5.親友とも☆
「却下却下!こんなもの、話にならない」
企画書を叩きつけるように突き返すと、一瞬周りが静まり返り、代わりにヒソヒソと囁く声がする。
「まーた始まったよ」
「仮にも年上にだぜ?」
「出たよ、鬼編集長」
本人たちは声をひそめているつもりなのだろうが…俺は昔から耳だけは良い。
「おい、上谷」
「は、はい!何でしょうか、御影編集長」
「無駄口叩いてる暇があったら仕事をしろ」
「は?俺は何も、」
「あ、あの!」
反論しようとした上谷を尻目に、陰口を言っていた本人たちが先に口を挟む。
「締切が近いので先生の様子見てきます」
「俺も…そうしようかなぁ」
「じゃぁ俺は資料室にでも…」
3人がそそくさと出ていくのを名残惜しそうに見つめる上谷。
「どうした上谷?」
「み、御影さん、俺は決して陰口なんて言ってないですよ」
「そんなことはわかっている。でもお前も内心思っていただろう?」
「え?…いや、そんなことは…」
明らかに動揺して苦し紛れに作ったぎこちない笑顔が痛い。
そんなことは言われ慣れているし今更周りからどう思われようと構わない。仕事の妨げになるものは何であろうと排除し、使えるものは誰であろうと利用する。
「どうでもいいが、そろそろ
「あ、そうでした!」
「英先生はタクシーだろうから必ず誰か出迎えるように言っておけよ」
「はい」
「コンパニオンの件はなんとかしておくから」
とは言ったものの、上手くはいかないものだ。
ミルクを探して宴会場を覗くと、エロオヤジから逃げてきたゆずとちょうど出くわす。
「助かった、って顔だな」
「え?」
「懲りない奴。いつまでも客に助けて貰えると思うな」
「だったら御影さんが助けてくれても良いのに」
「なぜ俺が?嫌ならやめろ」
「ひどっ。大丈夫です、覚悟してますから」
「ほう。なら、うまくやれ」
蘭館と王手社は隣接していて、渡り廊下で繋がっている。旅館もブルーローズも経営者が王手社社長の身内だから、我々王手社の人間が行き来し、打ち合わせや接待で旅館の部屋を使うことは少なくない。
「それよりミルクを見なかったか?」
「いいえ。今日は一緒ではなかったので」
「そうか」
タイムリミットがせまる中、打ち合わせ時間を過ぎているというのにミルクの姿が見当たらずに正直焦っていた。
「王手社さんが3階の客間を使われるのって明日でしたよね?」
「あ、あぁ。ところが作家の都合で急遽、今日に変更してくれと連絡があったんだ」
どうも落ち着かず、頻りにスマホの画面を気にしている俺を見て、珍しそうに彼女は微笑む。
「なんだ?楽しそうだな」
「ごめんなさい。御影さんも焦るんだなって」
「は?」
「い、いえ、すみません。なんでもないです」
ゆずがボソッとつぶやいた時、宴会場の襖が開き、
「あれ?ゆずちゃんまた絡まれてるの?」
「え?」
宴会中であろう若い男性が、心配そうに駆け寄ってくる。俺が酔ってコンパニオンに絡んでいるように見えたのだろうか。
「違いますよ。先ほどは助けて頂いてありがとうございました」
「いえいえ。違うなら良かった」
とても爽やかに笑う彼の顔に、俺はドキリとした。柔和な目元に人懐っこい笑顔、警戒心のまるでない無垢な心をそのまま表しているような優しい表情に、声も出なかった。
「え…」
見覚えのある、懐かしい顔だから。
「嘘だろ…」
そして彼もまた俺と同じように目を見開く。
「
あまりにも突然で、気づかないふりをすることも逃げ出すこともできなかった。
痛みとともに蘇る、過去の記憶。蓋をして奥底に仕舞い込んであったはずなのに…隙間から徐々にこぼれだし、何かを訴えている彼の声が耳に入ってこない。
「怜…こんなところで何してんだ?まだ編集の仕事しているのか?なぁ、ちゃんと食べてるのか?おい、怜!」
「あ、あぁ」
何度か呼ばれて初めて、我に返る。
「大丈夫か?」
「悪い、ちょっと疲れてて」
「老けたな~」
「お互い様だろ」
彼は確か俺より2つ下だから、今は34か。
「だな。…何で音信不通になるかな」
「悪かったよ」
「……もう、10年だぞ?」
「そんなに経つか?」
「経つよ!ずっと心配してたんだからな、俺たち」
少し痩せたのだろうか。頬の辺りがすっきりしたせいか随分と頼もしく、あの頃の幼さはない。おそらく彼はもう家庭のある立派な父親なのだろう。
「怜
…元気そうで、良かった」
「あぁ。今忙しくて…悪いな。近いうちに、連絡する」
「……絶対だからな」
彼はまだ何か言いたそうだったけれど、隣でゆずがおろおろし始めたのを見てか、ぐっと抑えたように笑顔に切り替えた。目を反らさずにはいられない。
「じゃぁ、また」
と逃げるように俺はその場をあとにした。今は過去に囚われている場合じゃない。
「待ってくださいよ」
慌てて追いかけてきたゆずは、ほとんど小走りで早足の俺と並走しながら顔を覗きこんでくる。
「何か用か?」
「いえ…御影さん、大丈夫かなって」
「何が」
「顔色悪いですよ」
「問題ない」
「でも、」
「関係ないだろ」
「あのお兄さん…元カレですか?」
「ふざけてるのか」
「いいえ。でも御影さん、あのお兄さんに絶対連絡しないですよね?」
せっかく気持ちを切り替えようとしているのに、平然と的確な事を言うゆずに対し腹が立った。
俺は、コンパニオンの控え室の前で足をとめると、睨み付けるように彼女を見た。
「なぜ、ついてくる」
苛立ちは募るばかりだが、声は穏やかに平静を保つ。
「行き先が同じだけです」
「あーそうか」
「あの…さっきのお兄さんって…」
「…かつての、親友だ。できれば、会いたくなかった」
彼らと離れて10年。正確には9年半。
それでもわかる。わかってしまう。
彼がさっきどんな気持ちで感情を押し殺したのか。何が言いたかったのか。
彼の目を見ただけでわかった。
あいつはどん底にいた俺を救い出してくれたあの頃のままだと。
でもだからこそ、もう会う気なんてなかったのに。
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