八話 本家

◇2019年 8月11日日曜日 東京都新宿区 霧崎本邸 9時頃

 氷華達は霧崎の本家に来ていた。


「ねえ、氷華ちゃん」

「何ですか?」

「なんか私達避けられてない?」


 さっきからすれ違うたびに人が恐怖の表情を浮かべ道を譲るのだ。しかし、少なくとも琴音には何か怖がられるようなことをした記憶は無い。


「それは私達が避けられているのではなく、主に私が避けられているだけですからご安心を」

「氷華ちゃん何したの……」

「まあ色々と」


 氷華の方も嫌いなのでお互い様ではあるが。

 三人の近くに黒いスーツを着て眼鏡をかけた二十代後半の男が近づいてきた。名前は霧崎司と言い、分家の人間で当主付き秘書の様な事をやっている。


「わざわざお越しくださって有難うございます。お嬢様」

「こちらこそわざわざご丁寧にお出迎えしてくださり恐縮です、司さん」

「「怖⁉」」


 氷華と司は挨拶を交わす。両者とも言葉遣いこそ丁寧だが、司は嫌味たっぷりに、氷華はいつもより数段冷酷な声で話しているので、後ろの二人としては気が気でない。


「いえいえ、ご当主様に命じられたことですから。……おや、そちらの方は?」

「私の弟子ですが何か?」

「……そうですか、くれぐれもろくでもない事をさせないようにして頂きたい」

「ご心配なく、何か起きた場合私が責任を取ります」


 優斗は警戒されているらしい。仮想敵扱いの人間がのこのこやってきたので当然の反応だろう。


「ではごゆっくりどうぞ」

「あいにくですが要件が済んだらすぐに帰らせていただきます。では後程」


 そう言って氷華達は屋敷の奥へ向かう。


「ねえ、ずいぶんと険悪な感じだったけど大丈夫なの?」

「いつも通りですから安心してください。私は嫌われ者ですからね。今回は優斗さんが居るというのもあるのでしょうが」

「……やっぱり来ない方が良かったかな」


 迷惑はかけないつもりだったが、存在自体が迷惑だったかもしれない。


「気にしなくて良いですよ。いずれにせよ険悪になりますから。ただ二人とも可能な限り私の近くに居て下さい。揉め事が起きるかもしれません」


 琴音にはろくでもないことを考えた大人がすり寄ってくる可能性がある。こちらは断れば良いだけなのでまだいいが、優斗の方は最悪殺し合いになりかねない。


「やあ氷華、よく来たね」

「……わざわざ招待して頂き有難うございます。氷牙さん」


 気持ち悪い猫撫で声で話しかけてきた黒髪の男に、氷華は今日一番嫌そうに対応する。その相手が実の兄なのだから霧崎の家庭事情は複雑だ。


「最近高校はどうだい?」

「学校? ……ああ、貴方に無理やり行くことにさせられた結果、私の時間を食いつぶすことになった施設の事ですか。どうと言われても、常に魔術の事しか考えていませんから答えようが無いですね」

「いやそんなこと言うなよー、学生時代に楽しんでおかないと損だぞ」

「そんなことを貴方にどうこう言われる筋合いは有りません」


 そもそも氷華には人生を楽しむ資格など無い。客観的に見た時どう思われるかはともかく、本人は本気でそう思っている。


「実の兄妹なんだしそんなこと言うなよ。照れ隠し?」

「はぁ? 初めて会ったのが中学に上がる直前なのに兄妹とか言われても困ります。ついでに言うと母親も違いますし」


 彼らが初めて会ったのは、氷華が小学校六年生の時のことだ。父親の葬儀で初めて上京した時紹介された。この時まで兄が存在する事すら知らなかった。


「氷牙君、司君が呼んでるよ」

「そうか、行かないとな。じゃあまたな、氷華」

「もう会いたく無いです」


 去っていく氷牙と入れ違いに、六十歳前後の男性がやってきた。


「久しぶり、お父さん」

「お久しぶりです、悟さん。助かりました。あと少し遅ければ彼の動体が真っ二つになっていましたから」

「助かったのそっちなのね……」


 彼の名は雲宮悟(さとる)、琴音の父で、氷華の恩人だ。心なしか氷華の喋り方が穏やかになっていた。


「二人とも久しぶりだね。わざわざ来てもらったのに不快な思いをさせて申し訳ない」

「いや別にいいよ、さっきから氷華ちゃんばっかり絡まれてて、私には何もないし」

「私は良くないのですが……まあ慣れていますけど」


 司の嫌味や、氷牙の気持ち悪さにももう慣れた。しかし、慣れたとしても嫌いなものは嫌いなのだ。


「それにしても氷牙さんは相変わらずですね。あの自己評価の高さは何とかならないのでしょうか?」


 氷牙は自分が優れた人間であり、周りから好かれていると思い込んでいる。自分に都合のいいようにしか物事を考えられないともいう。実際には全て平凡で、周りの人からは無能で御しやすいトップとしか思われていない。


「氷華ちゃんには悪いけど、あれはあれでトップとしては便利なんだよ。適当におだててれば言う事を聞くし。まあ僕や司君の仕事が増えるんだけどね」

「お父さん相変わらず忙しいの?」

「ああ、何せ年長者が少ないからね」


 諸事情で霧崎一門の上の年代の人は少ない。各機関との交渉等を若者がやるのは流石に無理があるので、数少ない年長者である悟の仕事は多い。


「そういえば、琴音の魔術の進捗はどうなってる?」

「とりあえず基礎知識は終わりました。今は実践の練習中です」

「なんかそれ出来る気がしなくなってきたんだよね……氷華ちゃんの言う通りにしても全然出来ないし」

「それは恐らく私が教えるの下手なだけですね。正直に言って何故出来ないのか分かりませんから」

「そもそも雲宮は最近始めたばっかりなんだろ。僕は三か月ぐらいかかったし焦る必要は無いぞ」


 個人差は有るが基本的に上手くできるようになるまでには数か月かかる。そのため、まだ二週間も経ってないのに焦るのは早すぎる。


「そうかもしれないけど、自分だけ出来ないのは寂しいじゃん。それに前に進めないのは辛いよ」

「そんなことを言われましても……まあ気長に頑張りましょう。時間はたくさん有りますから」

「良かった、二人とも楽しそうだ」


 楽しそうに話す氷華と琴音を見て、悟は微笑む。かつての氷華を知っている身としては、友人と楽しそうにしているのを見ると安心できる。ずっと真顔なのが気になるが。


「さて、そろそろ始まる時間ですから行きましょうか」


◇◇◇ 夕方17時頃

「はあー疲れた」

「やはり琴音さんは来ない方が良かったかもしれませんね」

「どこもそう変わらないんだな」


 一日目が終了した時、琴音は疲れ切っていた。ひたすら難しい魔術の話や、醜い大人たちの権力争いを見せられたせいだ。他の二人も疲れてはいるが、琴音と違い慣れている。


「ごめんね琴音。ただ僕も歳だからね、まだ現役で守れるうちに慣れて置いて欲しかったんだ」

「ああ、何故見習いの琴音さんを呼んだのかと思っていたのですが、そういう事でしたか。ではまた明日」

「ああそうだ、明日もあるんだった……」


 三人は悟と別れ、屋敷の外に出る。琴音は絶望した顔を浮かべているので、先に帰らせた方が良いかもしれない。正直に言えば氷華も帰りたいと思っているが。

 三人が門から出た時、氷華と優斗は屋敷の中を窺っている人影があることに気が付いた。


「どちら様です?」


 二人は服を戦闘用に入れ替えて声を掛ける。霧崎の本家の様子を探っていたのなら十中八九魔術師だ。もっとも、隠れているつもりでだけで、簡単に見つけられたのでスパイの類では無いだろうが。


『うわー、一番敵に回すと不味い人に見つかってしまいましたね』


 そこに居たのは二人のヨーロッパ系の人間だった。一人は眼鏡をかけ、研究者然とした青年だ。おそらく、年齢は氷華達より少し上だろう。もう一人は、金糸のようなプラチナブロンドの髪と、サファイアのような美しい碧眼を持つ、美しく可愛らしい十歳前後の少女だ。


「え、少女誘拐⁉ ロリコン⁉ 警察呼んだ方が良いんじゃない⁉」


 なんか琴音がとんでもなく的外れなこと言いだした。


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