壁に耳あり

壁から耳が生えていた。


この壁とは、今正に私の目の前にある壁であり、私の下宿先の6畳部屋の西側にある壁である。昨日までは居室を外界から仕切るに過ぎなかったただの壁であり、これからもそうであると信じて疑わなかった壁である。その壁から耳が生えていた。


この耳とは、今正に私の目の前にある耳であり、私の側面に存在する耳ではない。昨日までは間違いなく壁に付着していなかった耳であり、これからもそうでないだろうと考えすらしなかった耳である。大きさは10cmくらいだろうか。人間の外耳と思われる形状をしていた。これが私の部屋の壁から生えていなければ、私も人間の外耳であると同定していたであろう。


壁に耳あり障子に目あり、とは古諺であるが、本当に壁から耳が生えている様は初めて目にする光景であった。そもそも耳のように見えているだけで、これが本当に耳であるのか、耳であるならば誰の耳なのか、目はどこにあるのか、それらは全くの謎であった。


改めてこの耳を観察した。形はやはり耳であり、耳と形容する他に表現が思いつかなかった。肌の色素がやや薄いように思われるが、それ以外は特筆すべきこともない、壁から生えていることを除けば至って普通の耳だった。


耳のような形をしているので、勿論耳穴もあった。覗いてみた。暗くてよく見えなかった。穴を除けばお隣さんの生活が丸見え等というベタなパターンではなかった。まあ、壁から耳が生えている時点でベタではなかった。


耳穴は覗かれるものではなく、音を聴きとるものだろうと思い至った。どうにも非日常的なので、話しかけるという対応を失念していたようだ。私は壁の耳に向かって話しかけた。


「あの、聴こえますか?」

返事はなかった。

「あの……一応この壁は私の部屋の壁なんですけど……」

返事はなかった。考えてみれば当たり前だった。この壁には耳しかない。私が話しかけたところで、この壁には応答する器官が備わっていない。壁に耳があるからと言って、話しかけても返事をするはずがなかった。


そう思っていた。


「その壁があなたの部屋の壁だとしても、その耳は私の耳です」


天井から声がした。急いで振り返る。見なれたはずの天井が消え去っていた。代わりに一面が障子に入れ替わっていて、その障子からは着物を着た赤毛の少女が……


「うわぁ!!誰だ!!!」


赤毛の少女は答えた


「メアリーです」


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気まぐれショートショート 木製人間 @penguin60124

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