幸福でなければ強くなれない
幸福というものは、あります。宗教と関係ない(自分はたぶん、ブッディストだけど)。日本人の宗教アレルギーは有害です。「よりよく生きる」ことを探究して悪いわけがない。日本で避けられる「宗教」は、人間を疎外する暴力装置としての「組織」です。宗教は、よりよく生きようとした人が集まって発生したものだった。組織や教義で人間の思考を停止させるものになったら有害です、確かに。自分は幸福を知っている。Bullet Journal のライダー氏が、彼なりに考えた幸福論を述べている、「幸福は感じるもの」とか言ってますが、ちょっと違う感触がある。何かを達成した時の満足感でもない、もちろん。幸福に必要なのは、健康と安全です。あと天気は影響がある。金はあんまり関係ない、安全であるための金がいるだけ。心身一如と言いますように、身体の健康を保てば精神も安定してくるし、精神が健康でなければ身体の健康に配慮できない。まずはまともなものを食べることです。これマジなので真面目に聞いてください。
安全はむずかしいのです。自分の場所があること、脅かされないこと、できれば信頼できる人と安定した関係があること。健康で安全で日々が穏やかである時、心身の状態がフワッと上がる時間がやってくる。その領域に入れば、「ああ、これが幸福か」とわかります。ずっと継続するものではない。幸福をわずかでも味わえば、過去の自分が「不幸」だったことが見えて死ぬほど泣けます。そういうものです。
なんかダルイんだけどー、まあこんなもんかなって。という状態では、怒れない。現状がおかしいと認識し、ふざっけんな!!と机をぶっ叩くには、健康な身体としなやかな精神が必要なんですよ…。だから、絶望の中で幸福になる。可能です。幸福は、現状に満ち足りるのとまったく違います。「いいわね、あの人は幸せで」とか言う人は当然、幸福を知らない。
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