31.霖雨りんう☆

 誰もいないはずの客間を開けると、信じられない光景に目を疑う。

「何を、している?」

 上ずった自分の声で、思ったより動揺していることを知る。

 俺は上谷と一緒に、コンパニオンの控え室でようやく見つけた英先生に原稿の催促をして来たところだった。

 蘭館から王手社へと続く渡り廊下の手前で、上谷が立ち止まった。何か変な声がするという彼に対し、疲れているせいか俺には全くわからず気のせいだと笑い飛ばした。

 しかしあまりにしつこいので仕方なく耳をすますと、普段あまり使われていないはずの客間から悲鳴のような声がして…今に至る。

「おい、何をしていると聞いているんだ」

 組みしいた女からパッと離れたふたりの男たちに再度強めに尋ねると、ビクッと驚いた様子で答える。

「お、俺たちは客だ」

「客?蘭館はデリヘルの出入りは禁止のはずだ」

「誘われたんだよ!その子に」

 その子、と指を差された瑳は、半身を起こし着物の衿を掻き合わせながら身を縮めた。

「ゆずちゃん!」

 後ろにいた上谷が俺を飛ばす勢いで割り込み、瑳に駆け寄る。

「大丈夫?」

 瑳の丸まった背を撫でる上谷を、彼女がゆっくりと見上げる。冷静さを取り戻そうとしているのか、上谷を細い声が何度か呼んでいる。

「ゆずちゃん、もう大丈夫だよ」

「上谷さん…み、かげさん」

 そして最後に、俺を呼んだ。助けを乞うような涙声を聞いた途端、胸の奥底からぶわっと湧き上がってきた怒り。

「出ていけ」

「え!お、俺たち加害者みたいになってるけど、本当に、」

「早くしろ」

「だから、」

「黙れッ!失せろ」

 男たちが走り去ってから、俺は、徐々に落ち着いてきた瑳にかける言葉をずっと探していた。けれど結局、

「奴らの顔は覚えた。訴えたければ協力しよう」

「え?」

「はぁ?御影さん!最初にかける言葉がそれですか?」

 巡らせてようやく出たものなのに、上谷に噛みつかれる。

「他に言うことないんですか!」

「上谷は黙ってろ。…ゆず、向こうは君が誘ったと言っていたが」

「御影さん!今はそんなことどうでもいいじゃないですか!」

「俺はゆずに聞いているんだ」

「酷すぎますよ!」

「上谷さん、いいんです」

 瑳が上谷をかばって、俺に向き直る。さっきまで震えていたようにも見えたが、涙もなければ怯えた様子もない。

「私が誘いました」

「へ?ゆ、ゆずちゃん?」

 上谷が驚いて声を出さなければ、きっと俺自身が頓狂な声を出していただろう。

「本当なんだな?」

「はい。…ピンクをやるなら悦ばせ方を学んだ方がいいと言われて」

「は?」

 思わず、笑ってしまった。何を言い出すかと思えば。

「君が男を悦ばせるだって?笑えるな…キスくらいで逃げ出すような奴が?」

「御影さん!そこまで言わなくても。どうせ令嬢さまに無理やりやらされたんでしょ?御影さんのためだとか言って」

「うるせーな上谷!」

 そんなことはわかっている。でもきっかけを作ったのは誰かなんて関係ない。肝心なのは本人の意志だ。

「…私、ちゃんとできます。もう逃げたりしません」

「へぇ、色々経験して成長したとでも言いたげだな」

 俺を見上げる彼女の瞳に強い意志を感じる。ただ単に張り合おうとして、思いつきで言っている訳じゃないとわかる。

 だからこそ、

「ゆず、もうバイトはやめろ、遊びじゃないんだぞ!ガキが」

「御影さん、酷すぎますって!ゆずちゃんが可哀想です!」

「上谷、お前は下がってろ」

「どうして俺だけ!」

「…いいから、ブルーローズの控え室に行ってミルクに状況を話して連れて来い」

 割り込んでくる上谷が煩わしかったからだけでなく、もうこの方法しかないと思った。

「え?でも、」 

「早くしろ」

 そして徐々に、今朝からの冷たい雨が強さを増していった。

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