Which Walking

エリー.ファー

Which Walking

 ひっそりとただひたすらに歩いている真夜中が、私を変えてくれる。

 いつか、人間に戻るのか、魔女に戻るのか。

 この真夜中の散歩が教えてくれる。

 人間として生まれたのに、それが嫌で、家を飛び出し魔女になって、早六年。

 間もなく、私は真夜中に選別されようとしていた。

 魔女のまま生きていくことは、決して望ましいことではない。確かに、人間のように簡単に死ぬことはないかもしれない。しかし、死を運んでくる要素は身の回りに数限りなく増えてしまうし、それを避けることもできない。

 人間よりは確かに丈夫だろう。

 ただし。

 早死にする確率は格段に高くなる。

 結局平均をとれば、人間と魔女の寿命は同じくらいなのだそうだ。

 私はそんな事実を知りながら、今日も真夜中を歩く。

 魔女をいつも見てきた真夜中は、自分の中を歩く魔女に、今後も魔女としてやっていく適性があるかどうかを見抜くことができる。というか、魔女たちは任せてしまっている、という方が正しい。

 余り、責任を取りたくない、というのが一番正しいのだろう。

 私でさえ、誰かの今後の生き方など決めたくもない。

 魔女という生き物の社会性というのは、非常に乏しい。というのは、やはりなんでも魔法でできてしまう所にあるのだと思う。

 考えれば考えるほど、それは魔女自体が生き物としてのパーツを失っているということであり、より、空想の存在に近づいているという事なのだろう。

 魔女の間でも、自分以外に魔女がいたとおもわなかった、という者も増えている。

 魔女であるという自覚もない者も多い。

 これは魔女の数が今後減っていくことを暗示しているのだと思う。真夜中というシステムもそうである。

 魔女の社会性の欠落を、魔女間で補うのではなく外部からのギミックで補助とした。そして、気が付けば真夜中なしでは何もできなくなっていた。

 魔女の話であるからしてそこに、何か意味を見出す意味もないのだが、この考え方は文化というものに呪われた種族であれば当たり前のようにあることではないのだろうか。

 何故、それを崇めているのか、何故、それを信用しているのか。

 分解してもその中身が一切分からないような状態が続き、そのことについて触れる訳でもない。

 意味などないのだ。

 おそらく。

 考え方を精査するであるとか、そのような当然の行為を放棄した結果なのだと思う。

 魔術よりも、魔物よりも、呪いよりも。

 思考を放棄させようとする文化。

 いや。

 社会の仕組みが最も怖い。

 最も怖いと思わぬように、甘美な言葉で飾る手段と方法を備えた者が最も怖い。

 恐れるべき対象を恐れず、本来の自分の生き方すら見失うきっかけを抱えてしまっていることに気が付かない、その行く末を消してしまいたくなる。

 自分にしても。

 相手にしても。

 生きていてはもったいない。

 捨て去ってしまえばいいと本気で思う。

 抱え続けていることに意味など全くないが。

 抱え続けられないことをまるで重要項のように崇める行為も心底気持ち悪いし、恐ろしい。

 正しい恐怖が欲しい。

 真夜中のような、斑のない恐怖が欲しい。

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