30.願掛がんかけ☆
作家は細かく面倒な人が多い。昔から、大物は特に扱いにくい。
一度信頼を得れば情に厚く多少の無理は聞き入れていただける事が多いけれど、逆に少しでも綻びが生じれば上手くいかず、一気に関係が崩れ信頼を失う。
その事は俺自身、身をもって分かっている。
撫子の間の前で苛立ちを隠せないゆかりと、挙動不審な瑳、そして意外と冷静な自分。
厨房から乾杯用の焼酎と料理が運ばれてくるまでになんとかしなくてはならないのだが、
「ゆず、涼風先生の他社から出た最新作読んだか?」
「え?…はい。戦物はちょっと苦手ですが、さらっと読めてしまって。とても感動しました」
「だよな。…あの人の作品は逃したくない」
やはり涼風先生の新作は、自分で担当したかった。俺ならもっと面白くできたはずだ。
「そうですよね…すみません」
浮かない表情の瑳。
彼女はそそっかしくミスはよくするが、人一倍勉強熱心だし人の好みや会話の内容などしっかり記憶している方だから、今回の失態は彼女の単純なミスではないだろう。
「俺が何とかする」
「何とかって…」
「心配するな」
とは言ったものの、もうすでに先生のすぐ脇に用意してある酒をどうやってすり替えたらよいのだろうかと悩む。
早く乾杯の音頭をとりたくてうずうずしているであろう涼風先生に気付かれず、ごく自然に行われなくてはならない。
「御影さん…どうして涼風先生は、乾杯に焼酎なんでしょうか?」
「え?」
「今日は王手社と先生がこれからまた仕事をしていくという仲直りの会ですよね?なのに、なぜ乾杯が、日本酒ではないのかと」
「ちょっとゆず、何を言っているの?涼風先生は日本酒が苦手なのよ?」
「そうか」
唐突に何を言い出すのかと、最初はゆかりと同じ事を聞き返そうとしたけれど、
「それだ!…ゆず、助かった」
焼酎が届く前に、瑳と共に撫子の間に入る。お待たせしましたと頭を下げるなりすぐに、
「よし、それでは乾杯といこうか」
涼風先生はすぐにでも宴会を始めたいようだった。
声には出さないが、後ろで瑳が動揺しているのがわかる。解決策もなく強行突破をするように見えたのだろうか、彼女の緊張がこちらにも伝わってきそうだ。
「涼風先生、ひとつよろしいでしょうか?」
「なんだね、御影くん」
「申し訳ありませんが、これは…」
乾杯のために用意したのは日本酒だと告げると、先生は当然のように人の好みも知らんのか、と激怒する。
「もちろん承知しております。先生が最近は焼酎で乾杯するのがお好きだと聞いてはおりましたが、わたしは敢えて、日本酒をご用意させて頂きました」
「なんだって?」
今にも憤慨寸前の先生の顔が、更に険しくなる。
指示通り日本酒をお酌するよう合図をすると、躊躇しながら俺を見る彼女。大丈夫だから、と小さく頷くと瑳は恐る恐る従う。
そして狙い通りに事が運ぶ。
「ど、どういうつもりだね」
「先生、最新作のラストで仲間たちが命懸けの旅に立つ最後の夜。主人公は好きだった焼酎を断ち、敢えて苦手な日本酒で乾杯しましたよね?それは、何故ですか?」
「何を言っているんだ?…敢えて大好きな焼酎で乾杯をしないのは、生きて帰れる保証はない男たちだが、“再会がある”という希望の願掛けに決まっているだろう?」
「そこです!」
「は?」
「再会を果たせた時に好きな酒で乾杯をしたいと。…わたしも、涼風先生とこれっきりにされては困ります。ですから焼酎での乾杯は、また次回のために残させていただきたいのです。この日本酒は、これからもまた先生と仕事をさせて頂きたいという、願掛けの乾杯になればと」
「ほぉ」
先生の感嘆した声で、場の張り詰めた空気が一気に和む。
「ずいぶん粋な演出だな、御影くん。気に入ったよ…仕方ない、乗った」
そういって涼風先生は豪快に笑った。
「助かったよ、ゆず」
「いえ、元はと言えば私が勘違いをしてしまったからで…」
「そうですよ!怜さん甘やかさないで下さい」
控え室に戻るや否や淀んだ空気をまとった瑳に軽く声をかけたつもりが、ゆかりが割り込んできて更に彼女を追い詰める。
「失敗したって私やゆずは大して咎められないのよ?接待する側が一番被害を被るの」
「はい、すみません」
「まぁ、もういいだろ、ゆかり」
余計な口を挟んだがために瑳が怒られていると思うとなんだか気分も良くない。ピンチをチャンスに変え、せっかく大物の心を掴む事ができたのだから、今日はパーっと飲みたい気分なのに。台無しだ。
「良かったわね、ゆず。怜さんが寛大で。…じゃぁ今度はピンクでも頑張ってね」
「え?」
「おい、ピンクってまさか……どういうことだ、ゆかり」
「ピンクをやってみたいとゆずにお願いされたの」
「本当なのか、ゆず?」
「ち、違います!」
慌てた様子で否定する瑳。しかしもう俺に口を出す権利はない。
「いや…君がいいなら、構わない」
なんてあの時そんな風に突き放さず、しっかりと向き合い辞めさせていたならば、彼女はきっと傷付かずに済んでいただろうに。
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