとは思いませんかなんでしたら今ここで失恋した女子のような号泣をお見せして差し上げましょうか如何ですかどうなのですか申し開きはございますか?」

 それでも尚、怒涛の波状攻撃。どうやらこの件を一番の要因として、少しはヘコんだ姿をその目に拝ませてもらおうと目論んでの事のようだ。


「それは、その………ゴメンなさい」

 なんとなくそれを察した俊二は、素直に謝る。


「勇者よ、迂闊だったな。がはは!」

 真っ直ぐに謝罪されて罪悪感を覚えた小春は、少しヤリ過ぎたかなと反省しながらキャラを戻し、そのキャラで俊二に感じさせてしまった罪悪感と自分が覚えた罪悪感を相殺しようとした。


「声が大きいよ宿屋の主人改め魔王さん! 優子さんまだすやすやさんなんだからさ」

 の、だけれど。こんな状況でも優子を気遣う想いを失ってはいなかった俊二は、小春が覚えた罪悪感に気づかないまま小春を諫めようとする。


「朝まで寝かせなかったですもんね」

 反省の意を示してもらえて満足したのも束の間、自身の言動が発端とはいえ再び自分以外の女性を優先されて火がついた小春は、そのついた火が優子への嫉妬なのか俊二への悪戯心なのか自分自身でも判然としないまま、ついつい。と、いった感じでそう返してしまった。


「ちょっと待とうか魔王さん」

 の、だけれど。どうやら、第二試合開始のゴングを鳴らされてしまったらしいとしか俊二は受け止めていない。例えるならばまだ少しも回復しておらずライフゲージは赤色、棺桶の中に入れられて教会まで引き摺られていく寸前。心境としてはそのような状態の俊二は、その小春の初手で既に悪い予感しかしていない。


「御二人の目眩く桃色な声や音がつい先程まで洩れ聴こえてきましたもので、悶々として私も寝不足なんですけどね」

 俊二がイメージしているであろう自分から逸脱した違和感を覚えてしまわれる事に焦りを覚えた小春は、そう続ける事で俊二が不審に思わないそれへと軌道修正した。


「枕が変わると眠れない繊細なタイプには見えないけどって言うかシテないから、マジで!」

 少しは皮肉も込めて、と。思いながら反撃してみたものの、それでは目眩く桃色な一夜を肯定してしまう事になるとすぐに気づいた俊二は、慌ててその部分を否定する。


「なんと! 多大な羞恥を覚えながらも決して屈辱とは思わない淫らな独り遊びで何度も果て続けさせられ身も心も御主人様の奴隷へと変えられていくプレイだとばかり………下僕となる事に同意してしまったつい先程までの私を返してください!」

 すると。まるで、貴方に弄ばれて身も心もぼろぼろです。とでも、言いたげに。小春はあたかも実際にそのような想いでそのような行為に及んだかのような体で俊二を責め立てた。


「冗談はもうイイから早く帰れよ」

 と、冷たく言い放ってはみたものの。どちらかというと自分自身に攻撃を加えているようなそのドMな言い様に、空気を読もうとする気遣いの強い小春の真の思惑に気づいたような思いがした。

「あ、でも………ありがと。怒らせてからのはいはい判りました帰りますよに繋げて二人きりにさせるつもりのお気遣いコンボなんでしょ、それ」

 なので、真っ直ぐにそう告げる事でこの場の空気をシリアスなモードに変えようと試みる。


「それを言うのは野暮ですよ、羊飼い様」

 と、小春も。俊二の言葉を受けてそう返す。


「そうだね、ゴメン。でも野暮ついでにもう一つ。有無を言わさず此処に泊まったのは、念の為にオレ達を護衛するつもりの優しさなんでしょ? だから感謝してるし、邪魔だから帰れとまでは思ってないけど、もうオレは戻るつもりなんてないから時間は大切にしてね。とは、激しく思ってます」

 小春に野暮と指摘されそのとおりかもしれないと思った俊二は、反省の念を込めつつ謝罪を示した。そして、あの影の手の幹部とこうしてふざけ合う日が来るなんてと感慨深さを覚えながら、それでもこれ以上の未来は考えていないという意を告げる。


「そうですか………では、まだ一晩ではありますが残存部隊の仕返しなどの不安要素もなさそうですので、今回のところはここらあたりで幕引きとさせていただきます。ですが、次回は羊飼い様のそのお優しいところを一点集中で攻めに攻めて必ずや。私が大ピンチの際くらいはヘルプしていただけそうですし、ね。期待を込めての予感ですけど」

 それを受けて小春は、やはり。今ここで粘ってみても逆に更に更に心を閉ざされてしまうだけだろうと判断し、加えて本当にそのとおり少なくとも近々に優子が再び危険に晒される事はないとも思ったので、諦めてはいませんよという意思表示を投げかけつつ退散する事にした。

「大切な者を救う為に単身で敵陣に乗り込み、容易く圧倒した上でそのミッションをクリアなさるなんて正直、そこまで想われる坂木さんが羨ましかったです。私はまだ裏の世界の人間ですから、代わりに宜しくお伝えください。それではこれで失礼致しますね」

 そして。つい先程焦りを覚えて隠そうとした俊二への仄かな想いを、やっぱり少しくらいは意識しておいてもらいたいと心変わりしたようで、ほんの僅かに匂わせるといった感じで会話を締め括ろうとした。


「うん。でも仮にそんな時ぐ来たとしても、その頃はもう平和ボケしまくってて少しも役に立てないかもよ? そんなワケで。じゃあ、またね」

 しかし、残念ながらと言うべきか。俊二はそれに気づかず、影の手の幹部に際して敬意を払う意味で自身を謙遜し、尚且つ拒否の意は決して揺れ動かないワケではないよという事を短い別れの言葉の中に宿した。


「え、あ、今、また、と? いいえ、何でもありません………有り難うございます。御二人とも、心も身体も大切になさってくださいね」

 また、と。締め括った俊二からのメッセージにすぐに気づいた小春は、その途端に喜びを覚えるに至った。しかし、その喜びが組織として有益な結果を得る事に成功したからなのかそれとも、個人的な感情によるそれなのか。或いはそれらどちらの方が強いのか、それは彼女自身にも判らなかった。

「では、また。正義のヒーロー様?」

 のだけれど、それを今ここで確認しても野暮なだけだと感じて自重しつつ。惚れた途端に失恋が確定する恋心を芽生えさせたにも関わらず、それには気づかず優子への愛情を無遠慮に見せつける俊二に、その嫉妬からなのだろう玄関のドアを開けて立ち去る間際についついそう告げてイタズラっぽく微笑んだ。


「え、あ、ちょっ………それも覚えてたか」

 最後の最後まで油断は禁物だな、と。俊二はそう強く思った。の、だけれど。俊二が前例と比較して冷静に対応する事に成功したのには理由があり、そちらの方にかなり意識を向けていたからだった。



 がちゃ、



「………」

 ドアを開け、そして外に身を置き、振り返る事なく振り向く事なく閉められる間、それを小春が訊いてみるべきなのか、それとも訊くのはこれもまた野暮な事なのか、昨日今日のみにも関わらず急接近の間柄となったとはいえ、まだ小春のパーソナルを把握していない関係性でしかない分だけ、俊二はその気になる部分のその存在感に目が離せなくなっていた。


 ………、


 ………、


 その衣装のまま帰るつもりなのかな、と。



 ぱたん。



 ………、


 ………、


「危険な事しちゃダメなんだからね?」

 玄関のドアが再び外とひとまずの光信を遮断してすぐ、俊二の背中越しに優子が話しかけた。どうやら、いつからなのか俊二と小春の会話を立ち聞きしていたようだ。


「ん、あっ。起こしちゃった?」

 部屋のドアが閉まる音から数えて僅か数秒の後、静香さんが終わった筈の会話に参加してきたので、僕は少しの焦燥を抱きながらもそう返した。どのあたりから起きていたのかは定かではない。


「しちゃダメだよ?」

 今にも泣き出してしまいそうな表情で僕を直視しながら、優子さんは年を押すかのようにもう一度確認の意を示してくる。


「あの………はい」話しの内容から予想するにたぶん、影の手に手を貸すかどうかのあたりかな。と、思案しながら。このまま言い合っても優子さんは絶対に譲らないだろうと判断した僕は、結局のところその意思を受け入れた。


「あと、もう一つだけ」

「何でしょうか………」

 の、だけれど。


「………沢山シテくれたクセに」

 拗ねたような口ぶりと表情で、優子さんは異議ありどころか直接的な抗議の申し立てをしてきた。勿論の事、何を指しているのかは明白だ。


「でもそれはユウコさんが初めてなのに凄く感じちゃったとか恥ずかしそうに言うから可愛くてそれで触ったらまたすぐに感」


「そそそそれ以上は言うなぁあああー!」


「じちゃ………ゴメンなさい」つまるところ、かなり最初の方から聞いていたみたいです。その気配に僕が気づけなかったのは優子さんの潜在能力の高さによってなのか、若しくは僕自身のブランクからなのか、或いは小春さんの悪ふざけのせいでその初手から既に動揺していたからなのだろうか。


「あ、そうだ。責任、思いついちゃった」

「え、イヤな予感しかしないんですけど」

 兎にも角にも。


「一生、お尻に敷かれなさい」

「わお………単刀直入ですね」

 何はともあれ。 


「じゃあ、じゃあ、赤ちゃんの名前を考えよ?」

「えっ、それはまだ気が早いような気が………」


 本当の第二試合、

 それはこっちだったようです。


「あ、そっか。まずお役所に行かないとね」

「そっ、即断即決が信条なんでしょうか?」

 関係を持つと女性は変わる。


「シュンくん………イヤなの?」

「いや、その、急だなぁーって」

 と、聞いた事があるのだけれど。


「………泣くぞ」

「すぐ行こう!」

 それは男性だってそうなのだろうけれど。


「どっちに?」

「え、っと?」

 なんと言うか、その。


「お役所の方? それとも………ベッド?」

「誰かとダブって見え………いや、あのね」


 ………、


 ………、


 優子さん、

 こんなキャラだったんですね。


 ………、


 ………、


 ………。




             終 幕 終わり

          彼は私の最強手札 完

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彼は私の最強手札 野良にゃお @Nyao8714

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