三章一話 空に一番近い場所で(一)
ある日の夜、ベッドでごろごろ漫画を読んでいたら村山くんから電話がかかってきた。いつもメッセージでやりとりをするだけに電話は珍しかった。
『こんばんは。市原さん』
「もしもし。電話だなんて珍しいね」
『そうですね。いつもメッセージでやりとりしていますから……いま大丈夫ですか?』
「大丈夫だよ。ベッドでごろごろ漫画読んでた」
『ベッドで……』
「んー、もしかしてやらしい想像した?」
『滅相もないです! 俺、なんか変なこと言いました?』どうやら無意識だったらしい。
意地悪しても可哀想なのでさっそく用件を聞くことにした。「今夜はなんの用?」
『それなんですけど……今週末、なにか予定とか入っていますか?』
「土曜? それとも日曜?」
『どちらでも結構です』
「ちょっと待ってね」カレンダーを確認した。特にこれといった予定はなかった。「うん。土曜も日曜も空いてる」
『そうですか』ほっと息をついたのが電話越しでも分かった。
「もしかして、デートのお誘いかな?」
――あ、いや、はい……そうです。私はこんな初々しい反応を期待していた。
ところが彼は予想に反してノータイムで『はい』と返してきた。「おとと」私がずっこけた。
『打ち上げのとき「今度は二人で遊びに行こう」って言ってくれたじゃないですか。こういうのはあまり日を空けないほうがいいかと。思い立ったが吉日です、はい』
ふとカレンダーを見た。偶然か今日は大安だった。
『で、どうでしょう? よければ今週末お付き合い頂けないでしょうか?』
「もともと私が言ったことだし、デ、遊びに行くのは全然構わないよ。ただ、ちょっと気になることが」
『なんでしょう?』声が硬くなった。なんだかくすぐったいな。
「今日の村山くん、別人みたいだね」
くすっと笑うと、村山くんは黙り込んだ。
少し間を置いてから、『……これでも、緊張しているんですよ』と言った。
「うん。そんな気がしてた」ずーっと声が硬いもん。
『気持ちをしっかり引き締めとかないと誘い文句の一つも口に出来ないような男ですから。もし気に障ったなら謝ります。ただ、俺がいま、物凄く緊張していることをご理解頂けると助かります』
胸を押さえながら正座をしている村山くん。そんなイメージが浮かんだ。きっと真剣な顔をしているんだろうな。別に告白をするわけでもないのに。
私を遊びに誘うだけで……。
彼の真面目さと誠実さが嬉しい。不器用ささえ胸をくすぐる。
私は、枕をぎゅーっと抱き締めた。
「じゃあ、どこに行こっか?」
『ということはオーケーですか?』
「うん。オーケーオーケー。村山くんは、どこか行きたいところある?」
『えっとですね』声が柔らかくなった。『遊園地はどうでしょう?』
「遊園地? 意外なチョイスだね」
『これでも市原さんを誘うに当たって色々と考えてみたんですよ。まず大鳥島デパート。しかし、俺も市原さんもどちらかと言えば物欲がないほうなので、これは無闇矢鱈に歩き回ってただ疲れるだけだろうと却下。プランツー映画。初デートの定番としてよく挙げられますが、これはあくまで二人の好みが近い場合に限られます。残念なことに俺と市原さんは映画の好みが北海道と沖縄ぐらい離れているので一緒に映画を観てもおそらく楽しめないでしょう。なので映画も却下です』
なるほど。それでいつぞや映画の話をしたのか。
――市原さんはどんな映画が好きですか?
――どうしたの急に?
――ちょっと気になったもので。
――うーん、そだね。私は頭空っぽにして観られるのがいいかなぁ。アクションとか。難しいやつはあまり分からないし、途中で眠くなっちゃう。
――そうですか(彼はひどく残念そうな顔をしていた)。
ちなみに彼の好みはこてこての社会派ドラマらしい。そりゃあ合わないよね、と笑ったのを覚えている。
『高校生っぽくないチョイスかもしれませんが、ここは一つ童心に返って心ゆくまで遊びませんか?』
「ほうほうほう。なかなかいい提案だね。私もせっかくならわーっと遊びたいし……お主ジェットコースターとか絶叫系はいける口かね?」
『どうでしょう。小学生の頃の記憶なんてあまり当てにならないでしょうし』
「よし! ならジェットコースターとフリーフォールは絶対乗ろう! 私、絶叫系大好きだから! 村山くんが『勘弁してください!』ってびびっても引きずっていくからね」
『誘った手前、俺も腹を括りますけど、当日はどうかお手柔らかにお願いします』
「無・理」
『ですよね。……ただ、俺も最後の観覧車だけは譲れませんよ』
「はは。譲れないんだ」
『はい。ぶっちゃけた話、市原さんと観覧車に乗るのを目的に今回誘いました』
「正直だな、おい!」
『観覧車から見下ろす夜景はきっと素晴らしいですよ!』
どうどうどう。そう興奮しなさんなって。てか夜乗るんだ。
「前々から思ってたけど、村山くんって結構ロマンチストだよね」
『否定しません』
「しないのか!」まったく。この人は一から十まで正直だ。
『乗るのは日が暮れてからですよ。明るいうちは雰囲気が出ないので駄目です』
「分かったって! 必死だな!」雰囲気ってなんだ?
かくして私達の初デート(?)は遊園地に決まった。
日曜日はあっという間にやって来た。
待ち合わせ場所には約束の十分前に到着した。
私にしては珍しく早めに着いたというのに、やっぱり村山くんのほうが先に来ていた。
彼は遊園地の入場ゲートにもたれながら文庫本を読んでいた。
「お待たせ。待った?」
「あ、どうも。俺もいま来たばかりですよ」彼はさり気ない手つきで本をバッグに仕舞った。「いつ来たの?」なんて訊くのも野暮ってもんか。私だって約束の時間に間に合ったわけだし。
「市原さん」
「ん?」
「か、可愛い服装ですね」
「あ、ありがと……」
遊園地で思いきり遊ぶ以上、スカートはまず止めておいた。なにかの拍子に下着が見えても嫌だし。変に気合い入れていくのも、ね?(鏡の前で何時間も色んな服を合わせていたのは誰だっけ?)。
なので、服装は無難にまとめておいた。
薄いピンクのセーター。よれよれじゃないジーンズ。アクセサリーなんてお洒落なものはない。以上。無難というか素っ気ないかも?
村山くんも村山くんでシンプルだった。黒のショートコートに黒ジーンズ。黒尽くしだ。
「お互い、らしいっちゃらしい格好かもね」
「そうですね。俺も結局シンプルにしました。あ、市原さんはもちろんシンプルでも素敵ですよ」
「いちいち言わなくていいって!(照れるから)――ほら、行こうよ」
「そうですね。今日は一日楽しみましょう」
「うん!」
日曜日の空は晴れ渡っていた。
「まずはやっぱり定番のジェットコースターからだよね!」
「定番なんですか?」
「いやー、最近のジェットコースターは凄いねぇ。ぐねぐね曲がりくねったり、くるくる回ったり、おーおー、いい悲鳴が聞こえてくるねぇ」
――きゃぁぁぁぁぁ!
村山くんは、口を半開きにしてジェットコースターを見上げていた。
「スピードもいい感じ……おや、もう怖気づいてる?」
彼は「いえ」と軽く首を振った。「あれ、時速何キロぐらいで走っているんでしょうかね?」
「さぁ?」ぷぷっと笑いそうになる。澄ましているけど絶対びびってるよ、村山くん。
「それじゃ……行きます?」
「もちろん! きっと新世界が待ってるよ!」
「市原さんが楽しそうでなによりです」
これからもっと楽しくなるさ!
――十分後――
「うぅ……」
ジェットコースターから降りたとき、足元がふらついていたのは私のほうだった。
「おととっ!」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫」咄嗟に柵を掴んでいた。
昨今のジェットコースターがこんなにも進化しているとは思わなかった。
ちょっとベンチで一休みしながら、
「村山くんは平気だったの?」そう訊ねる私のお腹は、まだぐるぐる回っている。
「いまのところ問題ないですね」予想外なことに村山くんはぴんぴんしていた。
強がりを言っているようでもなかった。それどころか「あれは素晴らしい乗り物ですね!」と目を輝かせていた。
「超高速のツイスト! 回転も強烈! みなさんの悲鳴もアトラクションを引き立てていましたし、なんといってもあれです! 頂上までゆーっくりゆーっくり時間をかけて……いきなりズドン! いまでも心臓ばくばくですよ!」
身振り手振りでさっきからこの調子だ。ジェットコースターのなにが村山くんをこんなに惹きつけたんだろう?
「非日常でしょうね」彼は言った。
「非日常?」またわけの分からないことを言い出したぞ。私は緑茶を一口含んだ。
「はい。日常にいながら非日常の世界を楽しめる。これこそジェットコースターの醍醐味じゃないでしょうか?」
「はぁ」
「時速百二十キロの世界を生身で味わえるんですからね。そのスピードを保ちつつカーブしたり逆さになったり、こんな体験まず出来ないですよ!」
「だね。私達がいくら全速力で走ったところで百二十キロなんてスピードは出ないだろうし。それじゃSFだ」
「はい。そこまで行ったらSFの領域ですけど、しかしですね、ジェットコースターに乗るということは、そのSFちっくな世界の末端に触れるということなんですよ? これは凄いことです。千五百円ぽっちのフリーパスでこれらが乗り放題なんですよ!」
「はいはいはい。言われなくても分かってるよ。ジェットコースターよっぽど気に入ったみたいだね」
「この感動を竜太郎や三蔵に伝えたいぐらいです。いますぐにでも」
「いや、それは迷惑だと思うよ。せっかくの日曜に男友達から『ジェットコースター最高!』なんて電話がかかってきても」
「そうですかね。……それより気分はどうですか? よくなったようでしたら――」
私は勢いよく立ち上がった。「いまのは久々だったから体がびっくりしただけ。もう適応した。もうばっちり! こっからは喉が枯れるぐらい叫ぶよ! 遅れを取らないでね、村山くん」
「もちろんです。次はフリーフォールなるものに乗りましょう! 向こうみたいですね」
村山くんは、私の手を引いて走り出した。
めくるめく景色――お父さんの肩車ではしゃいでいる男の子。お母さんも楽しそう。ソフトクリームを食べているカップルは幸せそうだ。鳥のマスコットは……あまり可愛くない。
彼と初めて手を繋いだ。
困ったことに私はドキドキしていた。そして悔しいことにドキドキしているのは私だけだった。
村山くんはすっかり絶叫マシンの虜になっていたから。
――モグラ叩き――
「村山くん、相変わらず鈍いねぇ」
「こいつら、すばしっこくて、なかなか、当たら、あ、くそ!」
「あはは。全部空振りしてるよ」
「……参ったな。コツとかないですかね?」
「コツ? そだね。モグラを嫌いな奴だと思って叩けばいけるんじゃない?」
冗談で言ったつもりが村山くんは「なるほど」と真に受けていた。
「貴重なアドバイスを頂いたので、もういちゲームやってみます」
彼はハイスコアを叩き出した。
――お化け屋敷――
「お化け屋敷どうします?」
「どうする?」
「…………」
「…………」
「……止めておきましょうか」
「そ、そだね」
――お昼ご飯――
「だ~か~ら~! 自分の分は自分で払うって!」
「市原さんの男女間におけるフェア精神はよく分かります。素晴らしいことです。しかしですね、それじゃ俺の男としての面子が――」
「いらないって! そんなのティッシュに丸めてそこらへんに捨てときなよ!」
頑固者同士の意地の張り合いは、村山くんが二百円多めに出すという形で決着した(どっちも内心納得してなかった)。
――スプラッシュマウンテン――
「うへぇ。結構濡れちゃったね」
「タオルの貸出しているみたいですよ。風邪を引かないようにしっかり拭いておかないと」
「うん。ごしごししないと――あ、写真出てる!」
「うわぁ。俺、変な顔してますね」
「似たようなもんだよ。私も目瞑ってるし」
私達は顔を見合わせた。
「記念に買いませんか?」
「記念に買っちゃおうか!」
村山くんが「ですね」と嬉しそうに笑った。
「すみません。七番の写真を二枚ください」
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