33.告白こくはく

 結婚式は青空の元、緑で溢れるガーデニングテラスのチャペルで。ドレスはあまり派手すぎず純白のマーメイドドレスに、手作りのブーケ。沢山の人々に囲まれながら神に愛を誓う。

 披露宴では、豪華な料理と涙を誘う演出の数々。多くの祝福の言葉に涙をこらえきれない晴れの舞台。

 すべてが輝いて見え、ひとつひとつに感動していたら少し疲れてしまった。

「瑳ちゃん、泣きすぎだよ」

「英先生…」

「今日ぐらい先生はやめてよ」

 式も披露宴も終わり、ラウンジのソファーで休んでいた私の背中を撫でてくれる英先生は、穏やかに目を細める。

「今日くらい本名で呼んでよ。バレるじゃん」

「あ、すみません。瀬戸、さん」

「固いなぁ。瑛って名前で呼んでみて」

「え?…でも」

 恥ずかしさに戸惑っていると、

「先生!杠葉さん!」

 後ろからの声に驚いて振り向くと、まさに私の理想のドレスを着た女性が立っていた。

「おーさゆりん」

「先生!それこそやめてください!」

「あ、ごめんね渚ちゃん。…幸せそうでなにより。本当に素敵な式だったよ。お招きありがとう」

「ふたりには変わるきっかけをもらったんで感謝してます」

「そんなことはないよ」

「お忙しい中本当にありがとうございました。杠葉さんも今日のために帰って来てくれたんでしょ?」

「親友のためですから」

「本当にありがとう。次はふたりの番だね」

 涙目の渚さんにポン、と肩を叩れた私と先生は顔を見合せて笑った。

「渚ちゃん、残念だけど、僕たち付き合ってないから」

「え!そうなの?」

「そうだよ。先生は彼女いるんだから」

「えー!」

「しかも年上」

「え!熟女?」

「あーもう別れたよ」

「あれ?そうでしたっけ?あ、コンパニオンに手を出したんでしたっけ?」

「こら、人聞きが悪いなぁ。あの子とは付き合ってないし。今の彼女は、同棲してるんだけど、すごく若くて可愛いツンデレちゃん」

「先生それってもしかして、猫の事じゃ…」

「まぁそうだけどね」

「え~なんだぁ。私はてっきりふたりが続いてると思ってたのに…」

「続いてるって…瑳ちゃんとは一度も付き合っていないよ。もちろん寝てもない」

「え!ショック。そうなの?杠葉さん」

「え?…う、うん」

 確かに私もその辺はうやむやで、確信がなかった。

 当時、御影さんのことでショックを受けていた私はもうどうにでもなれと思っていたかもしれない。

 先生の優しさに身を委ねそうなることはわかっていて彼のマンションに行ったし、ちゃんと覚悟はしていた。あの時は途中までしか記憶はないけれど、あれから互いの家を行き来したりたまには泊まることもあったし、デートもした。だからそういう事なんだろうと思っていたし、それでもいいと思っていた。

 けれど、蘭館での御影さんとの事件の後、先生が言ってくれたこと…



「瑳ちゃん、僕と結婚しよう」

 私を抱き締める力が増す。

「え?」

「そんなに嫌な顔しなくても」

「ち、違いますよ。でも、驚いて…」

「また冗談だと思ってる?」

「だって、結婚なんて急に…」

 腕の力が緩み、ゆっくりと顔をあげると、先生のいつものような優しい笑顔はなく、無だった。

「先生?」

「僕は本気だよ」

 怒っているような真剣な先生の表情に、どうしたら良いかわからなくなる。

 いつも助けてくれる、励ましてくれる先生を無下にはできない。哀しむ顔は見たくない。いつもみたいに笑っていて欲しいから、

「…嬉しい、です」

「そう?…僕の目を見て」

 言われるまで気づかなかったけれど、自然と反らしていた視線を戻すと先生の表情は元に戻っていた。

「もう一度言ってみて」

「え、っと…うれし、」

 突然私の言葉を遮ったのは、先生の笑い声だった。

「先生?」

「ごめんね、瑳ちゃん。無理しないで」

 ケタケタと楽しそうに笑う先生。

「僕に気を遣わなくていいんだよ」

「そんなことは…」 

「ない?僕を好きだと心から言えるかい?僕に抱かれたこと、後悔していない?」

「え…」

「聞きたいのは僕が欲しい答えじゃないんだよ?瑳ちゃんの、気持ち」

「……ごめんなさい!先生には助けてもらってばかりなのに…私、最低です」

「いや、最低なのは僕だよ。瑳ちゃんの気持ちは初めから知っていたし…僕に抱かれたら心も動いてくれるのではと、期待した」

「先生…ごめんなさい」

「大丈夫だよ。…あの日、僕は瑳ちゃんを抱いてないから」

「え」

「途中で気を失った子に最後までするわけないでしょ?…それに僕はずいぶん前からちゃんと機能しないんだ」

 使い物にならなくてさ、と先生は更に笑う。

「黙っていてごめんね。だから、安心して素直になればいいんだよ」




「先生と杠葉さんならお似合いだと思ってたのになぁ」

 渚さんの残念そうな声が現実に引き戻してくれたけれど、彼女を見るとなぜか面白がっているようにも見える。

「もうそんな話やめようよ」

「今からでも遅くないんじゃない?ねぇ先生」

「うん、僕もそう思うよ。でもきっぱりフラれたんだ」

「えーもったいない!」

「ちょっと、渚さんやめてよ」

 あれから、1年半。

 先生の薦めで2年間の語学留学を決め、残すところもう半年。兄や英先生、渚さんとはよく連絡を取りあっていたけれど他の人とは全く。近況も知らない。

「あ、そういえばふたりに紹介したい人がいたんだ」

「紹介?」

「そう。会場の入り口に素敵なウェルカムボートがあったでしょう?今すごく人気で間に合わないかと思ったんだけど、無理言って作ってもらったの」

「あのお花に囲まれたガラスボートでしょう?すごく可愛かった」

 そのままアクセサリーにできそうないろとりどりのガラス玉や配色の綺麗な小物が並びとても素敵だった。

「でしょう!そのガラス作家さんが今日別の仕事でたまたま来ていて、英先生の話をしたらぜひ会いたいって。式が終わる頃顔出すって言ってくれたんだけど」

「ガラス作家さんってもしかして、沙奈瑚さん?」

「え?知ってるの?ガラス作家のSANAKOさん。やっぱり有名だもんね」

「というか…」

 ガラス作家としての認知はほとんどなく御影さんの義姉である御影沙奈湖としてしか知らないけれど。

「あ、来た来た」

 渚さんがこっちです、と手を振るとそれに気づいた彼女が軽く会釈をして近付いてきた。

 長い栗色の髪を後ろで緩く束ねたグレーのパンツスーツの女性。とてもその体で3児の母とは思えないほどのスタイルと美しさ。

「久しぶりね、瑳ちゃん。瑛くんも」

「はい。お久しぶりです」

「え?ふたりともSANAKOさんと知り合いなの?」

「うん。まぁね」

「えーどういう事~?」

「あ、渚ちゃん、旦那さんが探していたわよ」

「そうだった!杠葉さん、後でちゃんと説明してね」

 またね、と渚さんは手を振りドレスの裾に気を付けながら走って行った。

「あのウェルカムボード素敵でした」

「ありがとう、瑳ちゃん」

 沙奈瑚さんは私たちの真向かいに腰を下ろす。

「元気だった?」

「はい」

「沙奈瑚ちゃん、また仕事始めたんだね」

「そうなの。今も式場に飾る作品の事で打ち合わせがあったの。さすがに大きな工房は持てないから小さな窯で作れるサイズしかできないし、子どももまだ小さいからね。でもまたいつかガラス雑貨のお店をやりたいわ」

「そうだね。応援するよ」

「ありがとう瑛くん。家にも遊びに来てね」

「もちろんだよ。瑳ちゃんと一緒に行くよ」

「そうね。双子も瑳ちゃんと遊びたいって言っているから、ぜひ」

「はい、ありがとうございます」

 郁、颯ちゃんともあれから会っていないし、当時生まれたばかりだった妹のひなみちゃんとも会わずじまいだった。

「瑳ちゃんはいつまでいるの?」

「明後日には戻ります」

「そうなのね。…もう、怜とは会った?」

「え?い、いえ」

「連絡は?」

「いいえ、全く」

 ドキッとした。

 どうしてかわからないけれど、そわそわしてしまう。

「会っていけばいいのに」

「いえ、無理です…」

「怜も喜ぶわ」

「…会いたく、ありません」

 その原因がすぐにわかった。彼女が御影さんの名前を呼ぶ度に感じる違和感。

 この1年半でちゃんと忘れたはずなのに。

「もう嫌いになった?」

「違います…私まだ、自信がなくて。幸せいっぱいの御影さんに、心から笑って祝福の言葉を言えるのか」

「ふーん。そういうことね」

 沙奈瑚さんが納得したように頷いた時、

「あ、ごめんなさい。電話だわ」

 と、マナーモードのスマホを手に席を立った。

 そしてほんの数分で戻ってきた沙奈瑚さんは、浮かない表情だった。

「ごめんね、瑳ちゃん」

「いえ」

「瑛くん、ちょっといい?煉からの電話なんだけど…怜の事で」

「どうした?」

「もしかしたら今日になるかもしれないって…」

 沙奈瑚さんはその先を英先生に耳打ちすると、先生の眉間にシワが寄ったように見えた。

「そ、そうか…」

「御影さんが、どうかしたんですか?」

 話し終わり、沙奈瑚さんがイスに掛けるのをずっと目で追っていたけれど、彼女は私を見ようとはしない。

「沙奈瑚さん?先生?…何か、あったんですか?」

「えーっと…」

 英先生が軽く咳払いをした後に切り出す。

「瑳ちゃんが留学している間、僕からは怜の話しはしなかったよね。瑳ちゃんからもしてこなかったし、そのうち吹っ切れてくれると思っていたんだけど…違ったようだね」

「え?」

「…ねぇ瑳ちゃん私の話を落ち着いて聞いてくれる?」

 ふたりは神妙な面持ちで顔を見合せ、今度は沙奈瑚さんが重たそうな口を開いた。

「1年半前、怜が瑳ちゃんにした事が会社でも広まってしまって…怜は会社に迷惑は掛けられないとすぐに王手社をやめたわ。もちろん婚約も破棄になった」

「え?でもあれは、私のせいで…御影さんは何も悪くないのに」

「もちろんわかっているよ」

 英先生が変わって嗜めるように続ける。

「あれは怜が瑳ちゃんを守るために仕組んだことだってわかっていたよ。だからあいつの望み通り瑳ちゃんをコンパニオンから遠ざけるように僕も手を貸したし、留学も勧めた」

「そうだったんですか?」

「そう。あの後怜は自らすべてを捨てたんだよ」

「そんな…」

「だからね、瑳ちゃん。怜は今、あなたが思っているような幸せの中にはいないわ」

「怜は今、入院中なんだ」

「え?ど、どういう事ですか?」

「実は、車のもらい事故で…なぜか入院が長引いているとは思っていたけど、でもまさか…そんな…」

「え…それいつですか?そんなに重症なんですか?なんですぐに教えてくれないんですか?」

「そんないっぺんに聞かれてもな…すぐに言えなくてごめんね。瑳ちゃんの親友の結婚式前にとても言えなくて…」

「そうですよね、お気遣い感謝します」

 そういえばさっきの電話で、沙奈瑚さんは「今日になるかもしれない」って言っていたような。それってまさかよほど容態が悪いのでは?

「私たちはこれ以上何も言えないわ。直接怜に会って確かめて。強要するものでもないし、誰かのために決めるものでもない。…私もたくさん迷い、まわりを傷つけ後悔しながら生きてきた。…瑳ちゃんもたくさん迷っていいと思うけれど、でも後悔だけはしない様にしてほしいな」



 急に雨に降られ急いで拾ったタクシーを降りて、ヒールを鳴らしながら慌てて病院に駆け込む。

 受付で御影怜の病室を教えてもらい、病院内では人様の迷惑にならないよう走らず、なるべく早足で歩いた。

 距離的には大したことはないが、式場からヒールで走ってこようなんて無謀すぎた。突然の雨だったから少し濡れてしまったけれど、タクシーの中でもハンカチで拭いたし身なりもいちよう整えたから大丈夫。

 急く気持ちを抑え、しっかりと名前を確認してから病室に飛び込む。

「御影さん!」

 ベッドに向かって立つ人物を目にした瞬間、思わず背後から抱きついた。

「間に合って良かった!…どうして生き甲斐だった仕事やめちゃったんですか?」

「え?」

「これからは、私が御影さんの生き甲斐になりますから!だから死んじゃ嫌です」

「生き甲斐?死?」

「好きだから…私やっぱり、御影さんが大好きです」

「ほぉ。素敵な告白ありがとね。でも僕、結婚してるからなぁ」

「え?」 

 腕を離すと振り向いた別人。

「げ、煉さん!」

「げってことはないでしょー瑳ちゃん。あれ?雨?」

「あ、私濡れた服で…ごめんなさい」

「気にしないで」

「今回は病室も名前もちゃんと確認したのに」

「また怜のために走ってきたの?シンデレラさん」 

「え?あ…」

 言われて初めて足元がスースーすることを自覚した。膝丈のワンピースが、少し動いただけでやたらヒラヒラする。

「今、友達の結婚式で…」

「そっか。…少し遅かったよ、瑳ちゃん」

「え?御影さ…れ、怜さんはどこですか?」

「それがね…」

 ベッドをみると綺麗に片付いていて、煉さんが身の回りの片付けをしている最中だったようだ。

「うっ!うっ…」

 煉さんは突然両手で顔を被い、肩を震わせた。

「え?」

「僕の口からはなんとも…」

「煉、さん?」

「君にすごく会いたがっていたよ」

「え?うそ…」

「あぁ、良い奴だったよ怜は」

「そんな…」

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