2.再会さいかい

 バイトの事は学校にも家族にも話していない。話したところで許されるものでもないし、たぶん普段の私を知っている人からすれば、コンパニオンをしている私などとても信じられないだろう。

杠葉ゆずりはさん?」

「あ、はい」

 顔馴染みの看護師に声をかけられ現実に引き戻される。

「お母さん、検査終わったからもう病室で休まれているからね」

「ありがとうございました」

 4階の西病棟。エレベーター脇の広場から外を眺め時間を潰していた私は、早足で病室に向かう。

「お母さん…大丈夫?」

「あら、さなちゃんごめんね。また、階段踏み外しちゃった」

 病室に入ると半身だけを起こした状態の母がえへへ、と笑ってみせた。

 半年前も自宅の玄関で転び腕を骨折したばかりだと言うのに。今度は腰もやったらしく、しばらくは絶対安静だ。

「もうびっくりしたよー」

「ごめんね。たまたま紘志こうしがいてくれたからすぐ救急車呼んでくれて」

「そっか。良かった」

 母は、おっちょこちょいの上に弱視だ。年々悪くなっているのかここ最近ケガばかりしている。きっと私が苦労させてしまっているから。

 そして、コンコン、とノックのあとに、兄が顔を出した。

 あまり会いたくなかったのに。

「必要なもの持ってきたから」

「ごめんね紘志。せっかく仕事お休みだったのに」

「いいんだよ」

「あ、瑳もいたのか」

「うん」

 さっきからわかっていただろうに、わざとらしく付け加えなくても。

「私、もう帰るところだから」

「そうか。彩加あやかも先週から産休に入って家にいるし、母さんのことは心配しなくて良いからな」

「うん。…お願いします」

 なるべく普通にしながら、けれど早足で逃げるように病室を出ると、

「おい、待てよ」

 すぐに兄が追いかけてきた。

「なに?」

「母さんがお前がバイト始めたって‥心配してたぞ。学校の方は大丈夫なんだろうな?」

「うん」

 だから会いたくなかったのに。

「順位を落とすようなことがあればすぐに辞めさせるし、アパートも引き払ってもらうからな」

「わかってますよ」

「ならいいが、ちゃんとしたバイトなんだろうな?」

「もちろんだよ。…本屋さんだし」

「本当か?まぁ母さんに迷惑をかけなければいいが。…じゃぁな」

「……それだけのために呼び止めないでよ」

 もうすでに遠退いている背に向かって呟いたところで、私の声など届いていないだろう。

 そんな口うるさく厳しい兄も、優しい母も私と血の繋がりはない。私は幼い頃施設で育ち、杠葉家に貰われてきたらしい。

 それを知ったのは父が亡くなった時だったが、たいして驚きもしなかった。

 兄は昔から優秀でしっかりもので、数年前亡くなった父と同じ弁護士になった。父親がわりで頼もしい兄とは似ても似つかず、ずっと違和感があったから。何をやってもダメな私は良い子でいることしかできないから。

「はぁー」 

 思わず大きなため息がもれた時、

「本屋でバイトしてたとは知らなかったな…」

 香気と共に、突然背後から声がする。

「え?な、なんですか?」

 振り返ると、小バカにしたような不適の笑みを浮かべた男が立っていた。

「あ…えっと…」

 この間いきなり説教してきた上谷さんの先輩、長身スーツ。この爽やかな匂いは間違いない。

 あの時は若く見えたけれど、昼間初めて見たせいか、疲れ気味なのか、30代後半くらいに見える。少し影のあるイケメン中年という感じ。

「あのバイトを続ける気なら、人の名前くらい一度で覚えた方がいだろ、新人コンパニオンのゆずさん」

「すみません」

 顔はいいのに、腹が立つ言い方。

「俺は御影」

「私は…杠葉っていいます」

「それより君の兄さんって…弁護士?」

「そうですけど…どうしてわかったんですか?」

「バッジ」

「あ…あの、バイトのこと兄には言わないでください。お願いします」

「兄さんの前では良い子なんだな。バレたくないのなら、なぜあのバイトを?」

「……学費や母の入院費のために」

「弁護士の兄がいるのに?」

「そ、そうですけど…私も、何かしたくて」

「そうか。でもバイトをやるならやるで覚悟がいる」

「はい」

「君がどうなろうとどうでもいいが、俺の仕事を邪魔するようなら、即やめてもらうからな」

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