17.回想かいそう☆

 週末になると馴染みのバーに入り浸るのが定番になった。

 手を切ったはずの遊び相手からの電話も、わがままな作家先生様たちからの呼び出しも、もう疲れた。

とにかくひとりになりたくて、何も考えずにいたいだけ。

 上谷に言ったらひとりがいいなら家で飲めばいいと言われそうだが、家にいたらいたで、仕事の事を考えずにはいられない。

 店内はあまり広くなく、薄暗く落ち着いた照明に程好いボリュームの音楽。客層はいつもバラバラだけれど、みんな俺と同じように癒しを求めているように感じる。

 若い頃はアットホームな雰囲気の居酒屋で仲間同士でガッツリ飲むのが好きだったけれど、最近はひとりバーの方が落ち着く。

 カウンターの隅で聞く洒落たジャズも他の客の会話や雑音も、ただのBGMとして勝手に流れていくので全く気にならずひとりの時間を楽しめる、はずだった。

 いつもなら。

「あれ?怜さん?…御影怜さん、ですよね?」

「え?」

 突然声をかけられる。薄い眼鏡をかけ長い髪を背中に流したパンツスーツ姿の女性。控えめの化粧で綺麗な顔立ちをしているが、知らない顔だ。

「待ち合わせですか?」

「いえ」

「私もひとりなんです。偶然ですねー。ご一緒してもよろしいですか?」 

「え、いや……はい」

 あれよあれよという間に、彼女は隣に座り勝手に話始める。

「怜さんなら相手に困らなそうなのに…いつもおひとりで来られるんですか?」

 なんて聞かれても、苦笑いしか返せない。

 確かに相手には困らない。話し相手が欲しいなら誰かを誘って居酒屋でも行っただろうし、今夜の相手が欲しいならこれから探す。

 ひとりで飲みたいからとわかって欲しいが…

「怜さんはバーが似合いますね」

 仕事関連で知り合った人の顔を忘れるわけがないし、ブルーローズの子でもない。

 一夜限りの相手の顔などはいちいち覚えていないけれど、そういう相手には本名は言わないし互いに踏み込んではならない境界線が暗黙ながらあるはずだ。

「申し訳ないのですが…どこかで?」

「え?私のこと忘れちゃったんですか?ひどいです」

 甘そうなカクテルを飲みながら、誘うように上目遣いで見つめてくる。

「怜さんは何を飲まれてるんですか」

「…ジントニック、ですけど」

「へぇカクテルお好きなんですか?」

「いえ、あまり得意では…」

 俺の質問の答えをもらう前に、また矢継ぎ早に質問が飛んできて、彼女の名を聞きそびれた。興味はないし適当にあしらっても良いが、万が一仕事関係だったら後々厄介なことになりかねないと思うと、いきなり邪険にはできない。

「ただ、ここのジントニックはいけますよ」

 何かに追われだた酔いつぶれたかった俺は甘いだけでアルコール度が低い酒なんかでどうやって酔えばいいのかとカクテルは避けてきたが、たまたまバーテンに勧められたジントニックにはまってしまった。

「最近、お見合いされたそうですね」

「え?」

 結構突っ込んだところまで知られているようなら、ますます無下にはできない。

「あーはい」

「今回もダメでした?」

「まぁ、そうなるでしょうね」

「またお断りするんですか?」

「いやいや、いつも断られる方です」

「…嘘ばっかり」

 すると、急に彼女の声のトーンが変わった。

「え?」

「まだ、気づいてくださらないんですか?」

 眼鏡を外してカウンターの上に置いた彼女の顔をマジと見る。ピンとは来ないが、なんとなく見覚えはある。

「王手ゆかりといいます」

「あ…」

「ひどい」

「すみません」

 彼女はつい先日の見合い相手だった。あの時は着物で髪もアップしていたし眼鏡もなくしっかり化粧をしていたからわからなかった。

「私お断りなんてしていません」

「あーお気になさらず断ってください。あなたも社長に無理やり参加させられたんでしょうから」

 彼女は王手社社長の娘。あれは社長と公私ともに親しい兄に強制参加させられた見合いだった。

「私は強制参加じゃありません。以前怜さんを社内でお見かけしてからずっと気になっていて…私から父に頼みました。でも怜さんの悪い噂も聞いていたので…」

 言葉を濁し、しばらくの沈黙の後、突然彼女が笑いだす。

「どうかしました?」

「イケメンなのにお見合い連敗中で、仕事第一のクールな方と聞いていたのでどんな変な人かと思っていたら…そういう事なんですね」

「はい?」

「ごめんなさい笑ったりして。でも感心してしまって…」

 眉をひそめたのがわかったのか、彼女は笑いを納めてから真顔で言う。

「見合いの席では、愛想よく相手や仲介者に不快感を与えずでも自ら歩み寄ろうとはしない。相手が歩み寄ったとしてものらりくらりとかわす。その場は綺麗に納まるけれど、相手の印象にはあまり残らないし、きっと私に興味がないのだと思わされる…自ら断らず、相手にそうするように仕向ける。お見合いなんてする気がない怜さんには誰も傷つけず、とても良い方法だと思います」

「……」

 頭の良い女性だと思った。社長のひとり娘だというから勝手に何も出来ないお嬢様かと思っていたのに。

「でも怜さんは、仕事のためなら何でもするという噂もあったから…正直、私とのお見合いはきっと良い話と思っていだだけるかと…」

「…すみません」

 面白い原稿をもらうためなら何でもするが、出世には興味がない。編集長を降りた今だからわかる。どの立場でもこの仕事が好きだと。

「でも私、お断りする気はありません」

「え?」

 彼女はバーテンに俺と同じものをと頼んだが、おそらくこのジントニックは癖が強くて飲めないだろうな、と思った。

「それはやめた方が…」

「はい?」

「あ、いえ」

 カクテルは無知なため基本がわからないが、この店のジントニックはジンとライムは強めで香りがまず良い。炭酸は控えめで代わりに苦味が強調されくせになる味だから、普段甘いカクテルに慣れている女性には合わないだろう。

 彼女がグラスに口をつける。むせたりするのではないかと盗み見ると、驚いたように一度グラスを見て目を見張る彼女。

 だから、言ったのに。

「…美味しい」

「え?」

「あ、私…お見合いで、カクテルが好きだなんて言いましたけど、本当は強いお酒ならなんでも好きです。どっちかというと甘いのはあまり。…このジントニック、すごく美味しいです」

「奇遇ですね。…俺もです」

 酔うためでなく、味や香りを楽しむようになったのなんて最近だけれど、どちらかといえば強い酒の方が好きだ。

「怜さん、私とお付き合いしていただけませんか?」

「え?」

「怜さんが結婚や出世に興味がないのはわかりました。でも、ますます怜さんを知りたくなりました。恋愛感情は抜きにして、私とお付き合いしたら、怜さんももうお見合いを勧められることはなくなりますし、仕事にも集中できるのではないですか?」

 なんとも冷静且つ論理的な思考だろう。ビジネスや恋愛において、相手のはらわたを探り合わなくてはならないような駆け引きなどは面倒なだけだ。だから彼女の申し出はシンプルでわかりやすく、潔いとも思う。けれど、

「それとも、忘れられない方でもいらっしゃるのですか?」

「いいえ、それはないです」

 以前、瑳にも聞かれたが、そんな人はいない。

 学生時代の色恋じゃあるまいし、瑳は自分よりかなり年上のおっさんにそんなふざけた質問をするなんて、恥ずかしくないのだろうか。

『誰かを好きになろうなんて思ってもいないくせに』

 そう言って、不毛な見合いを繰り返す俺を責めた彼女。

 あの日からその言葉が刺さっている。

 義姉沙奈瑚が好きだった事は本当にもう過去の話だけれど、兄たちを安心させるため、自分は前向きなんだとアピールするため、そんな浅はかな気持ちからの見合いだという事全てを見透かされた気がした。

「どうして幸せになろうとしないんですか」と、震えるように呟いた瑳は、きっと泣いていたんだろうと思う。

 泣きながら部屋を飛び出した彼女を俺は引き留められなかった。言葉の意味も聞けず引き留める方法も理由も見つけられないままに、女子高生をひとりで、しかも雨の夜道を帰すなんて。

「じゃぁ気になる人とか?」

「ですから、そんなものは…」

「では今、誰を思い浮かべたんですか?」

 彼女の鋭い問いに、俺はただ苦笑するしかなかった。

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