四話 魔術師の懐事情

 キッチンで昼食の準備をしていた琴音に、優斗が話しかける。ちなみに彼は既に洋服に着替えている。さっきまで着ていた羽織と袴は戦闘用の礼装で、流石に常に和服という訳では無いらしい。


「宿代代わりに料理やろうか? 和食なら得意だけど」

「私がやるから大丈夫。私の方こそ家事止めたら授業料払えないもん」

「家事を代わりにやるのが授業料の代わりとかそういう事?」

「うん、氷華ちゃんって魔術以外の事に関しては極度のめんどくさがりだからね。料理以外はやれば出来るのにやらないのはどうかと思うんだよねー。何故か髪の手入れだけはめっちゃ丁寧だし」

「それは魔術師にとって女性の、特に魔術師がきちんと手入れした髪の毛は物凄く優れた素材だからだろ……ん? 氷華って料理出来ないの?」

「うん、会ったばかりの頃に食べたけど酷かったよ。あんなの食べてたら将来高血圧確定だね」


 琴音は冗談めかして言っているが、優斗は疑問に思っていた。魔術師は手先の器用さや、頭の良さが必要なので、料理も問題なく出来る筈なのだ。創作料理を作り出すとかならともかく、普通にレシピ通り作るなら完璧に出来なればおかしい。

 それともおかしなアレンジをしようとして失敗したのだろうか。創作ではよくある話だが、氷華はそこまで馬鹿では無いだろう。するとそもそも味覚がおかしいのかもしれない。


「あ、そういえば学校はどうするの? 高校ならまだしも義務教育はちゃんと受けた方が良いと思うよ」


 魔術師も高校は出ておくべきという風潮が有る。今の時代最低でも高校ぐらい出ていないと仕事が無いからだ。琴音は表の仕事もしなくてはならないので高校に行っている。ちなみに氷華は遺産だけで一生暮らせるので本当は行く必要もないし、本人も行きたくないのだが、本家がうるさいので仕方が無く行っている。

 だが、高校は別に強制ではない。制度上も能力的にも行かなくても問題は・・・無い。しかし、中学校を出ていないのは流石に不味い。魔術師は表の社会の法を守らなくてもなんとかなるが、それはそれとして中学程度の学力と社会経験が無いのは問題だ。

 だが、それを言われた優斗は困惑していた。


「……僕この前の誕生日で17なんだけど」

「え⁉ ごめんてっきり中学生かと……」

「ごめんなさい、中学三年生男子の平均身長が約165㎝、優斗さんは目測で162㎝しかない上に童顔なので、私も中学生だと思っていました」


 いつの間にかダイニングに入って来た氷華がそういう。優斗にとっては駄目押しをされたようなものだが、慣れているのでそこまで気にしていなかった。

 落ち着いた状態で改めて見ると、氷華は本当にとんでもない美少女だった。

 腰まである濡烏色の長い髪と、吸い込まれる様な漆黒の瞳を持ち、顔は良くできた人形のように整っている。平均より大きな形の良い胸を持ちつつも、大きすぎて不格好という事も無い。瞳には人口魔眼の印である魔法陣が浮かんでおり、神秘的な雰囲気を醸し出している。そのせいも有って現実離れした印象が有る。

 琴音もかなりの美少女と言えるが、それでも氷華の前では霞んでしまう。優斗の主観だが、テレビで見る芸能人にも彼女以上は居ないだろう。

 青いリボンが付いた白い長袖のブラウスと、水色のロングスカートというシンプルな服装だが、それが彼女の美しさを一層際立たせていた。真夏なのだから半袖を斬るべきじゃないのかとは思うが。最初に会った時もそうだったし、琴音ですら肌を露出させた所を見たことが無いらしい。


「私の顔に何か付いています?」

「ああ、悪いちょっとぼーっとしてた」

「そうですか、それで学校の話ですよね。個人的には行って置くか、せめて大検を受けておくべきだと思いますよ」

「いや、正論かもしれないけど嫌々行ってる氷華ちゃんが言う事じゃないでしょ。自分は中卒で十分とか言ってたくせに」


 いくら制度上は問題ないとは言っても今の時代中卒では仕事はほぼ無いと言っていい。魔術に限らず研究にはお金が必要なので、魔術師には安定した高収入が必要不可欠なのである。経歴を改ざんするという手も有るが、割と広い範囲で精神操作や記録の捏造を行う必要が有るのでかなり大変だ。

 中卒で起業したなんて話も有るが、魔術師の本業は魔術であり、表の仕事に時間を取られ過ぎる訳には行かない。それなら普通に学校を卒業して働いた方がマシである。

 中には魔術を使って直接、または間接的にお金を稼ぐ人も居るが、余程の権力と地位が無い限り経済を乱したとして政府に潰される。魔術師を通常の方法で取り締まるのは困難だが、どこの国も対魔術師用組織の一つや二つは存在するのだ。ちなみにここで働くのが魔術師にとっての大きな資金源だったりする。


「私は一生お金には困りませんが、優斗さんはそうではないでしょう?」

「ああ……確かお父さんの遺産が100億近く有るんだっけ?」


 大きな魔術師の家は資産家であることが多い。というより資産家だからこそ魔術の研究に時間と金をつぎ込めると考えるべきだろう。

 氷華の生家である霧崎家は日本最大の魔道の名門であり、当然資産額もかなりのものである。バブル崩壊のタイミングを占術で読み、ギリギリで手を引いた事でかなり資産を増やしたらしい。霧崎の現当主は氷華の上の兄であり、彼女は分家の創始者と言う事になるが、彼女の父が死んだとき諸事情で遺産が法定相続通り1/3ずつ分配されたのだった。地方都市とは言え広大な敷地を持つ広い洋館を持っている事からも彼女の資金力が伺える。

 優斗の雨木家も歴史は有るのでかなりの資産が有る筈だ。琴音の雲宮家は霧崎の弟子の家でしかなく大した資産は無いが、それでも年に数百万程度の収入は有る。


「ええ、さらに言えば時々超対課の手に負えなくなった案件が回ってきて、その報酬も有りますからね。今のところ資産運用と合わせて順調に増えていますよ」


 超対課とは警察庁警備局超自然現象対策課の略称で、日本における公的魔術機関だ。魔術師による社会への影響が看過できないレベルの犯罪の取り締まりや、国外からの魔術攻撃への対策を行っている。人手不足なので霧崎家に金を払って協力を要請する事が多い。それでもどうしようもなくなると氷華にお鉢が回ってくる。


「優斗さんは実家とは完全に絶縁したようなものでしょうから、資産零から自分で収入を確保しなくてはならないでしょう。魔術師なら超対課はかなり割のいい職場ですが、あそこは警察なので警察学校を卒業しなくては入れませんからね。警察学校は最低でも高校は出ていないとは入れませんから。警察庁なのに国家公務員試験を受けなくていいだけマシですが。まあどうするから貴方の自由ですが。最長で十年は私が生活費や学費は出すので、せめて高校には行くか大検は取ってください」

「金さえあれば行く予定だったから、出してくれるなら遠慮なく使わせてもらうよ。ありがとう、助かる」


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