35.慈雨じう

 嬉しかった。

 嬉しすぎて更に溢れた涙で声も出せず、何度も頷く事しかできなかった。

 寄り添い抱き締め合うと御影さんの匂いを感じる。そうしてようやく、帰ってきたのだと実感し安堵する。御影さんと離れたくないと強く思う。

 ずっとこうしていたいと。

「瑳」

 顔をあげるようにと顎を軽く掴まれ、御影さんの顔が近づく。不思議と驚きも躊躇もなく、その先を意識した時、

「そういえば…大事なことを忘れていた」

 御影さんは少し潤ませた目を擦り、思い出したように言った。

「あ~間違えた」

 失態を悔やむように肩を落とす御影さん。

「え?」

 やっぱり今の告白はなかったことに、とか言われるのではないかと思ったら、涙が急に止まった。

「イヤです。今のは絶対に忘れませんから!」

「は?何を言っているんだ?」

「へ?」

「…君の兄さんのこと」

「紘兄?」

「君がコンパニオンをしていた時、瑳に手を出さないと君の兄さんと約束していた事を忘れていた…順序を間違えた。彼の許しを得るのが先だったな」

「意外と律儀なんですね。でも御影さん約束した後も私にキスしましたよね?」

「え…あ、あれは…まぁアクシデントというか。…それに英先生にも何て言えばいいか。こんな若い子を捕まえて親友あいつらにも何て言われるか…」

 頭を抱えてしまった御影さん。そしてしばらく駿巡し、

「…とりあえず、半年待とう」

「はい?」

「君が留学を終えるまで手は出さない」

「ど、どうしてですか?私もう子どもじゃありませんよ!」

「いや、それは…どういう意味で言ってるんだ?」

 御影さんの目が泳いだのが面白くて笑ってしまう。可愛らしくも見え、心からそうしたくなって、キスをした。

「おい、」

「こういう意味です。…私から手を出すのは良いんですよね?」

「そういう問題ではなく、理性の……」

 私が笑うと、御影さんも釣られて小さく笑った。柔らかく、温かい慈雨のように染み渡る。

 兄をどう説得するか…

 けれど伝えるべき事はひとつ。ありのままの気持ちを、ずっと抱いてきた想いを話せばわかってもらえるはずだから。

「御影さん、大好きです」

 どちらともなく自然と繋いだ手を、私は更に強く握った。



END



『恋水の花』から10年後の物語でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨続きの夜に、 きおり @sakata1209

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ